第二百四十三話 光の龍
ファリア=ベルファリアと名乗った女は、強く、気高く、美しかった。
クルードは、光竜僧の柄を握りしめながら、彼女と彼女の召喚武装を眺めている。オーロラストームといったか。雷光を放つ兵器だ。弓のように構えているところを見る限り、呪文の中では弓と指定されたのだろう。が、実際に召喚されたものは、弓とはかけ離れた兵器であり、彼女も戸惑ったに違いない。
オーロラストームは、怪鳥が翼を広げたような形状をしている。弓の中心には化け物じみた鳥類の頭部を模した装飾があり、その嘴から雷光が放たれる仕組みになっている。その上下に伸びているのが怪鳥の翼である。翼は結晶体によって飾り立てられており、雷光を放つ直前、その結晶体が燐光を放つのがクルードの目には見えていた。雷撃の威力が高ければ高いほど、結晶体の発する光も強くなっている。雷光の発生装置といえるのかもしれない。
オーロラストームは、何種類もの雷撃を撃ち分けることができるようだ。人体にほとんど影響を及ばさないくらい微弱な、けれども見た目には警戒せざるをえないほど巨大な雷光を発生させることもできれば、一条の矢のように放つこともできる。莫大な光の束として撃つこともできるようで、それによって自軍部隊に被害が出たのは想定外のことだった。威力、質量、射程――召喚者の意志ひとつで変化するのだろう。
ファリア=ベルファリアという人物そのものは、どこか近寄りがたい空気を纏った女だった。青みがかった髪が月光に照らされ、眼鏡の奥の目が冷ややかな光を湛えている。ミリュウとは異なる性質の美人だ。ミリュウが情熱の赤ならば、彼女には冷酷の青という印象を抱く。クルードの勝手な心証にすぎないが、当たらずも遠からずといったところだろう。
眼鏡をかけているのは、目が悪いからなのだろうが、大陸北部の出身であるという証でもあるのかもしれない。視力を補助するという眼鏡は、高級品である上、小国家群には出回っていないのだ。ここ十年で流通が変わっている可能性もなくはないが、龍府やルベンで眼鏡を取り扱っているのを見たことはなかった。おそらく、いまだに高級品であり、市場にはそんなに出回っていないのだろう。眼鏡が発明されたのは空中都市リョハンともヴァシュタリア共同体のいずれかだともいわれているが、小国家群の人間からしてみればリョハンもヴァシュタリアも同じ北の国だった。
軍服の上に軽装の鎧をまとっているが、その服は、さっきの雷撃でぼろぼろになっていた。右の太腿の辺りが破けているのは、光弾が掠ったからに違いない。足を潰そうとしたのだが、上手く避けられてしまった。反応が早い。さすがは武装召喚師といったところだろう。しかし、彼女はクルードには勝てない。力量の差も去ることながら、クルードには負ける要素がないのだ。
(光竜僧を手にしている限り負けることはない)
胸中で再確認するまでもなく、彼は、この槍を手にしている限り無敵だった。奇襲されようが、強襲されようが、どれだけ凶悪な攻撃を叩きこまれようが、光になれば、すべて通過していく。
光竜僧は、使用者の肉体を光に変じるという能力を持っているのだ。魔龍窟の武装召喚師が学ぶ召喚武装は凶悪な性能を秘めているのだが、中でも光竜僧は白眉といっていい。
火竜娘は破壊力に優れ、地竜父は地形をも変動させ、天竜童は大気を司り、双竜人はもうひとりの自分を作り出す。魔竜公は身体能力を極限に近く引き出し、幻竜卿は幻像を生み、召喚武装を複製する。どれもこれも、甲乙つけがたい代物だ。
だが、光竜僧ほどの攻防一体の力を持った召喚武装はほかになかった。
光化さえできれば、敵のあらゆる攻撃をすり抜けることができるのだ。そして、隙を見出した瞬間に攻撃に転じることができる。彼は光竜僧のおかげであの地獄を生き延びてきたといっても過言ではない。もっとも、召喚武装を共有するのが魔龍窟という地獄の理だった。対峙した敵に光竜僧を召喚されたこともあったし、そのせいで絶体絶命の窮地に陥ったのも覚えている。光竜僧の能力の理不尽さを思い知ったのはそのときが初めてだったし、それ以来、彼は光竜僧への思い入れを強くしたものだ。ちなみに、その窮地を救ってくれたのがミリュウであり、彼女の機転によって、クルードは生き延びたのだ。
クルードがミリュウの中に光を見たのも無理からぬことだったのだろう。
あの暗黒の世界で、彼女の存在は天から舞い降りた女神にほかならなかった。ミリュウがクルードを助けた理由はわからない。たまたま偶然だったのかもしれない。彼女としても、武装召喚師を殺さなくてはならなかっただけだろう。瀕死のクルードを殺すべきか、余裕を見せていた光竜僧の男を殺すべきか、ミリュウは迷ったのかもしれない。が、彼女は光竜僧の男を殺し、クルードの命を拾い上げた。
クルードは、ミリュウを護ろうと想ったのだ。自分はどうなってもいい。どうせ一度死にかけたのだ。いまさら生き延びようとも思わなかった。だが、自分のようなものを救ってくれた彼女には、生きて欲しい。生きて、陽の光を浴びて欲しい。
そう想っていた。
(いまは違う)
胸中で頭を振り、苦笑する。
ミレルバス=ライバーンによって、地上に迎えられてしまった。天将位を授けられ、奇しくも天将になってしまった。陽の光の下で、生を実感してしまった。ミリュウとともにある生を、認識してしまった。光に満ちた世界で見る彼女の表情は、闇の世界よりも余程美しく、女神の実在を信じてしまいかねないほどだった。
クルードは、死を恐れるようになった。生きて、彼女の側に在り続けたいと思うようになってしまった。恐れが、彼の光竜僧への依存を強めている。
オーロラストームの結晶体が燐光を帯びた瞬間、彼は光竜僧の力を使った。光化し、蛇行しながら迫ってきた雷の帯を回避する。光化は解かず、さらに球体化して重力の楔からも解き放たれる。空中へ移動し、敵の雷撃を誘う。ファリアは、光球化したクルードの軌道上に雷の矢をばら撒くが、もちろん彼に触れることはない。光球と重なってもすり抜けていくだけだ。電熱も感じない。
光竜僧を手にしている限り、恐怖が過ることはなかった。むしろ、心にゆとりができるのだ。だからこそ、相手のことをじっくりと観察できるし、わずかな変化からつぎの行動を予測することも難しくない。それもこれも余裕があるからだ。負けることはないという安心感は、彼の思考を、むしろ冴え渡らせている。
移動先に向けて放たれる雷撃も当然のようにすり抜ける。光球になれば、ただの光化とは違い、自由に移動できるというのは大きな利点だった。重力の支配からも解放され、上下左右、どこへでも飛んで行くことができるのだ。
しかし、この状態で自由自在に移動できるようになるには、相当な訓練が必要だった。重力が失われるということは、移動の基準が失われるのと同じだ。天地の別がなくなり、浮遊感と不安に襲われる。しかしそれも要領を掴むまでの問題にすぎない。いまや彼は光球状態で自由自在に移動できた。ただし、自由に動き回るときは、速度を出すことができなかった。直線軌道でのみ、最高速度を出すことができる。
ファリアが天に向かってオーロラストームを掲げた。クルードは、その射線にはいない。そのころには彼女の背後に回りこんでいる。実体化する。が、ファリアが雷光を放つとともにこちらに振り向く。早い。オーロラストームで殴りつけてくるが、それは光竜僧の柄で受け止めた。金属同士が激しくぶつかり合い、悲鳴を上げた。ファリアは、不敵に笑っている。
「気にいらんな」
クルードは、目を細めた。