第二千四百四十五話 後始末(十三)
「いうにことかいて貴様……!」
わなわなと上半身を震えさせるゼネルファーの巨体を冷ややかに見遣りながら、セツナは、黒き矛の切っ先を相手に向けた。神人の如く変わり果てたゼネルファーの肉体は、セツナの体の二倍以上の体積を誇る。それに加え、どういうわけか身に纏う瓦礫の数々によって彼の体は必要以上に大きく見えていた。だからどうということはない。怒り心頭といった様子の相手の反応は、見当違いも甚だしいと想わざるを得ない。
「なんだ? なにが不満なんだ?」
疑問を投げつつ、“破壊光線”を撃ち放つ。カオスブリンガーの穂先より放出された破壊の光は、極太の奔流となってゼネルファーに殺到し、その上半身を飲み込んだ。抜群の手応えにも、セツナは気を抜かない。手を緩めるつもりもない。わずかな気の緩みが命取りだということは、わかりきっている。
「サーファジュールを破壊したのは、あんただ。少なくとも、俺たちの出した損害よりも、あんたが出した損害のほうが遙かに大きいのは明らかだろ。俺たちは市民も、抵抗軍の将兵にさえ、手出ししなかった。滅ぼしたのはあんたのいう天兵だけさ」
「それが詭弁だというのだ!」
“破壊光線”によって上半身を消し飛ばされながら、ゼネルファーがいった。右の膝頭に口を作り、そこから発声してみせたのだ。そして、すぐさま消し飛ばされた肉体を復元すると、元通りにするだけでは飽き足らず、さらに肥大させ、複雑化させた。つまり、セツナへの攻撃手段として、複数の巨大な腕を形成したのだ。あのままではセツナと戦うこともままならないと踏んだのだとすれば正しい判断だが、彼は自分が大きな勘違いをしていることに気づいてさえいないようだ。
三倍、いや、四倍以上の体積を誇る化け物となったゼネルファーが怒号を張り上げる。
「貴様さえ、貴様らさえ、現れなければ……このようなことには……!」
「それこそ詭弁だろ」
セツナは、にべもなく告げる。巨腕がうなりを上げ、上空から雨のように降り注いでくる。いや、大雨どころではない。豪雨というよりは瀑布といったほうが正しいかもしれない。無数の白い腕が一斉に頭上から降り注いできたのだ。
(点じゃなく、面で攻めてきたか)
セツナの戦闘能力を多少なりとも把握したからこその攻撃手段の切り替えであり、その点では、評価に値するだろう。しかし、残念なことに、ゼネルファー程度の実力では、セツナに食い下がることもできないのが現実なのだ。
というよりは、セツナが、ゼネルファー如きに後れを取っている場合ではない、という意識が強く、それ故、冷静に相手の能力を見定めていないというのもあるのかもしれない。
「あんたが愚かにも、どこの馬の骨ともわからぬ神の手を取ったから、こうなったのさ」
セツナは、一瞬にして遙か後方に飛び退くことで、瀑布の如く降り注ぐ拳の嵐をかわし切ると、その無数の拳が荒れ果てた大地に致命的な一撃を叩き込む瞬間を見ていた。凄まじい一撃だ。人間ならば耐えられないし、並大抵の召喚武装でも防ぎ切れまい。メイルオブドーターの翅の防壁すら突き破れるのではないか。
ちなみに先の瓦礫攻撃によって翅の防壁が破れたように見えたのは、セツナがみずから防壁を解いたからにほかならない。
広範囲に渡る大規模破壊は、大爆発でも起きたかのように粉塵が舞い上がり、セツナの視界をも塗り潰した。分厚い粉塵の層が幾重にも周囲を取り囲み、視覚が奪われたも同然になる。が、特に問題はない。視覚以外の感覚には、なんの障害も生じていない。耳は冴え、鼻も利いている。全周囲、迫り来るものがある。
「そうだ……! わたしは選ばれたのだ! 神に……! 偉大なる神に……!」
「選ばれた? 違うな」
セツナは、冷徹に告げながら翅を羽ばたかせた。強烈な風圧によって粉塵を吹き飛ばした瞬間、無数の拳が全周囲から肉薄してくる光景を目の当たりにする。だが、驚きにも値しなければ、肝が冷えることもない。セツナの感覚は、全周囲から接近する殺気を捕捉していた。当然、それら殺気への対応策も考えてある。
「あんたは利用されているだけだよ」
「違う!」
傲然たる怒号とともに数千の拳が加速した。一気にセツナとの間合いを詰めようとする。そのときには、セツナは既に黒き矛を頭上に掲げ、同時にマスクオブディスペアの能力を発動している。セツナを模した無数の闇人形が彼の周囲に出現し、彼と同じく闇色の矛を掲げていた。その矛先は様々だ。セツナと同じ頭上もあれば、前後左右、あらゆる方向、角度に向かって切っ先を掲げていた。そして、同時に“破壊光線”を発射する。数十の“破壊光線”が前後左右上方、あらゆる方向角度に向かって撃ち放たれたつぎの瞬間、凄まじい爆発が起きた。無数の拳は、すぐ目の前まで迫っていたのだ。直撃までの時間など、皆無に等しい。
爆発の閃光と轟音が嵐のように駆け巡る中、セツナは、メイルオブドーターの翅に包まれることで事なきを得ていた。もちろん、ゼネルファーの拳がセツナに届くことはなかった。すべて、ひとつ残さず“破壊光線”の餌食となっている。“破壊光線”が破壊したのはゼネルファーの無数の腕だけでなく、周囲の地形もだ。徹底的に破壊され、荒野に苛烈なまでの爪痕が刻まれることとなったが、致し方がない。
もっとも、だ。
ゼネルファー如きにこんな無意味に精神力を消耗させるような戦法を取る必要などはなかった。力の差は歴然としている。ゼネルファーを斃すだけ、滅ぼすだけならば、ここまで手間取ることなどないのだ。しかし、セツナは、ある目的のため、ゼネルファーの心を折るためにこそ、力を見せつけるような戦い方をしていた。
その目的とは無論、彼の背後にいる神がなにものなのかを知るということだ。だが。
「わたしは、この帝国の混乱を収めるべく天より遣わされた神の使徒なのだ!」
“破壊光線”によって吹き荒んだ爆煙の彼方から聞こえてきたゼネルファーの声には、冷静さのかけらも見受けられなかった。
「……狂ったか」
「狂っているのは貴様らだ! 西帝国の狗どもめが!」
「ああ……そうかい」
セツナは、もはや埒が明かないと思った。これ以上、議論を交わしても平行線を辿り続けるだけだろう。ゼネルファーに理性はなく、狂気が彼を突き動かしている。たとえこのまま彼に力の差を見せつけたところで、それを理解する知性すら残っていないのではないか。爆煙を切り裂き、飛来してきた無数の拳を認めて、彼は憮然とせざるを得ない。仕方なく黒き矛でそれら腕を切り落とし、打ち砕き、叩き潰しながら、殺意の源へと飛ぶ。すると、瓦礫がつぎつぎと飛んできて、セツナの接近を阻もうとしたが、それら瓦礫は、セツナと併走する闇人形たちによって瞬時に破壊されるため、なんの意味もなかった。爆煙の層を突き破れば、さっき見たときよりもさらに異形化したゼネルファーの姿があった。十倍ほどに肥大した巨体から無数の腕を生やしているだけでなく、頭部がいくつにも分かれ、いくつもの顔に様々な表情を浮かべていた。
怪物以外のなにものでもないそれを見上げて、セツナは、マルカールの最期を思い出していた。彼も結局は怪物と成り果て、人間性を失っていた。神に騙されたものは、そうなるさだめなのかもしれない。
「ゼネルファー=オーキッド。あんたはその力をどうやって手に入れた? だれに騙された。どこの、どんな神様に縋った?」
「なんだと? なにをいっている?」
ゼネルファーの無数の顔が一斉に怒気を発した。その一瞬、顔の狭間に赤い輝きが覗いた。“核”、だろう。
「神に縋り付くことを悪いとはいわねえさ。そりゃあ、だれだってそういう気持ちになるときはある。俺たちだって、神様の力添えがなけりゃ……いまごろ。でも、あんたが縋り付いた神様は、あんたを騙しているだけだ。その証拠がこのザマさ」
「違う……違う違う違う違う……! わたしは選ばれたのだ……! 神によって! この地に恒久の平穏と安寧をもたらすために……!」
「東が降り、西が統一に乗り出した。あんたたちが余計なことをしなきゃ、その恒久の平穏とやらも安寧とやらもいますぐに手に入るんだよ、この地にな」
「ふざけるな……! わたしは認めない……! 西の連中など、認めてなるものか……!」
ゼネルファーの巨体から無数の腕が伸びてくるのと同時に瓦礫の弾丸が飛散する。セツナの接近を阻みながら攻撃するための、全周囲同時攻撃。だが、当然のことながら、その程度の攻撃でセツナが怯むことはありえない。
「わたしが、わたしこそが、この帝国に真の平穏と安寧をもたらすのだ……!」
もはや妄執に囚われた怪物と成り果てた男に対し、哀れみさえ感じることもなく、セツナは、飛んだ。轟然と迫り来る無数の腕を軽々とかわし、あるいは切り落とし、あるいは闇人形に処理させながら上方、地上十数メートルの高さにあるゼネルファーの頭部に辿り着く。すると、すべての顔が一斉に動き出したかと思うと、セツナに向かって襲いかかってきた。セツナは、それらを黙殺して、頭部の中心、ゼネルファーの“核”へと突撃し、矛でもって貫いた。
“核”の破壊がなった瞬間、閃光がゼネルファーの巨体を包み込み、爆発的な光の奔流の中でセツナは確かに視た。
闇の深淵に佇む黒衣の女が、冷ややかにこちらを見ている、そんな光景。
どこかで見たことがあるような、しかし、見たこともないだろう不均衡な顔の女は、セツナの視線を感じ取ったかのように微笑していた。