第二千四百三十九話 後始末(七)
レムがひとりで南部を受け持つことになったのには、もうひとつ、重要な理由がある。
それは、レムがひとりであってひとりではないからだ。
これもまた、彼女の特性といっていいだろう。
マスクオブディスペアの能力によって仮初めの命を与えられ、不老不滅の存在となった彼女は、マスクオブディスペアから貸し与えられていた“死神”を具現し、使役する能力をさらに極まったものとして、得たのだ。最大五体の“死神”を同時に具現させることができるということは、たったひとりでありながら、六人分の働きができるということだ。
それは、ほかの三人組以上の戦果を残しうるということでもあり、彼女は、降り立った瞬間、降下地点にいた神人神獣を血祭りに上げるなり、五体の“死神”ともども気勢を上げるようにして、敵陣真っ只中へと切り込んでいた。
すべては、セツナの信頼と期待に応えるためであり、彼の愛に応えるためだ。
その想いが自分の力を際限なく引き出してくれているというのは、決して勘違いなどではあるまい。でなければ、この満ち溢れんばかりの熱量は一体何なのか。まるで胸の内が燃え盛っているかのような熱気がレムを包み込み、彼女の戦闘を烈しく、凄まじいものへと深化させていく。
五体の“死神”たちもまた、レムの想いに応えるように神人を叩きのめし、神獣を跳ね飛ばし、打ち砕き、“核”を露出させ、破壊する。
レムは、自分と“死神”弐号、“死神”参号で北東方向を受け持ち、“死神”肆号、伍号、陸号でもって北西方向に当たらせていた。
幾重もの城壁、その外周部でしかないが、その外周部を制圧する頃には、ある程度の神人神獣を撃破できていることは想像に難くない。
サーファジュールに降り立ったのはレムだけではないのだ。ファリアたちもミリュウたちも、セツナもいる。皆が力を合わせれば、二千程度の神人を殲滅することなど決して難しくはない。
(そしてわたくしが最も戦果を上げ、御主人様を独占させていただくのでございます)
彼女は、胸中でつぶやくと、目の前の神人を闇の大鎌で両断した。
「全部で二千体だっけ?」
何十体もの神人、神獣がじわりじわりと押し寄せてくる様を見遣りながら、ラヴァーソウルの真っ赤な刀身を地面に叩きつけた。たかだか石材を積み上げ、舗装しただけの城壁にぶつかった程度で折れるはずのない召喚武装の刀身が、あっさりとばらばらに砕け散る。それがラヴァーソウルの特性だからだ。ラヴァーソウルは、通常状態ですら、無数の破片を磁力によって結びつけることで刀身を形成しており、軽い衝撃を加えることで刀身状態から分散させることができる。そして、無数の刃の破片となったそれらもまた、強固な磁力の糸とでもいうべきもので繋がっており、持ち主の意思の赴くまま、自在に操ることができた。
ただし、生半可な技量では、この無数の刃片を思い通りに操縦することは愚か、磁力の糸によって結びつけられた状態を維持することも難しい。いまのミリュウならば呼吸をするような容易さで操れるものの、召喚当初は、困難を極めたものだ。
『およそ、な。精確な数をいえば二千十九体だ』
「精確な数まで把握してるなんてさすがです!」
『ふっ……当然のことだよ、エリナ』
ウルクナクト号の機関室で格好つけているマユリ神の姿を脳裏に思い浮かべて、ミリュウは、口の端を緩めた。マユリ神は、どういうわけか、エリナの前では格好をつけたがるところがあった。エリナのことを気に入っているのだろう。それは、エリナが純粋にマユリ神のことを敬い、慕っているからであるからだし、そこに一切の邪念や他意が存在しないからに違いない。ミリュウにせよ、セツナにせよ、同じように純粋な気持ちで敬っているつもりではあるのだが、やはり、女神との契約を結んだとでもいうような関係性もあり、必ずしも無垢ではいられないのだ。要するに、エリナのようにただひたすらにマユリ神を敬慕しているだけではないということだ。それがマユリ神には丸わかりなのだ。
「当然、敵指揮官の居場所もわかっているのよね?」
『当然、捜索中だ』
「そこ、当然なのかしらね?」
ミリュウは腕輪型通信器を一瞥し、すぐさま前方に視線を戻した。ミリュウたち三人が降り立ったのは、サーファジュール外周城壁最西端のちょっとした出っ張り部分であり、この場所に待機していた神人たちは既に撃滅している。
超高空からの降下は彼女をして悲鳴を上げさせることとなったものの、それもいまや昔といってよかった。いまはそんなことよりも、集結しつつある敵をどうにかしなければならない。
敵は、幾重もある城壁の上を移動して、こちらに向かっている。神人、神獣が数十体だ。いずれも低強度のようだが、油断は禁物だ。人間ではない以上、気を抜けば痛い目を見ることになる。
『船の所在地を考慮したまえ。ウルクナクト号は現在、サーファジュールの遙か上空に浮かんでいるのだ。神人神獣はその独特の気配から判別できるが……人間はそうはいかない。まあ、おまえたちが強襲してくれたおかげですぐに判明するだろうがな』
「どういうこと?」
『おまえたちが暴れれば暴れるほど、敵襲に関する情報が動く。そういった情報の終着点はどこか。答えは簡単』
「なるほどね。あたしたちはとにかく神人、神獣の殲滅に徹すればいいってことか」
『そもそも、神人、神獣を殲滅することが作戦の第一段階だといっていただろう』
「わかってるわよ」
呆れ果てたようなマユリ神の反応に口先を尖らせながら、彼女は、ラヴァーソウルの刃片による術式構築を加速させた。高速詠唱と呼ばれる魔法技術の再現であるそれは、長大な呪文を圧縮することによって詠唱時間を短縮する超古代の技術であり、レヴィアの時代には失われかけていたものだ。それをミリュウはレヴィアの記憶の奥底から引きずり出し、研鑽に研鑽を重ね、我が物としたのだ。もっとも、まだまだ完全とは言いがたく、簡単な術式の構築時間を短縮することにしか使えていない。
しかも、術式を加速させたところで時間がかかることに変わりはなく、その間、ミリュウは攻撃の的とならざるを得ない。
そして、その隙を見逃す神人たちではないのだ。
北東と南東、二方向に伸びる城壁上、群れをなして迫り来る神人、神獣たちが一定の距離まで達すると、突如足を止めた。大型犬が異形化したような神獣たちが足を踏ん張れば、白い巨人のような神人たちもまた、大口を開く。
「エリナ、あなたは自分を護ることに専念なさい」
「はい、師匠!」
威勢のいい返事とともにエリナがフォースフェザーの四色の羽を展開しただろうことを確信したのは、彼女が師匠であるミリュウの言いつけを護らないわけがないからだ。だからこそ、彼女をこのような死線に連れて行くことができる。もし、エリナが師の命令も聞かないような愚か者ならば、ミリュウは彼女がどれだけ懇願しても同行を認めなかっただろう。いやそもそも、そのようなものを弟子として扱うことはないのだが。
直後、幾重もの咆哮が聞こえた。広大なサーファジュール市内を恐怖に陥れると想えるほどの奇怪な咆哮とともにミリュウの視界は真っ白に染まった。無数の光が瞬き、目の前の景色を塗り潰したのだ。それがなにを意味するのかわからないミリュウではない。神人、神獣たちの一斉攻撃。それも、左前方、右前方からの同時攻撃であり、回避するのは困難に想えた。しかし。
視界を灼いた膨大な量の閃光は、そのほとんどがミリュウたちの元に届くことはなく、いくつかの光弾がミリュウの眼前でなにかに激突したかのように爆ぜただけだった。女神の加護が光弾を撥ねのけたのだが、それ以外の攻撃はすべて、ミリュウの前方の虚空に吸い寄せられるようにしてその進路を変えていき、そして、暗黒の闇そのもののような球体に飲み込まれ、消失した。
ダルクスだ。