第二千四百五十六話 統一政府(ニ)
「俺と君が交わした約束……いや、西ザイオン帝国と君たち一行の契約は、東ザイオン帝国を打倒し、東西紛争を終わらせるまで協力するということで結ばれた。東西紛争が西側の勝利によって幕を閉じ、統一帝国がほぼ成立したいま、君たちがここに留まる理由はない」
ニーウェハインは、書類に目を通しながら静かに続けた。
「無論、契約の報酬は支払わせてもらうし、君たちが我が帝国に協力を求めるのならば、喜んで力を貸そう。そういう約束だからな」
「……そうだな」
セツナは、少しばかり考えて、口を開く。
「確かに契約内容は履行し終えた」
東ザイオン帝国の打倒は、ミズガリスの降伏宣言と東帝国の全面降伏、抵抗軍の投降によって完了を見た。もはや西帝国――いや、統一帝国に抵抗しようというものは現れないだろうことは、だれの目にも明らかだ。だれもが戦いに嫌気が差し、平穏と安寧を求め、喘いでいた。そんな折、東西の紛争が終わり、統一される運びとなれば、それを希望の光明と受け取るのは当然の話だ。
西帝国臣民のみならず、東帝国臣民のほとんど全員が諸手を挙げて歓迎しているという話もそこかしこから飛び込んできている。帝都ザイアスの市民だけではない。サーファジュールの市民だって、ガンドダールの市民だって、統一帝国の誕生を喜びこそすれ、抵抗運動には非協力的だったのだ。
それはそうだろう。
二年以上に渡る東西紛争がもっとも苦しめたのは、両帝国の臣従でも将兵でもない。無辜の民なのだ。民にとっての最上の幸福は、争いのない、平穏な日々であり、それ故、“大破壊”後の混乱を収め、秩序の構築に奔走したミズガリスを僭称帝でありながらも支持したのだ。平民にしてみれば、上に立つのはだれでもよく、なによりも大事なのは安心できる日常以外のなにもでもなかった。
統一帝国の誕生は、そういった平穏と安寧をさらに強く約束するものであり、故に大陸全土のひとびとにとってこれほど喜ばしいことはなく、歓喜の声や涙が天地を満たしたのも当然だったのだ。
しかし、これによってすべての問題が解決したかといえば、そうではない。
世に蔓延する白化症や結晶化といった超自然的な問題だけでなく、近頃、皇魔の活動が能動的になっているという報告もある。東西紛争の終結が南大陸に棲息する皇魔たちになんらかの影響を与えたのではないかという推測は間違いとはいいきれないだろう。東西紛争中、南大陸は常に緊張感に包まれていた。その緊張感が皇魔たちの活動を抑えていたと考えられており、故にここ最近、突如として各地に皇魔の群れが確認されるようになったのだろう。とはいえ、皇魔は、人間を視界に捉えない限りは襲ってくることはない上、城壁に囲われた都市を襲うこともないため、放置していても特に問題はないと見られている。
それに皇魔の中には人間以上の知性を持ち、交渉の余地を持つ種もいて、そういった種が大陸にいないとも限らないのだ。迂闊に攻撃して、刺激するよりは、出方を窺った方が賢いだろう。セツナたちは、統一政府に対し、これまで得た皇魔に関する情報を提供している。リョハンがウィレドの部族と交流を持ち始めたということや、ログナー島にて人間と皇魔が共存しているという事実は、皇魔を嫌悪と忌避の対象としてしか見ていなかった帝国のひとびとに衝撃を与えたものだ。
無論、アガタラのウィレドや魔王率いる皇魔たちが特別であるという前提の話ではあるのだが。
セツナが問題として考えているのは、皇魔などではない。
「当初の予定なら、東帝国を打倒して、統一帝国が誕生したら速やかにここを離れるつもりだったんだがな。そういうわけにもいかなくなった」
「……ゼネルファーやあのことが気になって、か」
「ああ」
肯定し、小さく嘆息する。
ゼネルファーとニーウェハインの白化症から生じた天使の行動原理は、それぞれ大きく異なるものだということは、わかりきっている。
ニーウェハインの天使は、黒き矛に執着し、その奪取を目的としていたことが判明しているのだ。
しかし、ゼネルファーの場合は、彼の野心を叶えるために力を利用されていたようであったし、もしあのときセツナたちがゼネルファーの討伐に向かわなければ、黒き矛を奪取することなどできるわけもなく、セツナたちが差し向けられる可能性にかけるには、あまりにも博打が過ぎるという話だ。一方、ニーウェハインの場合は、確実性がある。同一の存在が裏で糸を引いているとは、考えにくい。もちろん、それぞれ別々の方法でセツナに接触しようとしていた、と考えられなくもないのだが。
「そのことは俺たちに任せてもらえばいい――などと格好つけたくはあるが、そうもいっていられないな」
今度は、ニーウェハインが大きくため息を吐いた。
「南大陸は、ようやく統一に向かって動き出したところだ。まだ大陸全土が統一帝国の勢力下に入っているわけじゃない。まあ、それも時間の問題だろうが……全土を勢力下に収めたからといって、それですべてが上手く行くはずもない。大事なのは、そこからなんだ」
「ああ、わかってるよ」
「これまで大陸東部は、東帝国が敷いた秩序の上に成り立っていた。無論、その秩序というのは、旧帝国の法に基づくものであり、西帝国の秩序とそこまで大きく変わるものでもない。一般市民には大きな影響は出ないだろう。しかし、小さな混乱が起こるのは間違いないし、そういった混乱の積み重ねが、国全体に多大な影響を与える可能性も否定できない。万全に万全を期す必要がある」
彼が渋い顔になったのは、当たり前のことだ。東西帝国を統一したのはいいものの、問題は山積みであり、それら問題をひとつひとつ丁寧に片付けていかなければならない。でなければ、彼のいうように小さな問題が波紋となって広がり、大陸全土に影響を及ぼしかねない。小国ならばまだしも、帝国はきわめて巨大な国だ。あまりにも大きすぎて、セツナには到底理解の及ばないくらいの規模だ。ちょっとした食い違いが全体に影響したとき、それを是正するのも大変だ。
故にこそ、彼や首脳陣は慎重に慎重を重ねているのだ。
「皇帝陛下におかれましては、政務に専念していただければ、と」
「……そういってくれると、本当に助かる。ありがとう、感謝する」
「感謝されるようなことじゃないって。こっちが勝手にやってんだ」
「だとしても、感謝して然るべきことだ。この国のためでもあるんだからな」
「……そうかな」
「なに?」
「もし、おまえだけじゃなく、ゼネルファーの問題も、俺と黒き矛が原因なら、俺が災いをもたらしたということになるんだぜ?」
セツナは、ずっと想っていたことを口にした。
「俺がここにいなきゃ、ゼネルファーもああはならなかったかもしれないし、おまえも、あそこまで苦しむ必要はなかったんじゃないか」
「馬鹿げてる」
「なんだって?」
「馬鹿だといったんだ、このうすら馬鹿」
「二度もいうな」
「何度だっていってやるさ、この大馬鹿者」
ニーウェハインのそのような軽口は、セツナに対してのみ発揮される、という。ニーウェハインにとっての気の置けない相手というのはニーナや三武卿がいるが、セツナはその四名とはまた別枠の、気楽な相手なのだろう。なにせ、異世界の自分なのだ。どのような暴言を投げつけても構わないだろうという安心感が、互いにある。
「君がいなければ、君たちが力を貸してくれなければ、大陸はいまだ紛争の真っ只中だったんだぞ。君がここに来てくれたから、力を貸してくれたから、長らく続いた闘争があっという間に終わった。それもこれも君のおかげで、それ以外のなにものでもないんだ。そこに感謝こそすれ、恨み言をいうほど愚かなことはないよ」
「でも」
「でも、じゃあない。ゼネルファーがあのような末路を迎えたのも、彼が神の声に耳を貸したから、なんだろう? だったら、君とは無関係だ。君がいようがいまいが、ゼネルファーはああなっただろうし、俺はもっと苦しんでいたかもしれない」
彼が頭を振る。
「俺を操った神とやらは、黒き矛を求めていた。つまり、そのためならばなんだってした可能性が高いということだ。君がいなければいないで、君がここに来るほどの騒動を起こしていたかもしれないだろう?」
「……なるほど。確かにそうかもな」
「君があの場に来てくれたから、最小限の被害で済んだといっても過言ではないのさ。あと数日遅れていたらと想うとぞっとするよ」
ニーウェハインのその言葉は、本心以外のなにものでもなかった。
確かにその通りだろう。あと数日、いや、一日でも到着が遅れていれば、ニーウェハインの天使は、彼の周囲のひとびとを傷つけるだけでなく、殺して廻っていたのではないか。そんな恐ろしい考えが脳裏を過ぎり、セツナは、心底安堵した。あのとき、ニーウェハインの天使を目の当たりにしたのが自分でよかった、と。
「それで……なにか案でもあるのかい? 俺やゼネルファーを操った神を探し出すための方法でも」
「それがないから、困ってる」
セツナは、肩を竦めて見せて、ニーウェハインの困り顔を見つめた。