第二百四十二話 雷光の輪舞
ファリアの放った極大の雷撃は、クルードにたやすく回避された。彼は、召喚武装・光竜僧の能力によって肉体を光へと変じることができるのだ。光と化した彼には、オーロラストームの矢は通じない。それは、これまでの幾度とない射撃で判明済みの事実であり、いまさら再確認する必要はない。
空間を歪めるほどの巨大な雷光の帯が、光化したクルードをすり抜けていく。
「無駄だよ。わかっていたことだろう?」
雷光が遙か後方に至ったのを認識したのか、クルードが実体に戻った。彼は槍を構えもしていない。そんな必要もない戦いだと思っているのだ。いや、戦闘とは思ってもいないのかもしれない。彼のような能力を持てば、常に余裕綽々な態度になるのもわからなくはない。どんなに突然の攻撃に対しても、光にさえなれれば無力化できるのだ。
「そうね。でも、無駄なのはあなたにだけでしょう?」
「ん?」
クルードが怪訝な表情をした直後、彼の後方から悲鳴が聞こえてきた。オーロラストームの雷光が敵陣に直撃したのだ。直線上に敵軍が位置するように、ファリアは移動してきていた。まかり間違って自軍に攻撃しないように、敵軍の前線ではなく後列が射線に入るように位置取りしてもいた。ファリアは最初から、クルードを狙ったわけではないのだ。味方への援護射撃だった。
同時に、クルードへの牽制でもある。彼が光化しなければ回避しきれないほど巨大な雷光を撃ったのもそのためだ。いくら彼が敵の攻撃への対応を光化に頼っている節があるとはいえ、召喚武装で弾かれるような矢を放っても意味がない。
それにクルードは光化している間、攻撃してこなかったことも大きい。おそらく、攻撃できないのだ。無敵の盾に攻撃力がないように、光化にも攻撃能力がないに違いない。召喚武装の能力とは、一長一短があることが多い。もちろん、例外や規格外も存在するのだが。
ここに至るまでの戦闘は、ファリアに少なからぬ情報をもたらしていた。おかげで、クルードとの戦い方がわかった。いや、厳密には彼との戦い方ではない。彼を利用し、味方を援護するという方法である。彼が光化して避けた矢が敵軍への攻撃となる。とはいえ、そう何度もできることではない。現に、クルードは歩き出している。
「なるほど。よく考えている」
彼は、こちらの射線がガンディア軍に向かうように移動しているのだが、ファリアがその場に立ち止まっているわけもない。やや左に回りこむように移動しながら、敵陣への射線を維持する。そして、矢を放つ。今度は、威力と射程を優先した雷撃だった。クルードは再び光化し、回避した。雷光の帯は、敵陣へと向かっていったはずだが、どうなったのかはわからない。離れすぎていて確認ができないのだ。悲鳴も聞こえなければ、手応えなどあるはずもない。
「あなたを倒さなくとも、あなたの部隊が壊滅すれば、同じようなものよね」
「そうかな? 俺たちさえ生き延びれば、どうとでもなるさ」
光化したまま、クルードが迫ってくる。追いかけて来ていたときよりも数段早い。彼はファリアの眼前で光化を解いた。槍を振り下ろしてくる。オーロラストームで受け止め、瞬時に後退する。右腕にかかった衝撃の重さに辟易しながら、矢を連射する。射程の短い高威力の雷撃。やはり、彼は光化して迫ってくる。光の球となって雷撃をすり抜け、さらにファリアの体をも通過していく。
「くっ!」
肉体を通過されることの得体の知れぬ気味悪さに、ファリアは寒気を覚えた。同時に、背後に向き直りながら、極大の雷光を放つ。敵の実体化を中断させ、その隙に距離を取る。一定の間合いを保っている限り、クルードに負けることはないだろう。
眉間にしわを寄せたのは、体の中を覗かれた気がして不愉快だったからだ。
極大の雷光は、クルードにかわされると、しばらく飛翔してから消失した。威力と質量に重点を置いた矢の射程距離など、その程度のものだ。ただし、当たれば痛い。人間なら即死する。もっとも、通常の射程の矢であっても、急所に当たれば即死するのだが。
「これでは戦いにならんな」
実体化したクルードが肩を竦めていってきたので、ファリアは冷ややかに告げた。
「こっちの台詞よ」
実際、そうとしかいえなかった。クルードはどんな状況にあっても、光竜僧さえ掴んでいれば、光化できるのだ。光化すれば、彼は無敵だ。こちらの射撃はまったく意味をなさず、虚しいばかり。光化させることで、攻撃させないというのはファリアの身を守る上では有効ではあるのだが、それではどちらかが力尽きるまで同じことの繰り返しになるだろう。そして、どちらの精神力が先に尽きるのかはわからない。
ファリアには、祖母に鍛え上げられたという自負がある。しかし、相手は、魔龍窟の武装召喚師なのだ。どれだけ鍛錬を積んだのかなど、ファリアには想像もつかない。もしかしたら、ファリアよりも実力があるかもしれないのだ。
「ふっ。それもそうか」
クルードは、なにがおかしいのか鼻で笑った。そして、光竜僧の穂先をこちらに向けて掲げる。ファリアは嫌な予感がした。オーロラストームの射線を男に合わせたとき、光竜僧の切っ先が光を帯びた。大気が震え、咆哮が聞こえたかと思うと、閃光が視界を灼いた。咄嗟に左に飛んでいる。なにかが右の太腿を掠めた。熱を感じ、つぎに痛みがあった。直撃ではないが、食らったらしい。視野が正常に戻る。クルードはいない。
(早い!)
殺気は頭上。クルードが実体化し、槍をこちらに向けてくるのを、ファリアは他人事のように認識していた。オーロラストームの嘴は、足元に向いている。ファリアは足の間に向けて、最大質量の雷撃を放った。雷光は、地面に激突するとともに炸裂し、嵐のように吹き荒れる。ファリアの全身に軽い電熱が走るが、その瞬間には彼女は駆け出している。案の定、クルードは余波を恐れて光化して逃れていた。
ファリアは、クルードの光弾攻撃を防ぐために、わざと自身をも巻き添えの雷撃を放ったのだ。範囲と質量こそ最大にしたものの、威力は最低にまで絞っている。たとえクルードが食らったとしても、攻撃行動を阻害されることはなかったのだが、彼にそんなことが察知できるはずもない。
クルードは、ファリアの視界に着地している。彼は、ファリアが窮地から脱するために取った方法に驚いているようだった。
「自分を致命傷から救うために傷つけるか」
「そうでもしないと、あなたには勝てないわ」
ファリアは、衣服がぼろぼろになってしまったことが気にはなったが、戦闘中、見た目に気を使っている余裕はない。服の上に纏った鎧には傷ひとつついていない。髪は多少焦げてしまったかもしれないが、電熱による後遺症のようなものは残っていなかった。右太腿の傷も、大事には至らなそうだ。全身、存分に動く。
オーロラストームを構える。
クルードは、またしても無造作に立っていた。どんな窮地から脱しようと、ファリアなど取るに足らぬ相手としてしか認識していないのだ。
「勝つつもりなのか」
「おかしい?」
「……いや、勝利のために貪欲なのはいいことだ」
「余裕ね」
ファリアは、彼のような人間が気に食わなかったが、表情にも出さなかった。生殺与奪の権利を握っていると過信し、ふんぞり返るような、そんな人間にだけはなりたくないし、なるつもりもない。
「当然だろう? 君だって、この力を持てば同じように振る舞うさ。いや、君が雑兵どもを相手にしているのと同じ感覚、といったほうが正しいか」
「雑兵……」
つぶやきながら、彼女は胸中で彼の考えを否定した。ファリアはどんな戦場であれ、彼のように余裕の振る舞いをしたことはない、いつだって全身全霊を込めて戦ってきた。でなければ生き残れないと信じていた。敵がたとえ召喚武装を持たない普通の兵士であっても、手を抜くような真似をすれば、出し抜かれるのは自分のほうだ。気を抜けば死ぬ。戦場とはそんなものだ。
セツナだって、そう。
彼のような凶悪な力を持ったものでさえ、油断をすれば命を落とす。
(勝ち目はある)
ファリアは、クルードを見据えながら、確信を持った。付け入る隙があるのだ。
「否定できるかね?」
鷹揚に問いかけてきた男に対して、ファリアは、静かに言い放った。
「そうね。あなたを倒してから、否定させてもらうわ」