第二千四百二十八話 統一へ(四)
「確かにミナのいうとおり、皇帝を僭称する帝国史上最大の罪を犯したミズガリスは許されないし、彼に荷担したものもすべからく許すべきではないだろう。全員が全員、帝国における最大級の罪を犯したといっても過言ではないのだ。皇位継承権も持たないものが皇帝を名乗り、新たな帝国を起こすなど、帝国を根底から覆す行いにほかならない。それは、ミズガリス個人の暴走によるものだが、当然のことながら、ミズガリスがただひとりで行えることではない」
ニーウェハインは、淡々と話を進めていく。
至天殿・理聖の間は、いわば帝国最大の会議室であり、広大な空間に無数の椅子が円状に並べられている。その無数の椅子のすべてが参加者によって埋め尽くされているわけではないところを見ると、本来であれば、東西帝国のみならず、北ザイオン大陸に散ったひとびとをも合わせ、膨大な数の人間が参加するような大会議が開かれるための一室のようだった。帝国政治の中心といっても、過言ではあるまい。
とはいえ、理聖の間は、普段から使われているわけではなく、今回のような帝国において重要な話し合いが必要なときにのみ利用されるという話も聞いていた。
「彼は国を興したのだ。ザイオン帝国と名乗る新たな国をな。それをただのひとりで成し遂げたのであれば、賞賛に値するが、無論、そんなわけはない。数多くの人材が彼に協力し、彼の新国家設立に尽力した。ミナのいうように、それら協力者もまた、同罪という考えもある。いや、実際、同罪だろう。それら協力者は、ミズガリスが正当な皇位継承者ではないことを知りながら、皇帝を僭称していることを知りながら、喜び勇んで手を貸し、力の限りを尽くし、新たなザイオン帝国を作り上げた。帝国において、これ以上の罪をわたしは知らない」
皇帝の冷徹極まりない理論には、反論の余地もないように想えたし、セツナも、ここからどうやってミズガリス擁護に話を持って行くのか、興味津々だった。ニーウェハインは、ミズガリスを殺さないつもりだということは、セツナには伝えているのだ。ミズガリスの有能さは、彼が東帝国皇帝として十全にやってこられたという事実からもわかる。それほどの人物を失うのは、惜しい、と、ニーウェハインは考えているようだ。それもこれも帝国のためであり、臣民のためというのが、なんともニーウェハインらしい。
自分の感情など、どうだっていいのだ。
彼が己の感情を優先するのであれば、どうであれ、ミズガリスの処断に動くはずだ。仮にミズガリスになんの落ち度がなかったとしてもだ。それほどまでの扱いを彼はミズガリスや上の兄弟から受けている。彼が己の感情よりも、帝国の、帝国臣民のことを第一に考える人間で良かったと認識するべきは、ミズガリス以外の兄弟たちもだ、と、セツナは想っていた。
ミルズもエリクスもマルスも、西帝国成立に尽力し、成立後は東帝国の打倒に奔走していたのだが、だれもかれも、ニーウェハインに恨まれて当然のことをしてきている。
それは、ニーウェハインことニーウェが皇帝になることなどありえないという前提が、兄弟の共通認識としてあったからだろうが、それにしても酷いものだった。ニーウェの記憶を垣間見ただけのセツナですら、ニーウェの兄弟に対する嫌悪感を抑えきれないくらいなのだ。ニーウェ当人の感情など、推し量るべくもない。
ニーウェに対し慈しみの手を差し伸べたのは、ニーナを除けば、マリシアとイリシアのふたりしかいない。ほかの十数人は、いずれもニーウェに対し、常に辛辣だった。
セツナがニーウェの立場ならば、どうしただろうか。
感情の赴くまま、彼らを断罪したのではないか。
そう考えてしまいたくなるくらい、いまのミルズたちを見ると虫酸が走った。彼らはいま、平然とした顔でニーウェハインに仕えている。過去、自分たちがニーウェに対し、なにをしてきたのか、まるで覚えていないとでもいいたげにだ。実際、覚えていないのかもしれない。むしろ、いまでさえ、ニーウェハイン皇帝となったいま現在も、彼を内心見下しているのではないか。そんな気さえした。
「故に、それら協力者には、極刑をもって報いるべきであるというミナの意見は、至極当然といえる」
「……しかし、陛下……!」
「まあ、待て」
ニーウェハインは、反論を述べようとしたのだろうミルズを押さえ込んだ。
「ミルズ、エリクス、貴公らの意見もよくわかる。当時、ミズガリスが圧倒的な武力を誇っていたが故、従わざるを得なかったというのも一面ではあるのだろうし、だれもが嬉々として彼に従ったわけではないことは、現状を鑑みればわかるというものだ」
ニーウェハインのいう現状というのは、彼らが帝都に辿り着き、身分安堵のお触れを出した直後、至天殿に帝都中のひとびとが押し寄せた事実をいっているのだろう。その反応を見れば、帝都市民のほとんど全員が、ミズガリス政権を心から支持していたわけではなく、武力と恐怖に屈していたのだろうということがわかるというものだ。もし、心の底から東帝国を支持していたのであれば、西帝国による統一に反感を抱いたり、反発するものだろう。だが、そういったものはほとんどいなかった。
下層民は無論のこと、上層民のほとんども、ニーウェハイン率いる西帝国首脳陣に頭を下げるべく、至天殿に殺到したのだ。上層民の中には、ミズガリスと懇意のものもいただろうし、ミズガリスに積極的な支援を行ったものもいたはずだが、そういった連中さえ、西帝国首脳陣には逆らわなかった。それはもちろん、帝都が抑えられ、東帝国皇帝が直々に降伏宣言を発したというのもあるだろうが、とりもなおさず、ミズガリスが必ずしも支持されていなかったことを証明しているのだ。
「つまり、ミズガリスに協力したすべてのものを裁くということは、そういったものたちまで裁く必要が出てくるということになる」
「畏れながら、陛下……それこそ、帝国のあるべき秩序のため、断行するべきではないかと」
ミナがおそるおそるといった風に口を開くが、その後続く言葉は堂々たるものだった。
「わたしをはじめ、数多くのものが陛下に仇なし、ミズガリスの皇帝僭称を支持し、東帝国による大陸統一のため尽力した事実は、陛下の帝国の将来にとって消し去りがたい暗影となりましょう。帝国の秩序のため、帝国の将来のためにも」
「帝国の秩序のためか」
ニーウェハインは、ミナの言葉を反芻し、静かに頭を振った。
「ならばなおのこと、それはできぬ相談だ」
「陛下……!」
「ミズガリスもそうだが、ミズガリスに与したものはいずれも無能ではない。むしろ、先帝の帝国において辣腕を振るってきた有能な人材ばかりだ。そして、そういったものたちの手によって帝国が支えられてきた事実を忘れるべきではない。帝国は、皇帝ひとりのものではないのだよ、ミナ。貴公は、わたしの帝国といったが、帝国は、臣民のためにあるべきものだとわたしは心得ている」
ニーウェハインが、遠くを見るようにして、告げた。
「そう、先帝に教わったのだ」
彼のその一言が理聖の間に集ったひとびとを沈黙させた。だれもがなにに想いを馳せているのか、セツナにも想像がつく。先帝シウェルハインは、最終戦争最終盤、“大破壊”発生と同時にほとんどすべての帝国将兵を帝国領土に転送している。おそらく、帝国の神ナリアの力を用いた転送の際、ニーウェは、確かにシウェルハインの声を聞き、その想いを知ったのだという。
シウェルハインは、ニーウェもニーナも、それに数多くの兄弟たちの身を案じ、また、将兵臣民のことも案じ続けていたというのだ。それ故の大転送であり、それ故のニーウェたちの生存なのだ、と、彼らは信じて疑わない。そしてそれは、セツナも嘘ではないと想っていた。
シウェルハインは、おそらくだが、大いなる女神ナリアの操り人形と成り果てていた。しかし、最後の最後、己を取り戻した彼は、女神の力を用い、帝国将兵を帝国領土に送り返したのだろう。そこには、シウェルハインの人間としての尊厳のすべてがあるのではないか。
「先帝は、最期のときまで、帝国臣民の無事を案じておられた。我々が今日こうして議論を戦わせることができるのも、いまのいままで、東西で相争うような愚行を重ねてこられたのも、すべては先帝の情けによるもの。先帝の想いを無下にはできぬ。そうだろう」
彼の意見に反論を述べるものは、いない。だれもが先帝への想いだけは強く持っているのだ。
「先帝は、ミズガリスやその輩の処断を望むだろうか。先帝がそれを望むのであれば、元よりミズガリスを生かすような真似はしなかったのではないか」
それはすなわち、先帝がニーウェとニーナを除く兄弟が、のちの争いの火種になると知りながら生き残らせたということをいっている。先帝シウェルハインは、ニーウェをこそ正当なる皇位継承者と認定した。そのことは速やかに帝国中に知らしめられ、だれもが知るところとなったが、ニーウェがほかの兄弟たちに疎まれ、嫌われていることを知らないシウェルハインではなく、当然、“大破壊”による混乱のただ中で、様々な思惑が渦巻くだろうことを想像できないシウェルハインではあるまい。
帝国の秩序という観点のみを考えれば、ニーウェとニーナを除く兄弟を生かす理由はなかった。
ミズガリスは無論のこと、ミルズも、マリアンも、エリクスたちほかの兄弟も、だれもがニーウェの敵となる可能性が低くない。であれば、転送せず、見殺しにすることだって考えられた。苛烈で冷酷無比なのがシウェルハイン帝の評価だ。そういうシウェルハインならば、当然、そうするものと考えられた。だが、現実にはそうはならなかった。
皇族はおそらくだれひとり欠けることなく帝国領土に転送されたはずだ。
南大陸にいない兄弟は、北の大地に転送されているに違いない。
そういう確信がニーウェハインにはあるようだった。
だからこそ、と、彼はいった。
「ミズガリスは、生かすべきだと想う」