第二千四百三十四話 後始末(ニ)
大陸暦五百六年八月十二日。
ミズガリスの降伏から十四日が経過している。
そのころになると、東帝国領土のみならず、南ザイオン大陸全土に東帝国の敗北が知れ渡っており、西帝国による大陸の統一がなされるだろうという見解は、統一帝国成立への大きな追い風となった。南大陸において帝国が真っ二つに分かれ、相争っていたという事態は、帝国臣民にとって喜ばしいことでもなんでもなく、嘆かわしく、ただ悲痛なだけの出来事であり、統一帝国の成立によってそういった争いがなくなるということほど嬉しいことはなかった。
故に、敗戦したはずの東帝国領土の各地においても歓喜の声が上がっていたし、ミズガリスの降伏宣言をむしろ英断であると賞賛する声さえ聞かれた。もちろん、皇帝を僭称していたミズガリスをいまさらのように罵倒する声もあれば、ミズガリスを支持していたものに対する風当たりの強さたるや、凄まじいものがあるようだが。
いずれにせよ、南ザイオン大陸は、統一帝国の誕生に向かって、ゆっくりと、しかし確実に進んでいるという状況だった。
そんな状況に水を差さんとするのが、各地の東帝国軍残党だ。統一帝国政府は、彼らを抵抗勢力と呼んでいるが、要するにミズガリスの降伏に納得のいかない連中の集まりであり、現状認識もできない哀れなものたちといっても過言ではない。もちろん、決して同情できないわけではないのだが、現状を把握することもできないまま、一時の感情に流され、その勢いのまま抵抗を続けようとする連中に関していえば、哀れとしかいいようがない。
とはいえ。
『各員に通達。サーファジュール近郊に到達した。機関室に集合せよ』
方舟内においては司令官染みた言動が板に付いてきた感のある女神からの通信がセツナたちの元に入ったのは、八月十二日の午前中のことだった。
セツナは日課としている午前の鍛錬を終えたばかりということもあり、全身を流れる大量の汗を拭い、着替えた上で機関室へと向かった。
「全員、集合したようだな」
女神は、いつものように機関室に備え付けられた巨大な水晶球の上に鎮座しており、機関室に集まった一同の顔を見回して、悠々とうなずいた。機関室に集まったのは当然、戦闘要員だけであり、非戦闘員のゲイン、ミレーヌ、ネミアの三人はそれぞれの仕事に従事しているか、休憩している頃合いだろう。作戦会議だ。非戦闘員まで参加させる必要はない。
「わりと早かったわね」
「最近、調子がいい上、乗せている人数が少ないからな。船の負担も少ないのだろう」
ミリュウが喜ぶと、マユリ神も自分のことのように告げた。ウルクナクト号は長らく不調に陥っていたのだが、どういう理由からか調子を取り戻しつつあるらしい。方舟は、神すらも知らない技術によって作られた船だ。もしかすると、自己修復機能でも備えているのかもしれないし、仮にそうだったとしてもなんら驚くようなことではなかった。神の力で動き、飛び回り、攻撃も防御も可能な船だ。どのような機能が備わっていたとしても、不思議なことではない。そしてそれをマユリ神が把握できなかったとしても、だ。
そのような船が大量に建造され、ネア・ガンディアの世界侵攻に利用されているという事実には脅威を抱くべきだろうが。
「さて。皆に集まってもらったのはほかでもない。サーファジュールの様子を見てもらいたいからだ」
「ん? 作戦会議じゃないのか?」
「それもあるが、まずは――」
セツナの疑問は軽くいなされる形で流れ、女神が指し示した虚空に視線を向けることとなった。すると、機関室の天井付近に光の板のようなものが出現する。映写光幕とセツナたちが呼んでいるそれは、ウルクナクト号の“眼”が捉えた船外の光景を投影する光の幕であり、そこには現在、帝国領土に数多く存在する大都市のひとつが映し出されていた。いわれずともわかる。
サーファジュール。
ミリュウがマユリ神に尋ねる。
「サーファジュールを上空から捉えた映像よね、これ?」
「うむ」
「難攻不落を絵に描いたような要塞でございますね」
「確かにな。だがこっちにゃ武装召喚師に召喚武装使いが勢揃いだぜ。これくらいの要塞、なんてこたあねえ」
ありふれたレムの感想に対して、シーラが力強く笑った。彼女の獰猛な笑みを見れば、サーファジュールの堅牢な要塞然とした外観も、まったく大したものではないように想えてくる。
実際問題、セツナたちにしてみれば、どれだけ堅牢な要塞だろうと、大きな障害にはなりえない。
確かにレムが評したようにサーファジュールは絵に描いたような難攻不落の要塞都市だ。皇魔対策のために城壁に囲われているだけの都市とは比べものにならないのは、都市を囲う幾重もの城壁と堀、各所に聳える塔などを見れば一目瞭然だ。幾重もの城壁に護られた内側には堅固な建物群が待ち構えており、これを通常戦力で突破するのは至難の業だろう。
都市そのものの規模が大きい。
小国家群における大都市の数倍の規模といえばわかるだろうか。拡張後の王都ガンディオンを丸呑みしてもまだ余るくらいの巨大さだ。当然、収容できる兵数も多いだろう。抵抗軍将兵三万を入れても余裕があるはずだ。
通常戦力ならば、その何倍もの兵数を用いてようやく対等以上に戦えるといったところだろうか。
本来ならば、統一帝国政府が自前の戦力でもってこの難攻不落の要塞都市の攻略に当たることになっていたのだ。そしてその場合、統一帝国軍十万から十数万が投入されただろうし、多大な被害を出しながら、やっとのことでサーファジュールを制圧したことだろう。
抵抗軍の将兵は大半が通常戦力だが、武装召喚師がいないわけではない。たとえ統一帝国軍が武装召喚師を全面に押し出したとしても、敵武装召喚師の存在故、多少の被害は免れ得ないのだ。その多少の被害がどの程度のものかは考えるだけ無駄なことだが、いずれにせよ、統一帝国政府にとって、立ち上がったばかりの一番大事なときに損害を出したくないと考えるのは当たり前のことであり、ニーウェハインがセツナたちを頼るのも無理のない話なのだ。
抵抗軍の将兵もまた、元は帝国人なのだ。ひとりでも多く、その命を救いたいというニーウェハインの気持ちもわかっている。統一帝国軍の軍勢を繰り出せば、敵味方に多大な被害がでるのは先もいったとおりだが、そのために数多くの命が失われることをニーウェハインが危惧するのも無理からぬことだ。
「姫さんのいうとおりだ。三万程度、大将御一行に敵うわけがねえ」
「どれだけ堅牢な要塞に籠もっていようと、ね」
エスクが息巻くと、ファリアが小さく肯定する。ダルクスが軽くうなずいた。
本来ならば大軍と認識するであろう三万という兵数も、いまや自分たちにとっては大した戦力ではないという認識に変わりつつあるのだ。それもこれも、この帝国領土での戦いが大きい。いずれも自分たちの人数を遙かに上回る数の敵を相手にし、それぞれ圧倒的大勝利を収めてきている。数万の将兵をほとんど殺すことなく撃退せしめたこともあった。そういった積み重ねが、自信に繋がっているのだ。
「勇ましいのはいいが、皆に注目して欲しいのはそういうことではない。わたしとて、おまえたちの実力をそれほど小さく見てはいないよ」
マユリ神が映写光幕を一瞥すると、映写光幕自体が大きくなった上、サーファジュールの一部分に焦点を当てるようにして拡大して表示されていく。サーファジュールは城壁の四方に大きな出っ張りを持つ都市なのだが、その北側の出っ張りの上部を女神は注目しろといった。
そこには、純白異形の獣を連れた同じく純白異形のものがいた。
「あれは……」
セツナは、それを目の当たりにした瞬間、嫌な予感を覚えるほかなかった。
神人と神獣だ。