第二千四百十九話 戦場の支配者(一)
セツナは、言葉にしようもない虚無感の中で、戦場を見渡していた。
帝都ザイアス北部上層区画の一角を戦場として繰り広げられたセツナの戦いは、終わった。無論、セツナ側の圧倒的勝利という形で終わったのだ。残ったのはわずかばかりの兵士たちであり、それら兵士たちは、もはや身じろぎひとつできない有り様で地獄の如き様相を呈する戦場に横たわっている。生き残ったわずかばかりの敵兵以外は、皆、死んだ。五千人あまりの東帝国軍将兵の大半が命を落とした。セツナたちが命を奪ったのだ。そうする以外にはなかった。致し方のないことだ。それは、わかっている。
しかし、セツナたちの戦いによって破壊され尽くした戦場に散乱する無数の亡骸の無残な有り様を目の当たりにすれば、本当にこれで良かったのかと想わずにはいられなかった。無意味な死ではないのか。無駄に殺してしまったのではないか。そんなことを考えてしまうのは、これまでに散々殺してきたことと、ニーウェハインにできる限り生かして欲しいと頼まれたからというのもあるだろう。
実際、今日に至るまでいくつかの戦場ではそうしてきたのだ。極力、東帝国軍の将兵を生かし、決着をつけてきた。帝都でも、そうするはずだったし、セツナたちの力をもってすればそれも不可能ではなかったはずだ。余裕でできた、という確信が鎌首をもたげて、セツナの心を締め付ける。厳然として存在するのは数多の物言わぬ亡骸であり、無念にも死んだものたちの哀れな姿だ。
「仕方がなかったわ」
ファリアが、いった。
セツナの戦場には、ファリアたちが合流し、それによって状況を打開している。
「そうそう。あんなの、殺す以外には方法がないんだもの」
「召喚武装ってのは、やっぱおっかねえですな」
「そうでございますね……本当に」
エスクの言葉を実感を込めて肯定したのはレムだ。先程まで戦場で猛威を振るっていた召喚武装に関する彼女の感想に深い実感が込められるのも当然だろう。レムもまた、召喚武装の能力によって支配され、操られていたといっても過言ではないのだ。
レムを支配していたのは黒き矛の眷属マスクオブディスペアだが、この戦場において猛威を振るい、一時的にではあるもののセツナを苦境に追い込んだのは、ハスライン=ユーニヴァスの召喚武装だ。名称こそ不明のまま終わったものの、その能力は極めて強力だった。なぜならば、ハスラインの召喚武装の影響下にある人間は、たとえどのような損傷を受けたとしても、どれだけの攻撃を受けたとしても、命ある限り、敵と戦い続けなければならなくなったからだ。そこに当人の意思もなければ自我もなく、もはや傀儡人形と化した将兵たちは、ハスラインの思うまま、望むままに戦い続け、ときにはハスラインを護る壁となり盾となり、剣となってセツナを襲った。
無論、ただの人間如きに後れを取るセツナではないし、万にひとつも負けることはありえないのだが、状況を打開する方法がふたつしかなく、そのうちのひとつも簡単には達成できないこともあり、彼は苦悩せざるを得なかったのだ。
命ある限り戦い続けてくる敵だ。無視することなどできない。そんなことをすれば、延々を攻撃し続けてくるだけだったし、敵にはさらなる増援があった。数十人の武装召喚師だけでなく。五千もの将兵がどっと押し寄せてきたのだ。そしてそれらが全員ハスラインの召喚武装の影響下に入ったとなれば、黙殺など不可能だ。気絶させ、制圧するということもできない以上、ハスラインを殺して召喚武装の能力を途切れさせる以外には、あの状況を脱する方法はなかった。しかし、ハスラインは、五千の兵をみずからの鎧とし、盾としており、ハスラインだけを殺すのは至難の業となった。
セツナが苦闘を強いられたのは、それら将兵の強さからではない。ハスラインを殺すため、それ以外の兵士たちも殺さなくてはならないという事実がセツナの行動を鈍らせたのだ。
考えに考え抜いた末、セツナは、ハスライン撃破のため、兵士たちも殺すことを決めた。決意した瞬間から、ハスラインの優勢は消え去ったのだが、同時にできるだけ命を奪わずに戦争を終わらせるという当初の目的もまた、達成できないものとなった。ニーウェハインとの約束が、セツナの胸を苦しめたのはいうまでもない。
ハスラインさえいなければ、とも思うが、いまさらだ。
「こんなところで黄昏れてる暇なんてなかったんじゃなかったっけ?」
「ああ……行こう」
セツナは、冷水を浴びせるようなミリュウの言葉に感謝して、戦場を後にした。ハスラインひとり倒すために大量の死者を出さなければならなかったという事実が重くのしかかる。
それは、ハスラインの召喚武装の能力が、どうやらただ味方を死兵にするだけのものではなかったからだ。ハスラインの召喚武装には、影響下に入れた人間が多ければ多いほど使用者の身体能力も強化されるという能力もあったようであり、セツナがハスライン打倒に手間取ったのもそのためだ。五千人もの将兵を強化したのだ。さぞ、ハスラインの身体能力は強化されたことだろう。とはいえ、ハスラインは、みずから打って出るということはなく、むしろ、自分の身の安全を護るためだけにその身体能力の強化を利用していた節がある。それ故、セツナが彼を打倒するまでに大量の兵士を殺す必要が出てしまったのだ。
もし、ハスラインが身体能力の強化具合に酔ったりするような人間ならば、セツナは、容易くあの状況を脱することができていただろう。
どれだけ身体能力を上げようが、ハスライン如きでは、黒き矛の敵にはなれない。
そこから北部上層区画を移動中、もはや敵兵が転送され、襲いかかってくるようなことはなかった。
合計一万人ほどの東帝国軍将兵と戦闘したことになるのだから、それで帝都防衛戦力のすべてということだったのだろう。その半数ほどを殺してしまったということでもある。
北部上層区画から至天殿へは、極めて長大な橋がかかっており、その橋を閉ざす巨大な門がセツナたちの行く手を阻んだ。壮麗優美な門は、しかし、セツナが“破壊光線”で大穴を開けることで対処している。立ちはだかった門兵たちは、当然ながらハスラインの影響下にはなく、昏倒させるだけでよかった。
門を突破すれば、至天殿までもう少しというところだった。
至天殿は、帝都ザイアスの中枢区画だ。
下層から上層を貫く巨大な塔の如き宮城であり、その異様なほどに巨大な建造物は、やはりどう考えても人間の作ったものとは想えなかった。たとえ人間が作ったのだとしても、神の関与があったに違いないと想わせるほどの巨大さと複雑さがある。
さながら、天へと至る螺旋の柱の如き外観をしているのだが、それは、北部上層区からでもはっきりと見えるくらいに巨大だった。近づけば近づくほど圧倒される質量を誇っていて、帝都市民がこのような宮城に住まう皇帝を神の如く敬うのも当然のように想えた。荘厳にして神々しく、近づくだけで圧力を感じずにはいられない。きっと、信仰心を持つものならば、平伏せずにはいられないほどの輝きを帯びて見えるはずだ。
セツナには、帝国の皇族への信仰心など持ち合わせていないからそこまでは感じないものの、それでも橋を渡りきり、至天殿の螺旋塔を目の当たりにすれば、言葉を失うほかなかった。
とはいえ、至天殿の凄まじさに心を奪われている場合などではない。
セツナたちは、至天殿に至る形、至天殿に配された戦力に盛大な出迎えを受けなければならなかった。