第二千四百十話 帝都急襲(ニ)
ウルクナクト号は、帝都の遙か雲上から急降下することで、帝都のひとびとの前にその翼を広げた天使のように美しい船体を露わにした。
それは、帝都ザイアスの防衛戦力に警戒を促し、迎撃態勢に入らせることになるのだが、致し方のないことだった。雲上からでは、さすがの女神も方舟を制御したまま、セツナたちを帝都に問題なく転送することは難しいという話だったからだ。もし、方舟を制御する必要がなければ、なんの問題もなく転送できるということでもあるのだが、さすがに遙か上空で船を自由にするわけにはいかない。
それに、たとえ帝都の防衛戦力が方舟の出現と急接近に気づき、迎撃態勢に入ったところで、セツナたちには関係のない話なのだ。
セツナたちは、帝都急襲に際し、防衛戦力の無力化も視野に入れていた。
ミズガリスを降伏させるにはどうすればいいかを考えた場合、もっとも効果的なのは、彼に敗北を知らしめるということだ。ただミズガリスを確保拘束するだけでは、彼は己の敗北を理解しないかもしれない。それならばいっそのこと、帝都の全戦力を無力化し、打ち破ることで、ミズガリスに徹底的な敗北を突きつければいいのではないか。そうすれば、ミズガリスも己の敗北を理解し、降伏に応じてくれるのではないだろうか。
それ故、帝都の防衛戦力が方舟の存在に気づき、警戒し、迎撃態勢に入ってくれることは、望むところだった。
「では、作戦通りに転送するぞ」
女神が口を開いたのは、方舟が高度を十二分に下げてからのことだ。当然、帝都ではいまごろ大騒ぎになっていることだろう。ウルクナクト号の神々しいまでの姿には、だれもかれも混乱せざるを得ないはずだ。
「頼みます、マユリ様」
「うむ。では、戦闘が終わり次第、連絡してくれ」
女神は、セツナたちの勝利を一切疑うこともなく、手を翳して見せた。淡く発光する手のひらを見た瞬間、セツナの視界は白く塗り潰される。感覚の断絶。空間転移現象そのものだ。そして、五感が元に戻れば、女神の御業たる空間転移は見事完了し、荘厳な宮殿を眼下に捉えている。
「なっ!?」
「なによこれ、どうなってんの!?」
「落ちるうううううっ!?」
周囲からの悲鳴や狼狽の声も当然だった。セツナたちは、至天殿を見下ろす空の上から真っ逆さまに落下している最中だったのだ。女神マユリの意地悪などではない。マユリ神がそんなことをするわけもなければ、マユラ神がちょっかいを出してきたとも考えられない。なにが起こったのかはわからないが、ともかく、異常事態に襲われたのは間違いなかった。
「武装召喚!」
セツナは、透かさず呪文を唱えると、メイルオブドーターを呼び出し、闇の翅を広げ、加速した。だれよりも先に降下しつつ、翅を最大限に拡大する。そうして自由落下する七名全員を受け止め、そのままゆっくりと地上に降下する。着地したのは、帝都ザイアス上層の一角だ。至天殿ですらない。というのも、転移先が至天殿上空ではなかったからだ。そして、八人全員を受け止めながら飛行するのは至難の業であり、それならばいっそのことその場に降下するほうが安全だと判断したのだ。
「た、助かった……」
「さっすが大将……」
シーラとエスクが胸を撫で下ろすのを聞きながら、セツナは、全員を地上に降ろした。至天殿から三方へと伸びている上層区画の一角、その開けた場所にセツナたちはいる。上層というだけあって、地上よりも風の勢いが強く、夏の日差しもまた、激しく感じられた。周囲には、壮麗な建築物が無数に乱立している。下層の都市群とは大きく趣の異なる風景だった。上流階級が住む上層と一般市民が住む下層では、なにもかもが違うのだろう。
そして、帝都の中心に聳え立つ至天殿は、地上から上層をぶち抜く形で、天を衝くかの如き威容を見せつけているのだ。やはり、人間の所業とは想えないような建造物であり、女神ナリアの関与を想像させた。
「しかし、なんでまたこんなことに……」
だれもが想う疑問を口にしたのはファリアだが、隣のミリュウは、腕輪型通信器に怒鳴っていた。
「どういうことなの!? マユリん!?」
《済まない。想定外のことが起きた》
トールモール上に出現した女神の小さな幻像は、酷く申し訳なさそうな表情をしていた。
「想定外?」
「なんなの?」
《わたしはおまえたちを至天殿の出入り口付近に転送したはずだった。しかし、それが上手く行かなかったのだ》
「原因はわかってるの?」
《ああ。至天殿には、おそらくナリアの神威の残滓が大量に漂っているのだろう。それ故、わたしによる空間転移が安定しなかった。ナリアは数百年、帝国を影から支配していたという。その間、まったく微動だにしなかったとはいわないが、神なるものが動き回るとも考えられない。神威は蓄積し、他の神威を阻害するほど濃密な残滓となって漂うようになったと考えられる》
「……そういうことか」
セツナは、マユリ神の説明に納得した。マユリ神がセツナたちの邪魔をする理由がなく、ほかに原因が考えられない以上、それがすべてなのだろう。そこを疑う理由もない。つまり、至天殿には、膨大な量のナリアの神威が漂っているということだが、それがひとびとに悪影響を与えないのかが気になった。
「空の上からじゃわからなかったのね」
《済まない。帝国がナリアの隠れ蓑だったことを考慮しておくべきだった。わたしの失態だ》
「いや、そんなことはないさ。俺だって、ナリアの影響なんざ、全然考えてもいなかったんだ。マユリ様は悪くない」
「うんうん。あたしたちは無事なんだし」
《そういってくれるのはありがたいが……》
マユリ神がミリュウではなく、他方を見遣る。
「ん?」
視線を追えば、エリナが警告を発してきた。
「敵さんです!」
彼女のいうとおり、武装した数多の東帝国兵がセツナたちの周囲を取り囲んでいた。その数、ざっと千。降って沸いたような出現には、セツナも戸惑いを隠せなかった。少なくとも、セツナの五感が敵を捉えたのは、女神が動いたのとほぼ同時くらいだ。つまり、それまで周囲には敵兵はいなかったはずなのだ。
「いつの間に?」
「いまさっきじゃない?」
「それにしても盛大なお出迎えでございますね、まるでわたくしどもの到着を見越していたかのようでございます」
「船の降下に気づいたからって、俺たちの落下地点まで回り込めるものか?」
セツナは、メイルオブドーターの翅で自分たちを包み込みながら、レムとエスク、シーラ、ダルクスに視線を送った。呪文も無しに即座に応戦できるのは、その四名だ。ファリアたちには呪文の詠唱時間が必要であり、その間、無防備な彼女たちを護るのはセツナの役割となる。
「ここは帝国よ」
ファリアが冷ややかに告げてくる。
「帝国には総勢二万人もの武装召喚師がいたっていうんだし、中には、情報収集に特化した召喚武装の使い手がいたとしても不思議じゃないわ」
ファリアのいう通りだが、しかし、解せないこともある。情報収集に特化した武装召喚師がいて、セツナたちの落下地点を察知することができたとして、どうやって一千名もの兵士を一瞬にして転送したというのか。そちらは、空間転移の召喚武装の使い手が担った、と考えるべきなのだろうか。
セツナがそんなことを考えている最中のことだった。
「貴様らは、偽皇帝の手先か!」
兵士のひとり、派手な真紅の甲冑を身に纏った男が怒声を張り上げてきた。
「にせこうてい?」
「ニーウェハイン様のことをいっているのでございましょうか?」
「ほかにだれがいる!」
紅い鎧の男は、声高に叫ぶ。
「皇位継承争いに敗れながら、先帝に取り入ることで後継者の認定を受けたニーウェに正当性などあるものか!」
「いやいや、先帝に認定されたのなら、それがすべてだろ」
セツナは、呆れ果ててものも言えないという気分だった。
「黙れ! 我らがミズガリスハイン陛下こそ、この帝国の天地を支える大いなる光であり、神なのだ!」
「そうだ! 我らはミズガリスハイン陛下の剣!」
「我ら、皇帝陛下の剣となり、盾となり、貴様ら偽皇帝に与するすべてのものを根絶やしにしてくれる!」
口々に叫んでくるばかりの兵士たちを尻目に、ファリアたちは、武装召喚術を唱え終えていた。
「威勢がいいのは結構だけれど」
「そういうの、ほかでやってくれる?」
オーロラストームが雷光を迸らせれば、ラヴァーソウルが長大な鞭の如く薙ぎ払う。
「ぐおっ!?」
口々に叫んでいた兵士たちは、ふたりの連携の前に為す術もなく吹き飛ばされ、沈黙した。それが開戦の合図となった。レムが“死神”とともに躍り出ると、シーラがハートオブビーストを振り翳して飛びかかる。エスクは、虚空砲を撃ち放ち、ダルクスが獰猛な獣の如く突進していく。エリナは、フォースフェザーで全員を支援する。無論、セツナも戦闘に参加している。
そうして敵兵千人は、瞬く間に撃退したのだが、撃退し終えた直後、またしても降って沸いたように新手の兵士が二千人あまり出現し、セツナたちに挑みかかってきた。
帝都ザイアス上層区は、血みどろの戦場と化していく。