第二千四百二十ニ話 戦場の支配者(四)
至天殿から三方へと伸びている上層区画の一角、その開けた場所にセツナたちはいた。
上層というだけあって、地上よりも風の勢いがあった。夏の日差しもまた、地上以上に強い。周囲には、壮麗な建築物が無数に乱立しており、下層の都市群とは大きく趣の異なる風景のように感じられる。上流階級が住む上層と一般市民が住む下層では、なにもかもが違うようだった。
そして、帝都の中心に聳え立つ至天殿は、下層から上層をぶち抜く形で、天を衝くかの如き威容を見せつけているのだ。螺旋を描く超巨大な構造物は、やはり、人間の所業とは想えない。女神が帝国の象徴として建造したのではないか、と想像させるが、本当のところは、どうなのか。
「しかし、なんでまたこんなことに……」
だれもが想う疑問を口にしたのはファリアだが、その隣のミリュウは、腕輪型通信器に向かって大声で怒鳴っていた。
「どういうことなの!? マユリん!?」
《済まない。想定外のことが起きた》
トールモール上に出現した女神の小さな幻像は、酷く申し訳なさそうな表情をしていた。
(ん……?)
セツナは、そのやり取りに既視感を覚えた。違和感もだ。なにかがおかしい。なにかが間違っている。いや、なにもかも正しいというべきか。
「想定外?」
「なんなの?」
《わたしはおまえたちを至天殿の出入り口付近に転送したはずだった。しかし、それが上手く行かなかったのだ》
「原因はわかってるの?」
《ああ。至天殿には、おそらくナリアの神威の残滓が大量に漂っているのだろう。それ故、わたしによる空間転移が安定しなかった。ナリアは数百年、帝国を影から支配していたという。その間、まったく微動だにしなかったとはいわないが、神なるものが動き回るとも考えられない。神威は蓄積し、他の神威を阻害するほど濃密な残滓となって漂うようになったと考えられる》
「……そういうことか」
セツナは、マユリ神の説明に納得しながらも、違和感を拭いきれない自分に気づき、怪訝な顔になった。
マユリ神がセツナたちの邪魔をする理由がなく、ほかに原因が考えられない以上、それがすべてなのだろう。そこを疑う理由もない。つまり、至天殿には、膨大な量のナリアの神威が漂っているということだが、それがひとびとに悪影響を与えないのかが気になった。
それは、いい。
それは理解できた。
しかし、既視感の原因がわからない。なにもかも間違っていないというのに、なにもかもが間違っている、そんな感覚がある。違和感。なにかが自分たちの身に起きているのは間違いないのだが、それがなんなのか、まったくわからない。おかしい。なにもかもが、おかしい。
「空の上からじゃわからなかったのね」
《済まない。帝国がナリアの隠れ蓑だったことを考慮しておくべきだった。わたしの失態だ》
「いや、そんなことはないさ。俺だって、ナリアの影響なんざ、全然考えてもいなかったんだ。マユリ様は悪くない」
とはいうものの、その言葉さえ、以前、口にした気がしてならない。
「うんうん。あたしたちは無事なんだし」
《そういってくれるのはありがたいが……》
マユリ神がミリュウではなく、他方を見遣る。
周囲にあるのは壮麗な建物群であり、民間人もいなければ、敵兵のひとりもいない。帝都の防衛戦力は、セツナたちの襲撃に気づいているはずだ。なにせ、巨大な船が帝都上空に現れたのだ。空飛ぶ船といえば、西帝国の戦力だ。そこから戦力が降り立つことくらい想像できないはずはなく、武装召喚師が各所に配置されているのであれば、船を見たと同時に呪文を唱え、召喚武装を呼び出したはずだ。そして、召喚武装によってセツナたちの降下を感知し、動き出していると見るべきなのだが。
セツナたちの感知範囲内には、こちらに向かってくる敵の気配はなかった。
「あれ……?」
不意に、ミリュウが小首を傾げた。
「おかしいわね……」
「はい、おかしいです!」
エリナが元気よくうなずく。ファリアが続いた。
「確かに……なにかがおかしいわ」
「ああ、ここで敵兵に囲まれた記憶があるんだが……」
とは、シーラだ。そしてその記憶は、セツナの記憶でもある。この降下地点で敵と戦った記憶がある。そして、増援があり、ミリュウに叱咤されて抜け出したはずだ。
《……おそらくは召喚武装の能力だ》
「え?」
見れば、ミリュウの腕輪型通信器に浮かぶ小さな女神の幻像が、眉根を寄せていた。女神がそのような表情をするのはめずらしいことだ。
《わたしの記憶が確かならば、おまえたちは至天殿への突入に成功していたはずだ。だが、なぜがその場所に着地した瞬間に戻されている。時間そのものをな》
「どういうこと……?」
「時間を操る召喚武装ってことか?」
《おそらくはな。そして、その影響範囲には、わたしも入っているようだ。記憶に混乱が起きないのは、わたしが神故だろう。おまえたちはどうだ?》
マユリ神に問われ、セツナたちは顔を見合わせた。
「記憶……」
「確かにそういわれてみれば、至天殿に突入した気がする」
「そこでミズガリスに遭ったのよ」
「そういわれればそうだったような気が致しますね」
「俺もそう記憶してるな」
「皆が皆勘違いしてるわけもねえ……こりゃあ、女神様の仰るとおり、敵の召喚武装の能力ですな」
エスクがしてやられたとでもいわんばかりにいったが、セツナは、そこにも疑問を持った。
「……でも、だったらなんなんだ?」
「へい?」
「時を戻して、どうなる」
セツナは、自分の手を見下ろした。戻ったのは、時間だけではない。
「時が戻ったってことはさ、俺たちの消耗した体力、精神力も元通りだろ?」
「そうみたいね」
「またさっきみたいに襲いかかってきたところで、同じことじゃねえか」
「確かに……」
シーラがうなずきながら、怪訝な顔になった。セツナと同じ疑問を持ったのだろう。たとえ時間を戻したところで、結果の分かりきった戦いを繰り返すことになんの意味があるのか。たとえば先程と異なる戦術で挑んできたところで、セツナたちが負ける理屈がない。記憶は、どういうわけか完全には戻っていないのだ。敵武装召喚師の能力は判明している。今度は、ハスラインを真っ先に殺すことで損害を最小限に抑えることもできるだろう。
「俺たちが根負けするまで続けるつもり……とか?」
「まさか……」
エスクの推測にセツナがげっそりとした気持ちになった直後のことだ。風が吹いたかと想うと、気配が出現した。敵武装召喚師による空間転移が起こったのだと察し、そちらを見遣れば、黒と金の装束を纏った王者がそこに立っていた。護衛も引き連れず、ただひとり、悠然と立ち尽くしている。
東帝国皇帝ミズガリスハイン・レイグナス=ザイオン。
「そんなことをするわけがなかろう。そもそも、戦神盤のこの能力は、一戦場につき一度のみ許されたもの。もう一度勝ち目のない戦いを挑み、無駄に血を流す道理がどこにある」
「……だったら、どういうつもりだ」
「いったはずだ。それだけが気がかりだった、と」
「……まさか」
セツナは、ミズガリスの発言にはっとなった。時は戻っても、記憶は混乱こそすれ、失われてはいない。だからこそ、彼の発言の意図が理解できたのだ。
「我は、東ザイオン帝国皇帝として、西ザイオン帝国に降伏することをここに宣ずるものとする」
ミズガリスは、傲然たる勝者のように胸を張って、告げてきた。