第二千四百五十四話 神の影(九)
「最初の一言がそれかよ」
セツナが彼の言葉をそっくりそのまま返せば、ニーウェハインは、数秒の間を置いた。それから、やれやれとでもいいたげに頭を振る。
「最初ではないよ」
「おまえの真似をしてみただけだよばーか」
「子供か」
「死にたがりのおまえよりはましだろ」
セツナは、これ見よがしに嘆息して見せたものの、彼に真意が伝わったのかどうかはわからない。なんにせよ、ニーウェハインは極めて冷ややかなまなざしをこちらに投げかけていた。
「……質問に答えてくれ。なぜ、あのとき俺を殺さなかった。俺は君を殺そうとしたんだぞ」
「おまえの意志じゃないだろ、あれは」
「どうかな……」
ニーウェハインが言葉を選んでいるのが、虚空を彷徨う彼の目線から窺い知れる。やがて、その視線もセツナに止まるのだが。
「俺の本心かもしれないだろ?」
「俺を殺すのがか?」
セツナは、あまりの馬鹿馬鹿しさに真顔になった。頭の後ろで手を組んで、椅子に背中を預ける。
「冗談なら笑えるのにしろっての」
「笑えないのは、冗談ではないからだ」
「はあ?」
「俺は……君が羨ましい。だから、君を――」
「まったく……つまらねえ冗談もほどほどにしとけよ。でないと、本気で怒るぞ」
セツナは、ニーウェハインの言葉を強引に断ち切るようにして声を上げ、彼を睨み付けた。もっとも、いくら凄んだところで、彼にはまったく通用しないのはわかりきっていたし、実際に通用しなかったのだが。
ニーウェハインは、まっすぐにこちらを見つめていた。
「俺は本気だよ。冗談なんかじゃあないさ。俺に君のような力があれば、と、なんど想ったことか」
「……そういう意味かよ」
ニーウェハインが発した言葉に幾分本心が紛れ込んでいることを察し、セツナは、後頭部を支えるようにしていた手を解き、腿の上に置いた。彼の気持ちは、わからないわけではない。
彼は、黒き矛の眷属たるエッジオブサーストの召喚者であり、複数の眷属の使い手を倒すことで、エッジオブサーストの使い手として強くなり続けていた。残る眷属と主たる黒き矛さえ、手に入れる直前までいったのだ。あと一歩、ほんの少しのところでセツナに敗れ、力を失った。あのとき、ニーウェハインが勝者となっていならば、現状は大きく変わっていたことだろう。
彼はセツナたちの助力など必要とせずに統一帝国を打ち立て、完全無欠の国家を作り上げることができたかもしれない。
そこまではいかなくとも、周囲のひとびとを護り抜くことくらいはできただろう。
とはいえ。
「そうかい。あのときは、俺を殺して、俺から矛を奪い取るつもりだったってのかよ」
「そうだ」
「ニーウェ」
セツナは、またしてもニーウェハインを睨み据えたが、彼は神妙な表情でこちらを見ていて、虚を突かれた感じになった。予想していたものとはまったく異なる反応だったからだ。
「少なくとも、俺を操っていたものは、そう考えていた」
「……なんだって?」
思わず、腰を浮かせる。
ニーウェハインは、虚空に視線を浮かべるようにして回答を寄越してくる。
「確かに聞いたんだ。あのとき、俺は、おまえが黒き矛を召喚した瞬間、歓喜の声を聞いたんだよ」
「そういうことかよ……」
「ただ、深くはわからない。わかるのは、あのとき、俺がなにものかに操られていたということ。この白化症に冒された部位を通して、君を殺そうとしたこと。それだけだ」
「……神だろう」
「神?」
「そう、神」
断言して、椅子に腰を落ち着ける。
「以前、教えたよな。白化症がいったいなんなのか。いったい全体、どういう理屈で白化症が発症し、神人やら神獣なんて化け物が出現しうるのか。成り果てるのか」
「ああ。聞いたな。神威……だったな」
記憶の奥底から掘り出すようにしてつぶやいたニーウェハインだったが、なにかを察したかのように目を煌めかせた。
「そうか。俺の体を蝕む神威の源たる神が、俺を通して君を認識し、君を殺そうとしたのか。どうして?」
「おまえがさっきいったとおりだろ」
「黒き矛か」
「ご明察」
肯定して、深く息を吐いた。
手を見下ろせば、黒き矛の柄を握る感触が容易く蘇り、真霊の間の出来事が昨日のことのように脳裏を過ぎる。白化した部位から出現した天使染みた化け物は、確かに意志を持ち、セツナを狙っていた。セツナだけを殺そうとしていたのは、室外に待機しているミーティアやレムを完全に黙殺していたことからも明らかだ。そして単調な攻撃もまた、あの天使がある意味手を抜いていたことの証なのではないか。セツナに黒き矛を召喚させる前に殺しては意味がないからこそ、対応できる速度で攻撃してきたのではないか。セツナが黒き矛を召喚してからも攻撃そのものに変化がなかったのは、それが天使に与えられた力の限度だったから、と考えられなくもないが、それも正しいかどうか。
「黒き矛……カオスブリンガーは、神々には魔王の杖って呼ばれてるらしい。それがなにを意味するのかを知ったのはつい最近だが……まあそれはそれとして、神々にとって極めて厄介な存在だということは確かなようだ」
「ほう……」
「黒き矛は、魔王の杖は、数少ない神々への対抗手段なんだよ。永久不変、絶対不滅の存在であるはずの神を滅ぼすことのできる数少ない存在。それが魔王の杖なんだ」
「……それほどまでのものだったのか」
ニーウェハインが驚きを隠しきれないのも当然だろう。彼は、エッジオブサーストの召喚者に過ぎない。黒き矛カオスブリンガーの召喚者であるセツナとは、黒き矛に関する認識に大きな違いがあるのだ。いやそもそも、セツナだって、カオスブリンガーがそれほどまでの力を秘めたものだということを知ったのは、召喚者となってすぐのことではなかった。
最初から強力無比な召喚武装であるということは理解していたが、とはいえ、まさか神をも滅ぼす力を持つものだ、などと想像できるはずもない。
「だから、神々の多くは、黒き矛の使い手である俺を忌み嫌っているのさ」
「マユリ様は例外ということか」
「ああ。マユリ様はな」
殊更強調していったのは、マユリ神の半神であるマユラ神を含めたくはなかったからというだけのことだ。マユリ神以外にも、例外といえる神は存在する。リョハンの守護神マリクを筆頭に、海神マウアウ、闘神ラジャムもそうだろう。マウアウ神は対話により相互理解を深めることが出来、ラジャム神は、黒き矛の使い手たるセツナとの純粋な闘争に愉悦を見出した。マリク神はいわずもがなだ。
「なるほど。すべての神々が君と敵対しているわけではない、ということか」
「だが、多くは敵にならざるを得ないだろうさ」
「……ネア・ガンディアか」
ニーウェハインが渋い顔をする。ネア・ガンディアに関する情報は、セツナ側からニーウェハインに提供されている。
「奴らがなぜネア・ガンディアなんて名乗っているのかは知らないし、知りたくもないが……奴らの組織は叩き潰さなきゃならない、と、俺は考えてる」
「数多の神々が属し、神に匹敵する力を持つものもいるというのだろう? ネア・ガンディアには。そんな連中と戦うことに意味はあるのか? 勝ち目は?」
「意味ならある。だが、勝ち目は……いまのところ見当たらないな」
「ふむ……」
「ネア・ガンディアと交渉の余地があるならそうするさ。対話の可能性だって探りたかった。けどな、そうじゃないんだ。そういう相手じゃあない。奴ら、人間の命なんざ、なんとも思っちゃいねえ」
超巨大方舟から発射された神威砲によってマルウェールが壊滅した瞬間を目の当たりにしたとき、マルウェールのひとびとが残らず神人と化したとき、セツナは、ネア・ガンディアを敵と認識した。放っておけば、この世界から人間が消え失せるかもしれない。いや、人間だけではない。ありとあらゆる生物、非生物が、変わり果てるのではないか。
実際、既にそうなり始めている。
そのすべてがネア・ガンディアが原因ではないにせよ、一因であることは疑いようがない。
「おまえを操った神も、ゼネルファーを操っていた神も、ネア・ガンディアの神かもしれない」
「ゼネルファーを操っていた神……?」
ニーウェハインが怪訝な顔をした。
「ゼネルファーの顛末については聞いたが、神が操っていたというのは初耳だな。いったいどういうつもりだ? なぜ、隠していた」
「不確定事項だからだよ」
セツナは、悪びれることなく告げて、ニーウェハインにサーファジュールの顛末について事細かに伝えた。ゼネルファーが神に操られていたという確証はない。しかし、ゼネルファーが神の加護としかいいようのない能力を用いていたのは間違いなく、神の介入があったのも確かだろう。だが、その詳細がわからない。ゼネルファーの討滅直後、セツナが感じた視線は、神のものだったのか、それとも別のなにものかのものだったのかさえわかっていないのだ。
そういった情報まで伝えるのは混乱を招きかねないし、憶測が憶測を呼び、動き始めたばかりの統一帝国に不安を撒き散らすことになりかねない。
そういった事情から、セツナたちが統一帝国政府に提出した報告書には、情報の取捨選択が行われていたということだ。
ニーウェハインは、そういったセツナたちの配慮に理解を示すと、改めて感謝を示してきた。
セツナたちが抵抗軍の討伐に当たったからこそ、被害を最小限に抑えることができたのはいうまでもない。