第二千四百四十八話 神の影(三)
ニーウェハインの想いは、東西決戦後、統一政府の成立に向けた動きの中でも存分に発揮されている。
つまり、東帝国の旧臣たちを次々と政府首脳に加えていったのだ。東帝国の重臣には、当然、優秀な人材が少なくない。特に南大陸東部における秩序の構築と維持、運営において大いにその手腕を発揮していた東帝国首脳陣からは数多くの人材が、統一帝国政府の基盤を固めるべく登用されていった。大陸の西半分程を領土としていた西帝国首脳陣には東部の情勢、現状について疎く、また、西帝国の人間だけでは人材不足、人手不足に陥らざるを得ないため、ニーウェハインの積極的な人材登用について不満の声はあれど、反対しようもなかったのだ。
不満というのは、主に僭称帝ミズガリスを支持していたものたちを政府高官として迎えるという動きに対して、だが、そこを深く言及すれば藪蛇にならざるをえないものたちが西帝国首脳陣にいて、そういったものたちこそが不満の中心だったため、深く追求されることはなかった。ミズガリスからニーウェハインに鞍替えしたものたちなど、元よりニーウェハインの支持者だったものたちからすれば、東帝国の旧臣と大差はない。
とはいえ、西帝国の臣従と東帝国の旧臣の間に軋轢が生まれるのは致し方のないことであり、そればかりはニーウェハインがどれだけ配慮したところで、埋めようがなかった。二年以上に渡って敵対し、互いに忌み嫌い合い、悪口雑言を飛ばし合っただけでなく、命を奪い合ってきたのだ。そう簡単に割り切れるものでもない。こればかりは時間が解決するのを待つしかないだろう。
そんな西と東の旧臣たちが牽制し合う場にいては、気を遣わざるをえず、余計に疲れるだけであり、故にセツナは、レムを除く全員を船に待機させることとしたのだ。
もっとも、統一帝国の成立に向かう大いなる流れを止めようとするものは、旧臣の中にはおらず、抵抗軍だけが障害となった。皇帝の降伏宣言に従うようにして西帝国に投降した旧臣たちは、抗うことはおろか、自分たちの立場を弁解しようとするものさえほとんどいなかったのだ。その潔さこそ帝国人の帝国人たる所以である、という話だが、本当のところはよくわからない。帝国人には素直な人間が多いのは確かなようだが。
そしてその抵抗軍が潰え去ったいま、ニーウェハインたちの大望を阻むものはいない。
南ザイオン大陸を真っ二つに分断したふたつの帝国がいままさにひとつになろうとしている。それによってもたらされるのは、大いなる秩序と平穏であり、ただ東西紛争に巻き込まれるだけだった市民にとっては、これほど喜ばしいことはあるまい。東帝国の敗北に嘆いていた帝都市民も、いまは手のひらを返したように統一帝国の誕生に歓喜の声を上げているというほどだ。
統一帝国の誕生は、南ザイオン大陸に住む帝国人のだれもが望んでいたことなのだ。
元々、帝国は巨大なひとつの勢力だった。
偉大なる皇帝によって支えられる広大な天地は、“大破壊”によって南北に分かれ、大海原によって隔てられてしまった。北ザイオン大陸と南ザイオン大陸の誕生は、四つの帝国を成立させる遠因となった。北の情勢はよくわかっていないものの、北大陸は北と南に分かれて相争っているといい、南大陸と同じくふたりの有力者が皇帝を名乗り、立ち上がったらしいことが窺い知れる。
なぜならば、帝国領土において、皇族を無視して立ち上がろうとするものはいないからだ。
神に力を与えられたと思い込んでいたゼネルファー=オーキッドでさえ、自分が支配者になろうとはしていなかった節がある。彼の部下たちの話によれば、ゼネルファーは、ミズガリスが降伏したことで彼が皇帝に相応しくないことが明らかになった、と考え、別の皇族を皇帝に押し上げようとしていたらしい。
ザイオン帝国は、始皇帝ハイン以来五百年もの歴史を誇る超大国なのだ。臣従だけではなく、国民のひとりひとり、その血潮の深きまで、皇帝への畏怖や尊敬の念が刻み込まれている。数十年あまりで戦女神を中心とする社会を作り上げたリョハンの十倍近い年月を経ているといっていい。それは、血族信仰といっていいのであろうし、上に立つのは皇族でなければならないという想いは、帝国のひとびとにとって当たり前の感情なのだろう。
故に、帝国領土において立ち上がるのは皇族以外には考えられないのだ。
南大陸において立ち上がった二名がそうであったように、北もまた、同じように二名の皇族が皇帝として名乗りを上げたのだ。
もっとも、ニーウェハインは、北ザイオン大陸まで進出し、平定しようなどとは考えてはいない。
当たり前の話だが、南大陸と北大陸の間には、広大な海原が横たわっている。北大陸を二分するふたつの帝国を相手に戦うには、相応の戦力を送り込む必要があるだろうし、そのためには大量の船がいる。船だけではない。物資も数限りなく必要となる。
そも、海を渡り、北大陸に辿り着けたところで、大陸全土を平定するとなると、戦いは極めて長期的なものとならざるを得ず、その間、南大陸が無防備になる可能性は極めて高い。北大陸の平定に乗り出すということは即ち、東帝国と同等の戦力を有するであろうふたつの帝国を相手取るということなのだ。相応の戦力を送り込まざるを得ない。もし仮に北大陸平定が上手くいったとして、その間に南大陸が別勢力に攻め込まれ、滅ぼされでもしたら目も当てられない。
いや、それ以前の問題として。
「これでニーウェハイン様も当面の間は、南大陸の統一に専念致せましょうし、わたくしどもも肩の荷が下りた、というところでございますね」
至天殿への道中、レムが安堵の笑みを浮かべた。
彼女のいうとおりだ。まずは、南大陸の統一にこそ専念するべきであり、ニーウェハインは実際にそうしている。北大陸のことなど、いま考えることではない。遙か海の彼方のこと。考えたところで仕方がない。
「まったく、その通りだな」
セツナも、彼女の気持ちに同調するように息を吐いた。東西紛争が片付き、抵抗軍も壊滅した。東帝国の旧臣たちは、軋轢を生みながらも、南大陸統一事業については従順どころか熱心な姿を見せているという。問題は見当たらない。ひとつ引っかかることがあるとすれば、ゼネルファーを操っていたもののことだが、それもいまは関係ないだろう。関係があるのであれば、すぐにでもちょっかいを出してくるはずだ。そして、そうなればセツナたちが対処すればいい。
そのためにここにいるといっても過言ではないのだ。
ニーウェハインたちでは対処しきれない問題に対応することこそ、セツナたちに求められていることといってもよかった。
そしてそれこそ、自分の力が一番に発揮できることだと、彼は自負していた。
ちなみに、だが。
なんの前触れもなく至天殿に降り立ったセツナとレムは、一度、帝国近衛騎士団に包囲されている。それはそうだろう。セツナとレムは、マユリ神の御業によって至天殿に転送されたのであり、突如どこからともなく出現したものを侵入者と認識し、包囲するのは、至天殿の警護に当たる近衛騎士団としては、真っ当な反応だった。
しかし、セツナの顔を見た騎士団の部隊長によってすぐさま解放された上、手厚く護衛されながら至天殿内部を案内されることとなった。
そして、至天殿内部で近衛騎士団長ミルズ=ザイオンに引き渡されている。
ミルズ=ザイオンは、統一帝国政府の発足に伴い、南部方面軍総督だけでなく、近衛騎士団長を兼務することとなったのだ。近衛騎士団とは、帝国における最精鋭の騎士集団であり、近衛騎士団長に任命されるということは、極めて光栄なことであるという。一種の名誉職であるが、同時に実際の能力が伴っていなければ選ばれないということもあり、近衛騎士団長不在の時代もあったという話だ。
セツナ、レムとの数日ぶりの対面の際、ミルズが極めて上機嫌だったのは、そういう理由もあるようだった。
ミルズに抵抗軍壊滅を報告すると、彼は飛び上がるようにして喜び、セツナたちの活躍を讃えた。統一帝国の成立にもっとも喜んでいるもののひとりが、ミルズなのだ。その統一帝の足を引っ張りかねない抵抗軍の存在を懸念していたのも彼であり、その抵抗軍がすべて統一帝国の軍門に降った事実を知れば、彼が手放しで喜ぶのはわかりきっていたことだ。
そんな彼が一転して、神妙な表情になったのは、セツナがニーウェハインへの拝謁を願い出たときだった。
「陛下……ですか」
ミルズらしからぬ慎重な言葉運びに、セツナとレムは顔を見合わせた。