第二千四百四十一話 後始末(九)
「敵襲だと?」
ゼネルファー=オーキッドは、突如舞い込んできた緊急報告に目を見開かざるを得なかった。
抵抗軍の頭目たる彼がありえもしない報告を受けたのは、執務室にて、各方面の抵抗運動を加速させるための檄文をしたためている最中のことであり、突如飛び込んできた部下から伝え聞いた報せに瞠目したのは、そのためでもあった。
抵抗軍とは、無論、東帝国皇帝ミズガリスハイン・レイグナス=ザイオンの降伏宣言による東帝国の西帝国への降伏を認めず、東帝国の西帝国への併呑、南ザイオン大陸の統一への動きに対する反抗、抵抗を行うための軍組織だ。東帝国陸軍大将として前線に赴いていた彼にしてみれば、あまりにも唐突で脈絡もなければ理由もわからないミズガリスハインの降伏宣言など、受け入れられるはずもなく、故に手勢を率いて帝都に戻り、ミズガリスハインに真相を問いただそうとしたのが、その抵抗活動の始まりだった。
だが、彼と彼の麾下の軍勢は、帝都に辿り着くことはできなかった。なぜならば、道中、帝都が西帝国によって制圧されたという情報が入ったからであり、帝都に到達できたとしても、現有戦力では西帝国軍を撃退することは不可能だと彼は判断した。そのため、彼はまず、戦力を集めることにした。
それが、抵抗軍の始まりといっていい。
彼は、速やかに帝都方面とは真逆、南東へ足を向けた。彼がサーファジュールに目をつけたのは、サーファジュールの戦力がほとんど出払っていることを知っているからだったし、難攻不落の要塞都市たるサーファジュールは抵抗活動の拠点としてこれ以上なく優秀だったからだ。そして、道中、同じく東帝国の降伏に不満を持つものたちを糾合し、およそ三万の大所帯となった。無論、この程度では西帝国に抵抗することなど不可能であり、彼は抵抗運動を行いつつ、同志を募ることとした。
反応は、決して悪くはなかった。
皇帝の降伏宣言に従い、西に降ったものたちの中にも、その結果に不満を抱くものは少なくなかったのだ。
西の総力戦から始まった東西決戦の戦況というのは、降伏当時、五分五分といってよかった。戦術次第では東にも十二分に勝ち目があり、故にこそ、最前線の将兵の多くが降伏に疑問を持ち、ミズガリスハインの下した決断に首を捻った。ゼネルファーのように皇帝の決断に反対し、抵抗活動に身を投じるものもいたし、興味を持つものは潜在的にかなりの数がいることだろう。
それら元東帝国軍将兵を抵抗活動の場に引きずり出し、参加させることこそ、彼が檄文をしたためている理由だ。いまはさざ波程度の抵抗活動も、やがて東帝国領土全土を巻き込むほどの運動となれば、西帝国も統一を諦め、東帝国の秩序も戻ってくるに違いない。
そのとき、彼は頂点にだれを推戴するべきかを考えあぐねている。
ミズガリスは、だめだ。
彼は東帝国皇帝として遜色のない人物ではあったが、どういうわけかあっさりと東帝国を西に明け渡してしまった。ゼネルファーをはじめ、数十万の将兵が全身全霊でもって最前線で命を張っているというのにだ。そのあまりにもあまりな仕打ちには、ゼネルファーはただただ失望し、落胆した。所詮、僭称帝は僭称帝に過ぎず、皇帝としての誇りも矜持も持ち合わせてなどいなかったのだ。
しかし、だからといって皇族以外の人間を推戴するのは、間違っている。帝国領土を治めるのは、やはり神の血族でなければならない。始皇帝より連綿と受け継がれてきた血筋でなければ、この地の支配者たりえない。そういう考えがゼネルファーの中にあり、故に彼は苦悩していた。
この抵抗活動が成功することを疑ってなどはいなかった。
彼は、力を得たのだ。
サーファジュールに到達したとき、天啓を得た。
「天兵どもからの報告はなかったぞ? いったいどういうことだ」
ゼネルファーは、執務室に飛び込んできた部下の無表情を睨むように告げた。天兵。彼が得た力だ。それは、異形症罹患者を使役する能力であり、彼は、サーファジュール到達後、戦力不足について考え込んでいたとき、突如としてその能力に目覚めた。そしてその能力によって、サーファジュールのみならず、周辺の都市から異形症罹患者を呼び集めた結果、二千もの異形症罹患者が集まり、それらが彼の戦力となった。側近にせよ、末端の兵士たちにせよ、異形症罹患者を戦力として扱うことに抵抗を感じずにはいられなかったようだが、異形症罹患者の戦闘能力の高さに関しては疑う余地はなく、ゼネルファーはむしろ、この能力の獲得は、天の意思なのだと想った。
天が、彼の抵抗活動を後押ししてくれているのだ。
故に彼は、その能力の行使になんの疑問も抱かなかったし、異形症罹患者を天兵と命名し、主戦力とした。天兵は、彼の意のままに動いた。彼が命じた通りに行動し、命じた以外の行動は取らなかった。つまり、天兵が抵抗軍将兵やサーファジュール市民を傷つけるようなことはなく、それ故、彼は天兵を大いに頼った。天兵は、並大抵のことでは死なない。負傷したところで立ち所に再生し、腕が吹き飛ばされたりしても、復元してしまう。
ちょっとした怪我で部隊の足を引っ張る人間とは大違いだ。彼が天兵頼りになるのは当然といえば当然のことだった。
そして各地には、もっと多くの異形症罹患者がいる。それらを糾合すれば、抵抗軍の戦力はさらに増強され、いずれ西帝国を滅ぼすことさえ可能なのではないか。抵抗軍の天兵部隊を増員すれば、大陸全土を東帝国の色で染め直すことも不可能ではない。
そう、考えていた矢先だ。
「は。それが、敵は、このサーファジュールの遙か上空より舞い降りてきたようでして」
「なに? なにをいっている?」
「ですから、上空からの強襲である、と、申し上げているのですが」
部下は、抵抗軍頭目であるゼネルファーに対しても決して臆することなく、強い口調で告げてくる。若い男だ。優秀であるが故にゼネルファーの側近に取り立てられた彼は、その昇進の速度によって己の実力を理解し、自分に絶対の自信を持つようになっていた。ゼネルファーに対しても物怖じしないというのは、希有な才能といってもいいだろう。場合によってゼネルファーの神経を逆撫でにすることも少なくはないが、しかし、どういった状況でも沈着冷静に対応することのできる彼の無神経ぶりは、ゼネルファーのような感情に左右されがちな人間にはありがたい存在といえた。
「……わかった。敵は上空から強襲してきたというのだな? 天兵の警戒範囲外の上空から!」
「は」
「……であらば敵は武装召喚師以外にはあるまい。数は?」
「北に一名、西、東に三名ずつ、南に一名の合計八名だけだそうです」
「なんだと?」
ゼネルファーは、目を丸くした。あまりに信じられない報告だったからだ。
「ふ……ふはは……西帝国の連中め、東西決戦に勝利して気でも狂いおったか。たった八名だと? たった八名で我が鉄壁の布陣を突破できるわけがなかろう。天兵どもの餌食になるだけのことよな」
「は……」
側近は、笑わない。いつも通りの無表情でこちらを見ている。その無表情ぶりは、感情のかけらも見当たらないほどに不気味だが、同時に彼の端正な顔立ちを引き立たせるものでもあった。そして、その無感情な表情を見ていると、ゼネルファーはすぐさま己を取り戻せるのだ。冷静に、考えることができるようになる。
「ん……いや、待て」
ふと、ゼネルファーの脳裏に嫌な予感が過ぎった。
「いま、八名といったな?」
「は」
「それは、確かなのだな?」
「は。配下の武装召喚師が確認したので、間違いはないかと」
「八名……」
「八名が、なにか?」
「帝都を制圧したのも、たった八名の武装召喚師だったと、聞いている」
信じられないことだが、あの広大な帝都を制圧したのは、西が寄越したたった八名の武装召喚師だというのだ。それは、西帝国が流した情報であるが、東帝国政府が発した情報でもある。
「それは……西の吹聴でしょう。西の連中は、自分たちの勝利を劇的なものとしてでたらめに脚色し、喧伝していると聞きます。その八名による制圧もきっと……」
「しかしだ。並大抵の戦力では帝都を落とすことなど不可能だった。それは、貴様も知っておろう」
「は……」
「ラミューリン……あの女狐は、邪悪だが、有能なのは間違いない。あの女狐の武装召喚術は無敵といっても過言ではないのだ。ラミューリンが護る帝都が制圧された。だからこそ、ミズガリスは降伏せざるを得なくなった。前線の状況など無視してな」
彼は唾棄するようにいった。
ラミューリン=ヴィノセアは、ミズガリスに取り入り、東帝国の影の支配者の如く振る舞っていたが、同時に彼女の実力や手腕そのものに関しては疑う余地などはなかった。ミズガリスほど猜疑心の強い男が信頼し、側に置いていたということも、彼女の能力の高さを裏付けるものだ。いくら美しかろうと、それだけで側に置くほど、ミズガリスは無能ではない。
そんなラミューリンが帝都の守護についていた。彼女とその召喚武装・戦神盤の能力が組み合わされば、帝都は鉄壁の守護を得ることになる。それであるにも関わらず、帝都は、落ちた。たとえ、たった八名の武装召喚師によって制圧されたというのが西の吹聴であったのだとしても、東西決戦の最中であり、西が帝都制圧のために多大な戦力を繰り出せるわけもなかったことを考えれば、少数精鋭だったのは間違いないのだ。
その少数精鋭のうちの八名がサーファジュール制圧に差し向けられたのだという可能性は、大いに考えられる。
彼は、全軍に指示を飛ばした。