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第二百四十一話 天使か悪魔か

 ぞくりとする。

 背筋が凍るとはこのことか、と彼は思った。戦場に出るようになって、これほど死を身近に感じたのはいつ以来だろう。

(あのとき以来か)

 ルウファの脳裏に浮かんだのは、ランスオブデザイアと名づけた召喚武装であり、ログナーにいるはずのセツナに殺されそうになったときの記憶だ。彼はあのとき、明らかにルウファを殺そうとしていた。それもこれも、ルウファがランスオブデザイアを手にしていたからなのだと、あとで知った。

 それを知ることができたのも、《獅子の尾》が結成され、隊の情報を纏めるのがルウファの仕事になったからだ。セツナから黒き矛の性能について聞く機会ができたのだ。その際、ルウファはシスクゥ街道での出来事について尋ね、あのときの真実を知った。それからのことも。

 ランスオブデザイア。ルウファが黒き矛のセツナに変装するために、ファリアが構築した術式によって召喚された異世界の武器。命名したのはルウファだ。その強大な力は、さすがファリアの編み上げた呪文だといわざるを得ないと思ったものだ。あまりに苛烈で、あまりに破壊的な螺旋。ルウファですら制御しきれなかった。ルウファは、ランスオブデザイアに恐怖を感じ、二度と召喚しないと心に決めた。

 だが、ランスオブデザイアはログナーの地に出現していた。ウェイン・ベルセイン=テウロスが召喚し、ガンディア軍本隊を半壊させたのち、セツナを窮地に追い込むほどの力を発揮したという。セツナは辛くも勝利し、ランスオブデザイアは黒き矛に取り込まれたのだ。

 ルウファは、セツナからその話を聞いたとき、にわかには信じられなかった。確かに、黒き矛は規格外の召喚武装だ。しかし、召喚武装が召喚武装を取り込むという話は聞いたこともなければ、見たこともない。そもそもファリアが考えだした術式によって召喚されたものだ。黒き矛と関係があるとは思えなかったし、ファリアだってそんなつもりで作った呪文ではないだろう。その上、彼女の考えた長大な呪文を、どうしてログナーの青騎士が詠唱し得たというのか。

 とはいえ、セツナがルウファに嘘をつくはずもない。ランスオブデザイアは黒き矛に取り込まれた。その事実だけが厳然として存在するのだ。

(強く)

 黒き矛のように強い召喚武装ならば、ザインに遅れを取ることもないのだろうが。

 土煙が風に流れ、ザインの姿が現れる。羽弾のいくつかが彼の体に突き刺さっていた。すべてを叩き落とせたわけではなかったようだが、どれも致命傷ではない。ザインは、笑みを浮かべていた。凶暴な笑みだ。戦いを楽しんでいる。ルウファにそんな余裕はないし、趣味もない。戦闘とは、目的を達成するための手段にすぎない――子供の頃から耳が痛くなるほど聞かされてきた言葉だ。

 ザインが、肩に刺さった羽を無造作に引き抜くと、投げつけてきた。咄嗟に右翼を前面に展開する。翼の盾で羽を防いだ瞬間、ルウファは悪寒を覚えた。左翼で羽弾を乱射する。しかし、羽弾が敵に当たることも撃ち落とされることもなかった。衝撃が、右翼を貫いている。鉄壁の翼を突き破り、ザインの拳がルウファの視界に飛び込んでくる。打ち下ろされるような一撃。胸甲を撃ち抜き、強烈な痛撃が胸元から全身に走る。呼吸が止まった。そのまま吹き飛ばされる。ザインがそれだけで飽きたらず、地を蹴るのが見えた。追い打ちをかけようというのだ。

 心停止するかと思うほどの衝撃に意識が朦朧とする。全身が粉砕されたのかと思ったが、翼の盾と鎧がザインの拳の威力を減衰させてくれたようだ。おかげで生きている。

(瀕死に近いが)

 ルウファは自嘲気味に笑うと、ザインが目前まで迫っているのを見ていた。つぎは、防ぎきれまい。左翼だけでは全身を守り切ることはできない。右翼を復元するには、一度マントに戻し、また翼にしなければならないのだ。そんな時間はない。左翼を振り回し、残りのすべての羽を一斉に発射する。羽の弾幕がルウファの視界を覆う。ザインが大きく跳躍して、羽弾を飛び越えた。そのころには、ルウファの体は地面に叩きつけられている。

 ルウファは地面を転がりながらも、ザインにのみ意識を向けていた。羽弾を跳躍でかわした男は、ルウファの頭上をも飛び越えている。凄い跳躍力だ。やはり、単純な召喚武装ほど強いというのは、本当なのかもしれない。ザインの魔竜甲とかいう召喚武装に特別な能力は見受けられないのだが、火力だけならば黒き矛にも見劣りしないのではないかと思えた。

(いや、それはないか)

 ルウファは苦笑しながら跳ね起きた。背後、ルウファの頭を狙って振り下ろされた拳が地面を貫く。彼は振り向きざま、両翼でザインを殴りつけた。金属音が響き、火花が目の前で散った。ザインの両腕が、両翼を受け止めている。

 左翼に羽はなく、右翼も破壊されてほとんど骨格だけだが、鉄の棒程度の強度はある。シルフィードフェザーの風力を纏わせれば、斬撃を繰り出すこともできたのだ。

 ザインは、にやりと笑った。

「強いな、おまえ」

「さっさと死んでくれないか。俺はあんたひとりに構っていられないんだ」

 ルウファは冷ややかに告げると、翼を解除した。召喚武装は純白のマントに変化して彼の全身に纏い付く。両手を背後に伸ばし、剣帯に結びつけた二本の剣の柄を握る。ザインが拳を叩きつけてくる直前に抜き放ち、飛んできた手甲に斬撃を叩き込むことに成功する。風力を帯びた小刀による二連撃は、ザインの一撃を防ぎ、弾くことはできた。だが、彼の腕は一本ではない。左の拳が飛んでくる。それを後ろに飛んでかわし、空を切らせた隙に再度間合いを詰める。今度はザインが後退して距離を取った。一度の跳躍だったが、強化された脚力は高度も距離も稼いでみせる。

「いろいろ楽しませてくれるな! だが」

 着地とともに彼が構えた手甲の鉤爪が、燐光を発した。ルウファは前言撤回を迫られた。やはり、召喚武装だけあって、能力を秘めていたのだ。

(なにをする気だ?)

 ルウファは警戒しながらも、接近を止めなかった。地を駆け、敵に迫る。ザインも地面を蹴っている。ふたりの間合いが急速に狭まる。攻撃の届く範囲はこちらのほうが広い。見極め、ルウファは両手の二刀を同時に振り下ろした。だが、

「なっ」

 ザインが、ルウファの斬撃を無視して突っ込んできた。二本の小刀は、ザインの左右の肩当てを破壊し、肩に食い込むが、同時にザインの鉤爪がルウファの右肩と左太腿を切り裂いている。致命傷ではない。だが、つぎの攻撃は致命的になり得る。ルウファは、小刀を手放した。敵は極至近距。マントを翼に変じさせると、空いた両手でザインの体を掴んだ。突如抱きしめられて、彼は戸惑ったようだが、それが多大な隙になった。ルウファは、シルフィードフェザーの風力を全開にした。直上へと飛翔する。全力全開で浮上し、一瞬にして最高速度に到達する。地上から瞬く間に遠ざかっていくのが、感覚だけでわかる。背中に激痛が走った。ザインの鉤爪が食い込んでいるようだ。

「どこへ連れて行く気だ! 降ろせ!」

 ザインが、喚きながら、鉤爪でルウファの体中を切り刻んでいく。だが、両腕でがっちりと拘束している関係上、彼が腕を動かせる範囲は狭く、傷付けられるのは背中が多かった。鎧の背面装甲が簡単に破壊され、激痛に激痛が重なっていく。皮膚が裂かれ、肉がえぐられる。意識も飛びそうだったが、それでも、ルウファはザインを離さない。セツナを投下した高度よりも、さらに高く、さらに上空へと急速に上昇していく。次第に空気が薄くなっていくのがわかる。雲が近い。だが、夜空は遥か先だ。

 星々の光は、まるでルウファの健闘を賞賛しているかのようだ。

 空を飛べたら、星さえも掴めるようになると思ったのは、子供の頃だったか。

 ルウファはようやく、上昇するのをやめた。そのころには、ザインの抵抗も止んでいた。高度に気づけば、ルウファを傷つけるなど愚の骨頂だとだれだって理解できる。しかし、彼の理解は遅すぎたかもしれない。

 ルウファはずたずたに切り刻まれた背中の痛みと出血で、朦朧としていた。ザインがもう少し早く理解してくれていたら、ここまでぼろぼろにはならなかったのだろうが、いまさら悔やんでも仕方のないことだ。

「降ろしてやるよ」

 ルウファが告げると、ザインがきょとんとしたような顔でこちらを見てきた。破顔する。

「おまえ、悪魔だったんだな」

「人間なんてそんなものさ」

 ルウファはザインを解放し、風力を全周囲に向けて放った。途中からルウファの体にしがみついていた彼の肉体を引き剥がしたのだ。

 ザインは、ただこちらを見つめながら落ちていった。あっという間にルウファの視界から消える。感覚でも掴みきれなくなった。彼は死ぬだろう。どう足掻いても助かるまい。地上は遙か彼方なのだ。あまりに遠すぎて、地上の様子はまったく把握できなかった。上昇しすぎたのは間違いないのだが、ザインを倒すにはこの方法しか思いつかなかったのも事実だった。

 羽弾や風力による攻撃、斬撃が彼には効かなかった。ならば、超上空から落とすしかない。しかし、セツナを投下した高度だと、万が一にも助かる可能性もある。黒き矛と同等の性能がなくとも、耐えられるかもしれないのだ。可能性を潰すには、さらなる高度に上がるしかなかった。結果、ルウファの背中は傷だらけにされてしまったが、勝利の傷だ。恥じることはない。

(そういう問題じゃない……)

 断続的な激痛の波に苛まれながら、ルウファは地上への降下を早めた。意識を失う前に地上に降りないと、自分も死ぬことになる。敵を落として殺し、自分も墜ちて死ぬなど、笑い話にさえならない。

 猛烈な痛みの中で、彼は、勝利の余韻がこんなにも苦痛に満ちたものなのかと思い知ったのだった。



 落ちる瞬間、ザインが見たのは、ルウファ・ゼノン=バルガザールの苦悶に満ちた顔だった。ザインの抵抗によって背中を切り刻まれたからだろう。勝利を確信し、それでも彼は苦痛と戦い続けなければならなかったのだ。可哀想なことをしたかもしれない。ふと、彼はそんなふうに思って、苦笑した。

 そう思えるのは、死が間近に迫っていたからだろう。

 夜空が見えた。

 いつか彼の世界を支配していた暗黒の闇ではない。

 闇の中に星々がたゆたい、光を発していた。無数の光。数えきれないほどの輝きは、まるで宝石のように見えた。月もあったし、雲も流れている。空。夜空。十年間、彼の頭上になかったものが、いまは目の前にあった。手を伸ばせば届きそうだ。星さえも掴めるのではないかと思えたが、そんなことはできそうもなかった。

 星を掴める召喚武装があればいいのに。

 魔龍窟にいた頃から、そんな子供じみたことばかり考えていた。馬鹿馬鹿しいことだが、ザインはそれでいい、とミリュウもクルードもいってくれたものだ。ふたりには感謝しかない。自分が自分で在り続けることができたのは、ふたりのおかげだった。

 空が、急速に遠ざかっていく。ルウファの姿もだ。

 一対の翼を広げ、月光を浴びる彼の姿は、やはり天使のようだとザインは想った。喧騒が聞こえた。戦争の音だ。

 地上が近い。

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