第二千四百十ニ話 帝都急襲(四)
至天殿は、帝都ザイアスの中心に聳える巨大な宮城だ。
さながら天地を貫く柱のようだ。というのも、帝都は、上層と下層、ふたつの区画に分かれた都市であり、至天殿は、下層から上層を貫くようにして聳え立っているからだ。下層は全部で八つの区画からなり、上層は三つの区画からなる。至天殿を上層に加えた場合は四つだが、至天殿が下層から上層をも貫いていることを考えると、上層に加えるのは間違いだろう。皇族の住まう至天殿は、上層でも下層でもない特別な区域なのだ。
上層と下層の二層に分かれた都市構造は、とても人間業とは想えない作りであり、セツナは、帝国を作った女神ナリアの関与を疑っている。
女神ナリアは、聖皇ミエンディアが召喚した神々、いわゆる皇神の中でも特に強大な力を持った二柱の神、大神の一柱だ。女神ナリアと男神エベルの二大神に対抗するべく、ほかの神々が合力して至高神ヴァシュタラとなったというのだから、神々との力の差もある程度は想像ができるというものだろう。いうまでもなく、セツナがこれまで戦ったことのあるどの神々よりも強力無比に違いない。
セツナが交戦した神といえば、アシュトラ、マウアウ、ラジャム、名も知らぬ女神、マユラ、モナナだが、マユラを除く神々は、いずれも至高神ヴァシュタラの一部に過ぎなかった。ヴァシュタラより分かたれた際、どのように力の再分配が行われたのかは不明だが、いずれにせよ、二大神とは比べるべくもない力の持ち主だということは想像に難くない。つまり、ナリアは、現状のセツナでは太刀打ちさえできないかもしれないということだ。
そういう意味では、ナリアの影も形も見えない現状には、安堵しかなかった。
少なくとも、東帝国を影から操っているわけではないのだ。
以前にも考えていたことだが、もし、女神ナリアが東帝国を影から支配していたとすれば、西帝国は拮抗することすらできないままに滅ぼされ、南大陸には統一帝国が作られていたことだろう。だが、そうはならなかった。それはつまり、女神の関与がないということだ。
ちなみに、女神ナリアの存在は、ニーウェハインたち皇族にさえ知らされていなかったといい、ニーウェハインたちが神の存在を認識したのは、先帝シウェルハインが“大破壊”より帝国のひとびとを護るため、その力を行使したときだという。それまでは、帝国の歴史上にも一切姿を見せず、あらゆる書物にも言及されていないというのだ。どうやら、皇帝だけが女神の存在を知ることが許されていたらしい。
ナリアはそれほど用心深く自分の存在を秘匿し、帝国を支配することに対してすら慎重になっていたようだ。ヴァシュタリアのように神の名や力を用いることをしなかった理由は不明だが、女神ナリアには女神ナリアなりの考えがあってのことなのだろう。
(んなこたあどうだっていいが)
セツナは、上層区画上空をメイルオブドーターの能力によって高速で移動していた。翅で大気を叩き、加速する。既に先程の広場からは遠く離れている。たまにオーロラストームの発する轟音が聞こえるくらいで、それ以外の戦闘音はほとんど聞こえなくなっていた。
至天殿までは、一直線だ。
全部で三つある上層区画は、至天殿を中心に帝都北方、帝都南東方向、帝都南西方向にそれぞれ位置している。つまり、上層区画ならばどこからでも一直線に至天殿を目指せるということだ。
いや、それは下層区画でも同じことか。
下層区画もまた、至天殿を中心とした八方向に存在する。上層区画の真下にも存在するのだが、その区画にとっては上空に巨大な屋根があるようなものであり、常に影の中にいるようなものだろう。ただ、雨露を凌ぐことができると考えれば、痛し痒しかもしれない。
ふとそんなことを想った瞬間、セツナは頭上に殺気を感じ、咄嗟に翅で大気を叩き、右に飛んだ。左を一瞥する。槍を振りかぶった男が雄叫びを上げながら落下していく。
(なんだ?)
突然のできごとに困惑していると、見ているうちに槍の男の姿が消え、再び頭上に殺気が生まれた。仰ぐ。先程降ってきた男が、またしても落下してくる。雄叫びを上げながら、だ。
「うおおおおおお!」
手にした槍は、穂先から碧く燃えている。
「武装召喚師か!」
セツナは、即座に対応を変えた。落下の勢いと速度、体重を乗せた突きを矛の柄で絡め取り、碧い熱気渦巻く中、唖然とする男を尻目に地面へと高速で降下する。そしてそのまま男を地面に叩きつけ、押さえ込んで気絶させるとともにその場を飛び離れた。今度は、複数の殺気がセツナの周囲に出現していた。無数の矢が周囲を飛び交った。それらをかわし切りつつ、殺気の持ち主たちを確認する。荘厳な建物が建ち並ぶ北部上層区画の大通り、その真っ只中だ。
「これ以上は行かせぬ」
とは、白亜の屋敷の屋根に佇む男。鎧さえ身につけていない軽装は、自信の現れだろう。手には複雑な形状の短杖が握られていて、その先端がこちらに向いていた。考えるまでもないことだが、先程から飛び交っている矢のようなものは、その杖から発射されていたようだ。実際には、矢ではない。地面や壁に当たれば跳ね返る弾丸。
「ここがおまえの墓場だ、西の手先め」
別方向の建物の屋根上から見下ろしてきたのは、長い髪の女だった。丈の短い衣装が扇情的だが、動きやすさを追求してのことだろう。あるいは、長い足を見せつけるためかもしれない。身の丈以上もある巨大な斧を担いでいる。
「そうだ、貴様はここで死ぬ」
もうひとり、別方向の柱の上から告げてきたのは、小柄な男だ。濃い紫色の装束に身を包み、右手に短刀を手にしている。頭巾の隙間から覗く目の力は強い。
いずれも武装召喚師だということは明らかだが、決して実戦経験が多いわけではないこともまた、セツナには一目瞭然だった。三人が三人、セツナに警告するだけして、仕掛けてこないのだ。セツナを甘く見ているのは間違いないが、それにしても、もう少し考えて行動するべきだ。
セツナは、召喚武装をふたつ、併用している。その時点で自分たちとの力量差を想像するべきなのだが、それがわからない。
「そうかい」
告げて、彼は、地を蹴った。一拍遅れて、弾丸がセツナの立っていた場所に直撃し、跳弾する。跳弾した弾丸は、まっすぐセツナの居場所に向かってくる。跳弾の瞬間、目標と定めた対象の座標に向かうのが弾丸の能力に違いない。が、セツナは黙殺し、柱の上の男に飛びかかっていた。跳弾の瞬間の位置からはとっくに大きく動いている。
柱の上の小男は、にやりとすると、残像を生み出すほどの速度で移動した。左へ、流れるような動きだった。短刀の能力だろう。少なくとも、召喚武装使用の副作用による身体能力強化では得られるような速度ではない。が、セツナが追いつけない速度ではなく、故に彼は中空で方向転換し、小男に追いついて見せた。装束を左手で掴み取り、小男がこちらを向いてぎょっとした瞬間、その小さな頭に頭突きをぶちかます。反動で頭が揺れる中、男を蹴って後ろに飛ぶと、どこかで跳弾した弾丸が小男に直撃した。小男が悲鳴を上げながら地面に叩きつけられるのを見届け、宙返りをして、背後から急襲してきた女の大斧をかわしきる。大振りの一撃は虚空をねじ曲げ、渦を巻いた。
女がこちらを向いた瞬間、セツナはその背後を取っている。着地の姿勢から起き上がるような動作で体当たりを叩きつけ、苦悶の声を上げる女の足を払って転倒させ、大斧を奪い取って背後に向かって投げつける。短杖の男が小さく悲鳴を上げながら移動するのを見越して、飛びかかる。女はとっくに気を失っているため、追撃を叩き込む必要はなかった。
短杖の男が弾丸を乱射してくるも、セツナは全面に翅を展開して、それらを尽く跳ね返した。跳弾は、目標方向に飛ぶはずだが、目標の直前で跳ね返されればそういうわけにもいかないのだろう。いずれの弾丸も、まっすぐに跳ね返り、そのいくつかが短杖の男に直撃した。
男は情けない悲鳴を上げながら屋根から転がり落ち、そのまま動かなくなる。
死んだかもしれない。
そうして、セツナがふっと息を吐いた瞬間だった。
複数の殺気がまたしてもセツナを包囲するように出現した。