第二千四百三十五話 後始末(三)
「見ればわかるだろうが、あれは神に毒されたものたちの成れの果てだ。人間と……犬かなにかの動物だろう。あれらがサーファジュール市内の各所にいる。二千を超える数のあれがな」
「そんな馬鹿な」
セツナは、思わず声を荒げた。にわかには信じがたいことだったが、映写光幕の映像を疑うのはマユリ神を疑うのと同義であり、故に彼は混乱しなければならなかった。
「各戦線からの報告に目を通した限りじゃ、神人の参戦なんて確認されなかったんだぞ」
「どういうこと?」
「サーファジュールの連中が神人を使役できるってんなら、東西決戦で大いに利用しているはずだろ? けど、そんな報告は一切なかった。東西の未来を決める総力戦だ。出し惜しみをしている余裕なんてあるわけがない」
「なるほどね……」
「セツナの考えている通りだ。抵抗軍の指揮官なりなんなりが神人、神獣を使役することができるのであれば、西帝国との戦いにおいて積極的に運用していただろう。だが、それはなかった。つまり、神人、神獣は、抵抗軍が誕生した後に合流したと考えられる。その指揮官もな」
マユリ神が冷ややかに告げてくる。
「ネア・ガンディアの連中か?」
「どうだろうな。ネア・ガンディアの獅徒や神々ならば移動のための方舟が見つかるはずだが、それもない。世に神々は満ちた。数多の神々がヴァシュタラより分離し、野に下ったのだ。そういった神々のうちの一柱が気まぐれに人間に力を貸すことは、可能性としてないわけではない」
「……そうだな」
女神の推論には、セツナも納得せざるを得なかった。確かに女神のいうとおりだ。サーファジュールの抵抗軍の背後にネア・ガンディアがいるのであれば、彼らが移動用に利用する方舟の存在がどこかで目撃されているはずであり、ウルクナクト号以外の方舟の発見は、即座にニーウェハインの元に届けられるはずだった。さらにいえば、マユリ神は常に空を警戒しており、方舟の気配を確認すれば、セツナたちに報告しただろうがそれもなかった。
方舟は、神威を動力に変換している。つまり稼働中の方舟、ただの神威とは異なる独特の空気、気配を発しており、方舟の機能を用いれば、かなり遠方であってもその存在を感知することができるのだ。故にマユリ神が確認していないのであれば、ネア・ガンディアによる介入はないだろう。
そもそも、ネア・ガンディアがそのようなまどろっこしい手を使うとは考えにくい。
ネア・ガンディアが介入してくるときは、対象領域の制圧、掌握を目的とした軍事行動だろうし、その場合、それ相応の戦力を派遣してくるに違いない。ログナー島制圧に獅徒と神属だけを派遣してきたこともあったが、あれも相応の戦力ではあったのだ。もし、セツナたちがいなければ、ログナー島はたやすく制圧されていたのは火を見るより明らかだ。
それくらい、獅徒と神属の組み合わせは強力無比であり、もしサーファジュールにその組み合わせが投入されているようなことがあれば、セツナたちも覚悟しなければならなかったが、どうやらその様子はなさそうだった。
ただし、ネア・ガンディアとは無関係な神属の影が確認されてもいる。
神人、神獣は、白化症の末路だ。白化症罹患者の成れの果て。人間などの元の生物とはなにもかもが異なる別種の存在へと変わり果てたそれらは、通常、制御ができない。ただ暴れ回り、破壊と殺戮の限りを尽くすため、元人間だということがわかっていても滅ぼす以外の対処法がない。治療手段がないのだから、致し方がない。しかも、完全に神人化した人間や神獣化した動物は、体内のどこかにある“核”を破壊しなければ無限に近く行動し続けるという厄介な特性を得る。
故に西帝国では白化症の症状がある程度進んでしまった罹患者への対応として、命を絶つことを勧めてさえいた。そうしなければ、末期症状に陥った罹患者によって多くのひとびとの命が奪われるからであり、実際に何度となくそのような事件が起きているからだ。
ニーウェハインが己の未来に絶望したのも当然だったし、彼の気持ちもわからないではなかった。
セツナに自分の代わりを務めさせることで帝国の安定を図り、自分の命を絶つ。それにより、自分が異形の怪物と成り果てるような最悪の未来を防ごうと考えていたのだ。そうしなければ、自分だけでなく、自分の愛するひとびとまで不幸に陥れてしまいかねない。傷つけてしまいかねない。
そんなことを許せるニーウェハインではないのだ。だから彼は死にたがった。治療法のない白化症を発症してしまった以上、いずれは他の末期罹患者のように怪物と成り果て、破壊の限りを尽くすしかない。それならばいっそ、みずから命を絶ち、被害を未然に防ぐのが最良の選択ではないか。ニーウェハインがそう結論したのも無理からぬことだ。セツナは、マリアが治療法を探しているからと思い止まらせたが、それで本当に納得したのかどうかはわからない。マリアが治療法を確立させられるかどうかも不明だったし、仮に確立できたとして、そのときにはニーウェハインは手遅れかもしれないのだ。
だが、それでも、セツナは、彼には生きていて欲しかったし、諦めて欲しくなかった。ニーナや三武卿といった彼を慕うものたちのためにもだ。
セツナは、そのために東西帝国の戦いに終止符を打ったようなものだ。ニーウェハインが己の病の治療に専念するには、彼の負担を軽くする以外にはない。それには、東との争いを終わらせるのが一番だろう。統一帝国になったことで皇帝の仕事が増えるのも間違いないが、東帝国対策に頭を悩ませる必要がない分、時間が取れるはずだ。
治療法はいまのところ存在しないが、なにか方法を考える時間はできる。その時間がニーウェハインには必要なのだ。
ふと、ニーウェハインのことを考えている自分に気づき、彼は胸中で苦笑した。どうしようもなく、彼のことを考えてしまうのは、彼が元々同一存在だったからというのが大きく、つぎに自己犠牲的なまでに献身的な人物だということがわかっているからだろう。そんな彼には幸せになってもらいたかった。
だから、だろう。
「神人神獣が二千程度だけならば特に問題はなさそうだけど」
「まあ、マルウェールの惨状に比べればどうってことないわよ」
「……まったくだな」
セツナは、ファリアの意見に同意しながら、ザルワーン島の都市マルウェールそのものを神人の巣窟へと変えたネア・ガンディアのやり方を思い出して苦い顔をした。腹の底から怒りが湧いてくるが、それをぶつけるべきはネア・ガンディアであり、目の前の敵ではない。
「彼らに力を貸している神様は見当たらないんだろう?」
「うむ。強い神威は感じられない。しかし、油断は禁物だ。神人、神獣が制御されているということは、神に力を与えられたものがいるということにほかならない」
「それがゼネルファー=オーキッドなんじゃないの?」
「その可能性は高いな」
セツナはミリュウの考えに同調しながら、映写光幕を睨んだ。抵抗軍の統率者でもなければ、神人、神獣を軍に参加させることは難しいだろう。たとえばただの兵士が神人を使役できたとして、それで抵抗軍に神人たちを介入させるのは余程のことでもないと無理ではないか。しかし、陸軍大将ほどの人物ならば、部下を強引に納得させることも不可能ではない。
そう考えれば、納得も行くというものだ。
ただ、陸軍大将が神人たちを使役しているとして、その能力を得たのはつい最近の話と考えるべきだろう。でなければ、東西帝国の戦いに神人を投入しているはずなのだ。そうではない以上、サーファジュール占拠後に得た能力と見るべきだろう。つまり、彼に神人使役能力を与えた神がどこかにいるということだが、サーファジュールにはいないというのだ。
もしかしたら、別の抵抗軍に接触しているのではないか。
悪い予感にセツナは頭を振り、女神に視線を戻した。
「神人たちの配置場所を表示することは?」
「可能だ」
マユリ神は、勝ち誇るように告げてきて、映写光幕をさらに大きく表示した。