第二千四百二十四話 戦場の支配者(六)
拘束したミズガリスとともに至天殿に入ったセツナたちは、そこで、東帝国において皇帝に次ぐ立場にいた人物と対面した。ラミューリン=ヴィノセアという薄着の妖艶な美女は、武装召喚師であり、東帝国軍における総指揮官の役割を果たしていた人物でもあった。そしてなにより、彼女こそがこの帝都の戦いにおける鍵だったという事実を知らされ、セツナたちは、驚きを持って彼女と話し合ったのだ。
ラミューリンの召喚武装・戦神盤は、戦場と認定した領域内における自軍戦力を自在に動かすことができるという極めて強力な能力を持っており、それによって帝都中の戦力をセツナたちにぶつけることができたということだった。さらにいえば、戦神盤は、戦場に存在する敵味方の戦闘力を視覚的に表現することもできるため、もっとも強力な敵に対し、戦力を集中させるといったことができるため、突出した戦闘力を誇るセツナに帝都の主戦力をぶつけるに至ったようだ。
そして、戦神盤の最大能力が、戦場の状態を開戦の瞬間に戻すというものであり、それはひとつの戦場につき一度しか使えないものの、敵の戦術を理解した上で時間を戻せば、敵の戦術の裏を掻くといった使い方もできるため、とてつもなく有用な能力といえるだろう。ただし、その戦場の認定基準というのは厳格であり、戦闘状態が持続していない限り、戦場認定が解除されるため、何日、何十日と続く戦争を開戦の初日に戻すことは不可能だということだ。そもそも、わずかな時間を戻すことさえ膨大な精神力を消耗するため、何十日もの時間を戻すとなると、人間では不可能だろうとラミューリンは告げた。
そもそも、何十日もの間、戦神盤を召喚し続けることさえ、人間業ではない。
ラミューリン=ヴィノセアこそが東帝国の隆盛を支えていたのだ、と、ミズガリスが胸を張って告げれば、ミズガリスという王の中の王たる方がいたからこそ、自分が輝けたのだ、とラミューリンはいった。ミズガリスとラミューリン、互いに深く信頼し合っているからこその東帝国の隆盛だったのだろう、とセツナは理解し、ミズガリスが皇帝として、統治者、為政者としては決して無能などではなかったということも理解した。
ミズガリスの統治については、ニーウェハインや西帝国首脳陣も決して否定的ではなかったし、むしろ評価していたのだ。ただ、ミズガリスが南大陸を統一するようなことがあれば、ニーウェハインをはじめ、西についたものたちの立場が危うくなる可能性もあり、東を打倒する必要があった。特に東を追われたミルズやエリクスなどは、ミズガリスを否定せずにはいられなかっただろう。ミズガリスは統治者としては有能だが、必ずしも上に立つ人間としては、優秀ではなかったのだ。
なにせ、神経質で気分屋かつ気難しく、機嫌を損ねるとなにをしでかすかわかったものではないというのだ。扱いにくいことこの上なく、かといって決して無能ではなく、むしろ優秀極まりないからだれもが扱いに困らざるを得ない。しかも皇帝という立場になり、絶対的な権力を得た彼には、なにものも逆らえなかった。かつて継承者争いの対抗馬として名を馳せたミルズも、皇帝ミズガリスハインの権力の前には無力そのものであり、ミルズはすべてをミズガリスに奪われ、恥辱の果てに彼の敵とならざるを得なくなった。
ミズガリスは、統治者としての優秀さと独裁者としての横暴さを併せ持っており、故に評価のしにくい部分があるのだろう。とはいえ、彼が東帝国の成立によって為したことは極めて大きい。東帝国の成立と秩序の再構築は、南ザイオン大陸を“大破壊”の混乱より救う力となったのは紛れもない事実なのだ。
そういう点では、だれもが彼を評価していたし、彼が天下万民を想って立ち上がったというのは、一部では本心に違いない。
無論、彼が皇帝を僭称したという事実は否定できないものであり、正当なる皇位継承者であり、真なる皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンの立場からすれば、彼を処断せざるを得まいが。
東帝国皇帝ミズガリスハイン・レイグナス=ザイオンによる西帝国への降伏宣言は、七月二十八日に行われ、その日の内に帝都中に知らしめられた。帝都は、さながら天地をひっくり返したような大騒ぎとなり、帝国史上最大規模の騒動が繰り広げられ、近衛騎士団が出動するほどとなったものの、ほどなく収まりを見せた。東帝国の敗北は、しかし、帝都市民にしてみれば、驚きこそすれ、受け入れられないものでもなかったのだ。むしろ、帝都市民にとっては、皇帝を僭称するミズガリスの治世こそ論外であり、先帝に任命されたニーウェハインの治世こそ望むべきものであるという認識があったらしく、帝都を揺るがしたのは、ニーウェハイン皇帝万歳という歓声のほうが大きかった。
また、ミズガリスの敗北を喜ぶ声も少なくなく、その事実を知ったセツナは、なんとも複雑な気分になったものだ。いまのいままでミズガリスを応援していたものたちが手のひらを返したように、口を揃えてニーウェハインや西帝国に迎合する様は醜悪としか想えない。
「東帝国の成立以降、ミズガリスにしっぽを振っていた連中のすることじゃあねえだろ」
セツナがそんな感想を漏らしたのは、帝都制圧から三日後のことだ。至天殿の一室にセツナたちはいる。帝都は現在、無政府状態といっても過言ではない状況にあるが、大きな混乱は起きていない。それもこれも、ミズガリスが近衛騎士団や軍に命じ、帝都の治安維持に全力を注がせていたからだ。ミズガリスは現在、ニーウェハインらの到着を待ち、謹慎中の身だが、しかし、帝都は未だ彼の掌中にあるといってよかった。
セツナたちは、戦力でこそ帝都の防衛戦力を遙かに上回っているが、人数では圧倒的に少ない。帝都の治安維持のためにも、ミズガリスらの協力は必要不可欠だったし、彼らの助力がなければ帝都は混乱を極めただろうことは想像に難くない。
「当然の反応といえば当然の反応だと想うけど」
「そうか?」
「そうよ。だって、帝都のひとたちは力で抑えつけられていたようなものでしょ? ミズガリスが帝都を掌握してしまったから、仕方なく従っていただけで、本音ではどう想っていたか」
ファリアは、冷ややかにいった。彼女の太ももの上にはミリュウの上半身が横たわっている。疲れているわけでもなく、単純に甘えているのだ。そんなミリュウの頭を撫でているのがエリナであり、その光景の不可思議さには目を細めるほかない。
「本音ではミズガリスを嫌っていても、ニーウェハイン陛下にこそ正義があると知っていても、行動を起こせるものではないわ。起こしたところでひねり潰されるだけだもの」
「……そんなもんか」
「そんなものよ」
ファリアの見解を否定するつもりもなければ意味も見いだせず、セツナは、彼女の言葉を受け入れた。確かに彼女のいうとおりなのだろう。ミズガリスの降伏宣言後の大騒動は、これまで溜まっていた帝都市民の鬱憤を爆発させただけのことなのだ。東帝国の軍事力によって抑圧されていた感情が、東帝国の敗北によって解放された、というべきか。東帝国という不当極まりない国がようやく滅ぼうとしている。東帝国を嫌悪していたひとびとが喜ぶのも無理のない話だ。それに生きるために必死だった彼らにしてみれば、別に東帝国にしっぽを振っていたわけでもなんでもないというのだろう。
とはいえ、そんなひとびとに好感を抱けないのもまた事実であり、微妙な感情を抱いたまま、セツナは至天殿の日々を過ごした。
ニーウェハインが西帝国首脳陣とともに帝都ザイアスに入ったのは、帝都制圧から五日後となる八月三日のことだ。
そのころには各地の最前線に帝都陥落およびミズガリスによる降伏宣言が伝わっており、各地の戦場において西帝国軍が勝ち鬨を上げ、東帝国軍が投降したという。
もっとも、すべての東帝国軍がすみやかに投降したわけではなく、いくつかの軍勢は、戦場から姿を消したという話であり、警戒の必要があるとのことだった。
ミズガリスの降伏を受け入れられないものたちが出てくることは、セツナたちも想定してはいたのだが。
南ザイオン大陸の情勢は、必ずしも楽観視できるものではないようだ。