第二千四百二十一話 戦場の支配者(三)
「ミズガリス……?」
「本物……なの?」
ミリュウやファリアが驚くのも無理はなかった。セツナたち襲撃者が皇帝を標的としていることなど、皇帝本人が理解していないはずはなく、兵士たちを転送させていた武装召喚師もまた、把握していないわけがないのだ。だというのに、セツナたち襲撃者の目の前に転送させるなど、正気の沙汰ではない。どうにでもしてくれ、とでもいわんばかりだ。無論、皇帝にそういう意思がないのは、彼の不遜極まりない態度から明らかだ。別の目的がある。なんらかの明確な理由があるのだ。
だから、セツナたちの目の前に皇帝みずから転送して現れた。
「ああ……正真正銘、本物のミズガリスハイン様だよ」
セツナが皮肉たっぷりに敬称をつけながら肯定すると、皇帝はわずかに眉根を寄せた。セツナが、目の前に現れ、皇帝と名乗った人物がミズガリス本人であると認定できたのは、かつてニーウェの記憶を覗き見たことがあるからだ。その記憶の中で、ミズガリスを見ている。ニーウェに対し、辛辣な態度を取る兄弟の中でも、彼ほどニーウェを忌み嫌っていた人物はいただろうか。ニーウェとニーナの母親の出自に問題があるのはわかりきっているのだが、それでも、ニーウェの立場に立って考えれば、ニーウェが彼を憎悪したとしても道理というほかない言動ばかりをしていた。
もっとも、ニーウェ、ニーナの姉弟を迫害したのは、なにもミズガリスだけではない。マリシアとイリシアのふたりを除くほとんど全員がニーウェたちを忌み嫌い、言葉と行動でふたりを攻撃している。ニーウェが、なんとしてでも皇帝にならなければならないという強迫観念に駆られたのも、必然というほかないくらいだ。彼が皇帝にならなければ、皇帝となった兄や姉が、ニーウェとニーナのふたりをどうにかして処断するに違いなかったからだ。
それくらい、ニーウェとニーナの立場というのは、ザイオン帝国において忌避されていた。
にも関わらずニーナは騎爵に、ニーウェは闘爵に選ばれたものだから、兄弟からの嫌悪、忌避が強まったのはいうまでもないだろう。
その後、ニーウェが正当なる皇位継承者に選ばれたのは周知の事実だが、それ以降、ニーウェへの態度が改まったかといえば、どうか。ミズガリスの行動を見る限り、むしろニーウェへの悪感情は増幅する一方だったのではないか。でなければ、ミズガリスが皇帝を僭称することなどありえまい。だが、実際にミズガリスは皇帝を僭称し、ニーウェが皇帝となると、ニーウェこそ偽りの皇帝であると攻撃し、自分の帝国こそが正当なるザイオン帝国であると主張した。
そこにはニーウェへの憎悪を起因とする複雑な感情があるに違いなかった。
もし彼がニーウェに対し悪感情を抱いていなければ、ニーウェを皇帝とするべく動いた可能性も多分にあったのだ。
「本人……」
「なんで……?」
「なにも不思議なことはなかろう」
ミズガリスは、ファリアたちの反応に満足げな表情を見せた。いまのいままで、セツナたちに圧倒されっぱなしだったのだ。わずかでも驚かせることができたという事実が多少なりとも彼の溜飲を下げたのかもしれない。
「帝都に残存する戦力のほぼすべてが貴様らに斃されたのだ。もはや、我が手元には、貴様らに対抗する戦力は残されておらぬ。まったく、見事としか言い様がない」
「……手駒を使い果たしたから、皇帝みずから打って出てきたってわけ?」
「悪手だな」
ミリュウとシーラの意見にも、ミズガリスは余裕の態度を崩さない。どこまでも傲岸不遜で余裕に満ちた様子を見れば、彼がなにか現状を打開する秘策をもって現れた、と、考えるのが普通だろう。しかし、セツナは、ミズガリスが現れた理由はそんなものではあるまい、と思っていた。ミズガリスは武装召喚師ではない。召喚武装の使い方を学び、いま、その手に召喚武装が握られている可能性もなくはなかったが、だとしても、セツナたちの相手になるわけもない。
「わたしは皇帝だ。みずから戦場に赴くような愚は犯さぬ。そのような真似をして、なんになる。みずから弱点を曝すような真似をして」
「そりゃそうだがな」
「ふ……いまがそうだといいたげだな」
彼は、セツナの視線に対し、表情を歪めた。セツナの顔にニーウェを見出したのかもしれないが、セツナがニーウェではないことを理解してもいるのだろう。そのことを口に出さなかった。
「確かに貴様らが理性のかけらもない禽獣ならば、既に殺されていよう。しかし、貴様らは獣ではあるまい。人間だ。それは、戦場の様子を見れば明らか。貴様らには、殺戮の意図がない。貴様らは、できる限り無傷で、できる限り血を流さず帝都を手に入れたいという考えがある。あまりにも大それた考えがな」
「……へえ、よくわかってんじゃねえか」
「故に我は貴様らの前に姿を見せた。理性持つ貴様らならば言葉も通じよう?」
「……ああ」
セツナは、鷹揚なミズガリスの台詞を肯定しながら、なんだか自分たちのほうが負けているような、下の立場になっているような気分になった。状況は、明らかにこちらのほうが優勢だ。破滅の縁に立っているのは、相手側なのだ。なのに、なんともいえない敗北感を覚えるのは、どういうわけなのか。
「我が知りたいのは、貴様らの意図だ」
「意図?」
「貴様ら西帝国は、我が降伏したとして、東帝国をどうする? どのように扱う? 飽くまで皇帝を僭称した逆賊とその一派として討つか。それとも、我を除く東帝国臣民は無関係であると定め、手厚く保護してくれるのか。我が知りたいのはそこだ。それだけが、我がここに現れた理由だ」
「――西帝国皇帝ニーウェハイン陛下は、この大地に無駄に血が流れるようなことは望んでおられない。降伏するというのであれば、どのようなものであれ受け入れ、帝国臣民として迎え入れるだろう。そこは、安心してくれていい。これ以上の犠牲者はでない」
先頃、西に降伏したミナ=ザイオンを処断することなく首脳陣に迎えているのがその証拠だ。ミナ=ザイオンは、ミズガリスに与し、ニーウェハインを糾弾し続けた急先鋒だったが、しかし、ニーウェハインは、彼女が帝国臣民に尽くすと誓うのであれば、すべてを許すといい、実際、その通りにしている。そしてそれは、ミズガリスに対しても変わらないだろう。
ニーウェハイン個人の感情としては、ミズガリスやそれ以外の兄弟を認めがたいのだろうが、その感情の赴くままに行動し、それら兄弟を処断すれば、自分が兄弟と同じになるという想いがあるようだった。つまり、自分が忌み嫌った兄弟そのものにならないため、寛容たるべく己を律しているのだ。そこにニーウェハインの心の強さがある。
皇帝という絶対者の立場にあってなお、己を見失ってはいない。
もっとも、ミズガリスは、皇帝を僭称した自分がニーウェハインに許されるなどとは想っていないようだが。
「そうか。それが聞けて安心した。それだけが気がかりだったのだ」
彼は、心底安堵したとでもいわんばかりの顔をした。
ミズガリスが戦後の東帝国臣民の待遇について言及したことは、セツナをして、彼の評価を考えさせるものとなった。ミズガリスが東帝国の秩序を作り上げたという事実だけを見れば、彼の皇帝としての実務能力に疑いはなく、臣民を想う気持ちに嘘偽りもないのは明らかだったが、この期に及んで臣民の待遇について言及するというのは、中々できることではあるまい。
「……ということは、降伏してくれるんだな?」
セツナが念を押すと、彼は、薄く笑った。そして、傲然と告げてくる。
「貴様らの健闘、東帝国最初で最後の皇帝として、ただ、讃えよう。我が帝国の敗因は、貴様らが西についた。ただそれだけなのだからな」
ミズガリスが強く言い切ると、セツナの目の前から彼と護衛の姿が忽然と消えた。
「あ――」
セツナは思わず前に手を伸ばして、唖然とした。まさか聞くだけ聞いて転移するとは想像もしていなかったのだ。ミリュウが叫んでくる。
「な、なにやってんのよ! 早く捕まえないから……」
「捕まえるったってなあ」
「ねえ」
セツナがファリアに同意を求めると、彼女もなんともいえない顔でうなずいてきた。
ほかの連中も似たような態度で、エスクなどは肩を竦め、だれもいなくなった通路を見遣っていた。
そしてセツナが前方に視線を戻したつぎの瞬間、脳裏に警告が走った。違和感。全身、異様な感覚が走り抜ける。一瞬よりも短い、ごくわずかな時間の出来事だった。目の前が真っ白に染まったかと想うと、頭の中まで白く塗り潰された。