第二千四百十六話 帝都急襲(八)
「ニーウェめ……まさか総攻撃を陽動とするとはな……」
ミズガリスハイン・レイグナス=ザイオンの忌々しげな口調の中には、これまでただ見下す対象でしかなかった末弟への恐れにも似た感情が初めて見え隠れしていた。彼自身、まったく気づいていないことだろうし、気にも留めていないことなのだろうが、彼のことをもっともよく知るラミューリン=ヴィノセアには、彼の声のほんのわずかな震えから、感情の動きが手に取るようにわかるのだ。ラミューリンほどミズガリスハインを見てきたものはいまい。ミズガリスハインを正当に評価し、まっすぐに見つめてきたラミューリンだからこそ、ミズガリスハインの傲岸不遜そのものといっても過言ではない精神に生まれたほんのわずかな動揺さえ見逃さないのだ。
至天殿軍聖の間。
半球型の広間には現在、ラミューリンとミズガリスハイン以外には、皇帝の親衛隊だけがいる。それ以外、東帝国の重臣たちは至天殿の各所でそれぞれの仕事をしていることだろう。あるいは、西帝国の帝都襲撃を知り、慌てふためいているか。普段通りの仕事をしているものの方が少ないのは、考えるまでもない。非常事態だ。ミズガリスハインほどの余裕を持っていられる人間など、どれだけいるものか。
さすがは王者である、と、ラミューリンはミズガリスハインの態度に惚れ惚れするのだが、いまはそのような状況ではないのもまた、間違いない。
ラミューリンがミズガリスハインのことを考えれば考えるほど自体は悪化する。
状況を改善することができるのは、ラミューリン以外にはいないといっても過言ではなかった。
彼女は、帝都ザイアス上空に空飛ぶ船が現れたという報せが入ったあと、速やかに軍聖の間へと移動し、己の役割に没頭し始めた。
空飛ぶ船が西帝国の切り札だということは、わかりきっている。そして、その出現がなにを意味するのか、理解できないラミューリンではなかった。ミズガリスハインが先程いったとおりだ。
西帝国は、新戦力を主軸に据えることで、東帝国との総力戦に打ち勝つつもりである、と、ミズガリスハインを始めとする東帝国首脳陣は考えていた。ラミューリンも当然、そう思った。当たり前のことだ。西帝国の戦力の動きを見れば、西帝国が東帝国に対し、総力戦を起こそうとしているのは火を見るより明らかであり、それがなにを意味するのかは、これまでの情報を精査すれば簡単にわかることだった。つまり、総力戦。全面戦争と言い換えてもいい。
西帝国は、東帝国との長きに渡る拮抗状態に終止符を打つべく、ついに動き出したのだ。
それもこれも、西帝国が自軍戦力が東帝国の戦力を上回っているという確信を得たからだというのは、だれの目にも明らかだ。
兵力、戦力が拮抗していたからこその均衡だったのだ。それが上回ったのであれば、総力戦を挑み、打ち破り、大陸を統一しようと考えるのは、よくわかることだ。東帝国にも、かつて同様の動きがあった。ラーゼン=ウルクナクトひとりを得ただけで崩れ去るような均衡だ。それ以上の戦力を得たと自負するのであれば、西が総力戦を起こすのは必然といって良かった。
しかし、だ。
総力戦となれば、必ずしも戦力において上回っている西が勝利するとは限らない。
局地的な勝利を積み重ねれば、東が西の思惑を打ち破り、勝利する可能性も決して低くはないのだ。
ただそのためには、各地における戦術が肝要であり、ラミューリンは各地の軍勢に秘策を授けた。地形を利用した戦術、連携戦術、空城の計――。とにかく、ありとあらゆる戦術を駆使して、西の戦力を削ぐことに注力させようとした。
それが、無駄に終わった。
西帝国の目的は、端から総力戦の勝利による大陸の統一などではなかったのだ。
帝都ザイアス制圧および皇帝ミズガリスハイン降伏による東帝国の敗北こそが、西の真の狙いだったのだ。つまり、総力戦とは、東帝国の全戦力を最前線に引きずり出すための陽動であり、最大の目的は、帝都の護りを徹底的に薄くすることだった。そして、薄くなった帝都の護りを貫き、皇帝ミズガリスハインを攻め立てることにこそ、西の真意があったのだ。
無論、空飛ぶ船の存在を知らないラミューリンたちではないし、警戒しないわけもない。だが、空飛ぶ船はシウェルエンドの護りについているという確度の高い情報があり、それを信用するあまり、帝都の護りを極限まで薄くしたのは間違いない。
ラミューリンもミズガリスハインも西にしてやられたということだ。
ミズガリスハインが恐れとも怒りともつかぬ感情に苛まれ、軍聖の間に駆け込んできたのも無理のない話だ。彼からしてみれば、ニーウェの策にまんまと乗せられたのだから、怒り昂ぶり我を忘れたとしても不思議でもなんでもなかった。
「それで……どうなのだ。現状、どうなっている」
ミズガリスハインがいつになく苛立たしげに問うてくる。
「彼我の兵力差においては、我が方が圧倒的優勢のまま推移しています」
ラミューリンは、卓上に配置した金属製の円盤を見つめて、告げた。中心に宝玉を埋め込まれ、複雑な紋様が刻まれたその円盤こそ、彼女の愛用する召喚武装・戦神盤だ。戦神盤の中心に埋め込まれた宝玉からは、上方に向かって光が投射されていた。その光は、この軍聖の間の半球型の天井全体を包み込み、その至る所に無数の光点を浮かべている。光点は大小様々で、数え切れない量の光点が存在していた。それら光点はラミューリンの意思とは無関係にに動き回っている。
「が、戦力差は相変わらず、敵の方が圧倒的優勢」
ラミューリンは、頭上に展開した戦場図を見遣り、苦い顔になるのを止められなかった。戦場図とは、まさに戦神盤が戦場と認定した領域のことであり、この場合、帝都全域が戦場認定されている。敵が降り立ったのは上層区画のようだが、下層区画が戦場にならないとも限らないからだろう。戦神盤は、ありとあらゆる可能性を考慮する。
その戦場図に浮かぶ光点は、三つに色分けされているのだが、その意味合いはというともっとも多い黄色い光点が戦闘とは無関係な非戦闘員を示している。その数の多さは、ここが帝都であり、戦闘にまったく関係のない一般市民までもが戦場図に反映されているからだ。非戦闘員までもが表示されるのは、非戦闘員が戦闘員に切り替わる可能性がないとはいえないからに違いない。
青い光点は、自軍の戦闘要員だ。戦闘に参加していなくとも、戦神盤が戦闘員と認定したものは、青い光点で表示される。
そして赤い光点が、敵軍の戦闘要員だ。いま、戦場図に浮かんでいる赤い光点はたった八つでしかない。しかし、そのたった八つの赤い光点に無数の青い光点が殺到し、瞬く間に反応を失っているのだから、そのたった八人の襲撃者が余程の力を持っていることは、ラミューリンの目には明らかだった。だからこそ、帝都各所の戦闘員を赤い光点にぶつけているのだが、それも芳しくなかった。どれだけ大量に動かし、ぶつけても、あっという間に反応が消失する。これでは、勝ち目が見えない。
そうなのだ。戦神盤の能力は、戦場の把握だけではないのだ。
戦場図内ならば、青い光点を自由自在に配置することが可能なのだ。
それこそ、ラミューリンが東帝国において軍神の如く振る舞う最大の理由だ。彼女には、戦場のことが手に取るようにわかるだけでなく、戦場において味方手駒を自由自在に操ることができた。普通の戦場において、これほどの強みはあるまい。
(しかし……)
それは、普通の戦場においての話だ。
戦力差の拮抗した戦場ならば、とくに戦神盤の能力は有効に活用できるだろう。敵部隊を挟撃する、包囲覆滅することもできれば、敵本陣を急襲するといった策も取れる。ただし、事前に兵士たちに言い含めていなければ、自軍を混乱させ、挙げ句貴重な戦力を失うことになりかねないという欠点もあるが、利点に比べれば大したものではあるまい。
が、その利点がまったく意味を成さない戦場が存在するということを、ラミューリンは、いま、初めて知った。
戦場図に表示される光点は、ある目安にもなっている。それは、戦神盤が戦場と認定した領域内における戦闘要員固有の戦闘力の可視化だ。つまり、光点の輝きが強さがそのまま、戦闘力の高さだということだ。それを利用すれば、敵軍の中でも弱い部隊を突くといったこともできるし、強い部隊に強い部隊をぶつけるといったことも可能であり、今回、ラミューリンが取っている手法も、それだ。
八つの赤い光点の中でもっとも強烈に発光する光点に対し、彼女は、帝都に残るほとんどすべての武装召喚師をぶつけたのだ。
武装召喚師は、召喚武装を装備した瞬間、一般の将兵とは比べものにならない光量を発する。そのため、自軍の中から武装召喚師を見繕って移動させることは極めて容易であり、ラミューリンはつぎつぎと武装召喚師を選んでは、もっとも赤く輝く敵にぶつけていったのだ。
だが、それがどうやらまったく意味をなさないことがわかり、彼女は、絶望的な気持ちの中にいた。
あのハスライン=ユーニヴァスを投入してなお、武装召喚師たちの反応が消え続けている。
それはつまり、武装召喚師たちがつぎつぎと命を落としているということにほかならない。