第二千四百八話 東西決戦(三)
西ザイオン帝国の総攻撃が開始されたその日、ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンは、帝都シウェルエンドにはいなかった。
総攻撃なのだ。
東がこちらの動きを察知し、西の戦力に対抗するべく、全戦力を各地に動員しているということがわかっている以上、国境付近では凄まじいまでの激突が繰り広げられるに違いない。それこそ、総力戦だ。決戦と言い換えてもいい。西と東、互いに存亡を賭けた戦いだった。全戦力をぶつけ合っている。
そんな状況下、皇帝だからという理由で帝都に引きこもっている場合ではなかった。
なにより、彼は皇帝であるとともに貴重な戦力のひとりでもある。彼が前線に出るかでないかで戦況は変わり得た。
いや、もちろん、彼個人が全体の戦況を動かし得るほどの力を持っているはずもない。しかし、ひとつの戦場、ひとつの部隊の勝敗くらいは、変えられるだろうことは理解している。それ故、彼は前線に出て、味方部隊の支援を行うべく、動いていた。
彼の側近たち、つまり三武卿も、軍の全権を握る大総督も、ニーウェハインの行動を歓迎はしなかった。当然だ。皇帝たるものが前線に出て、みずから刃を振るうなど、あるまじきことだ。もし、攻撃を受け、傷を負うだけならばまだしも、命に別状があれば、その瞬間、戦線の崩壊が始まる。西帝国の敗北が始まるのだ。後方にて、勝利の報告を信じて待つのが一番だ。
それくらい、ニーウェハインも理解しているつもりだ。
しかし、彼の責任感は、既に限界に達していた。
皇帝宣言以来、二年余り、彼はあまりにも多くのことを他人に任せてきていた。政務に関してもそうだし、軍事に関してもそうだ。最前線で命を張るのは、いつだって名も知らぬ数多の将兵たちであり、戦場で流されるそれら名も知らぬものたちの血が、西帝国を護り続けてきた。
皇帝たる彼は、それら各地の戦いにおける勝敗や死傷者の数について、報告だけを受け取る。それ以上でもそれ以下でもない。報告だけだ。そこからどうすればいいか、など、彼には考えようもない。国境を護る戦いに戦術も戦略もないのだ。終わらない小競り合いの繰り返しに口を挟むことなど、なにもなかった。ただ、無為に戦い、無為に血が流れている。いや、決して、無意味ではない。無意味ではないのだが、意味があるとも言い切れない。
それらの血が、西帝国の秩序のため、西帝国臣民の安寧のために贖われているとうことは間違いないのだが、しかし、本当に必要な犠牲なのか、と、考えれば考えるほど深みにはまる。
不要な戦い。
無用な損害。
無意味な犠牲。
帝国がひとつであれば、流れることのなかった血だ。失われることのなかった命だ。払う必要のなかった代価なのだ。
故に彼は、早急に南大陸を統一する必要があると考えていたのだし、そのためにできる限りの手を打とうとした。しかし、持ちうる戦力では、掌中の手駒では、東の戦力を打ち破り、大陸を統一する算段も見いだせなかった。
見いだせないまま、二年近くもの間、小競り合いばかりを続けていた。
最前線において、どれほどの血が流れたのか。
小競り合いだ。血も流れない、だれひとり傷つかない戦いもあったかもしれない。西も東も、結果の変わらない戦いに本腰を入れるわけもなく、互いにどこかで折り合いをつけていたのかもしれない。そういう話が実際にあるということも知っている。しかし、どこかでだれかが傷つき、倒れているのは間違いなく、その積み重ねが膨大な数に上っているのは、考えるまでもなかった。
もはや、帝都に引きこもって報告だけを聞いているわけにはいかなくなっていた。
耐えきれない。
耐え抜くのが皇帝の役割だということは知っているし、理解している。わかっている。だが、それでも、この総力戦においては、総攻撃においては、そういってはいられなかった。
この戦いで、西帝国の将来は決まる。
そして、この戦いに勝利するという確信はある。
だが、いや、だからこそ、彼はみずから前線に赴かなければならないと考えていた。
総力戦だというのに皇帝は帝都に引きこもり、各地から届く報告だけに耳を傾けていればいいなど、考えたくもなかった。
皇帝は、帝国における柱なのだ。天地そのもの。神と言い換えてもいい。
ならば、帝国将兵の規範となって戦うのもまた、皇帝の有り様なのではないか。
そんな詭弁にも似た持論を振り翳して、彼は、三武卿とともに戦地に赴いた。もはや、大総督も彼を止めなかった。大総督ほど、皇帝の心理状態を理解しているものもいないのだ。彼女は、ニーウェハインの気持ちを知り、故に止められないと想ったのだろう。頼み込めば、前線に行くことを承知してくれた。
『ただし、三武卿からは決して離れないこと。よろしいですね?』
ニーナは、そう念を押してきたが、ニーウェハインにしてみれば、それは当然そうあるべきことであり、なんの不満もなかった。
三武卿も、ニーナに皇帝を身を挺してでも守るよう頼み込まれていたが、彼らは彼らで、それが自分たちの役割であると是認しており、頼まれるまでもないといった反応を示した。ニーナは、大総督としての役割を果たすべく、前線近くの本陣に腰を据えなければならず、そのためにこそ、三武卿にニーウェハインのことを頼み込んだのだろうが、当然、そんな心配は不要としかいいようがない。
前線に辿り着いたニーウェハインには、三武卿のほか、三武卿直属の軍隊が行動をともにしている。閃武卿率いる閃刃衆、剣武卿率いる光理剣、光武卿率いる征神魔導団はいずれも西帝国精鋭中の精鋭揃いであり、西帝国最強の布陣といってもよかった。そんな連中を皇帝の身辺警護のためとはいえ、帝都に遊ばせておくことがどれほどの無駄なのか、いうまでもないだろう。
総力戦を謳うのであれば、それら精鋭中の精鋭を戦場に投入するのは、道理といっていい。むしろ、全戦力の投入を望むのであれば、彼らを帝都に置いておくなど以ての外だ。彼らを戦場に投入するか否かでこちらの損害も大きく変わってくるはずだった。
だからこそ、という想いもある。
それら西帝国精鋭中の精鋭を帝都に遊ばせておくくらいならば、皇帝みずから出陣するべきなのだ。
そうすることで少しでも前線の負担を減らすことができるはずだ。
それにもし、前線に皇帝が出ていると敵に知れ渡れば、動揺が走るだろう。そこに戦力を集中させようとする動きが出るかもしれない。そうなれば、ニーウェハインの思う壺だ。
互いに全力を出し合い、各地でぶつけ合っているからこその拮抗状態が、その瞬間に崩れ去る。もちろん、敵戦力が集中するということは、こちらにとっても困難極まりないことではあるのだが、同時に、敵にとっても極めて困難な状況になるだろう。各地の戦力を動かすことになるのだ。そうなれば、どうなるか。各地の戦線において、西側の優勢が多発することになる。
もっとも、そう考えた場合、たとえ皇帝が前線に出ていることがわかっても、おいそれと各地の軍勢を動かせるわけもないのではないか。
その地の戦力を結集するのが関の山なのではないだろうか。
「どう想う?」
「まあ、そうでしょうね」
ランスロット=ガーランドが苦笑気味に肯定した。
戦場に辿り着くなりの疑問には、彼も笑うほかなかったのかもしれない。
「たとえ陛下が前線に出ていることがわかったとして、敵の全軍に伝わるまでかなりの時間を要します。そして、情報が伝わりきったところで、陛下を討つためだけに全軍を動かすわけにもいかないでしょう」
「それにさ、そのころにはこっちの勝利も決まってるんじゃない?」
「……それもそうか」
ニーウェハインは、シャルロット=モルガーナとミーティア・アルマァル=ラナシエラそれぞれの意見、感想に小さくうなずいた。
それもそうだ。
ニーウェハインが前線に出ていることが判明したとして、それが敵の全軍に伝わる頃には、帝都ザイアスは落ちていることだろう。
西と東が激しく火花を散らせているいま、帝都ザイアスはがら空きも同然なのだ。
無論、多少の防衛戦力は残しているだろうが、普段のように膨大な数ではあるまい。それほどの戦力を帝都防衛に割けば、西の総攻撃を防ぎきることはできない。
また、仮に東帝国がこちらの真意を把握できていたとして、だ。
帝都防衛のために戦力を割けば、西帝国の総攻撃を防ぎきれず、西帝国の快進撃を許すことになる。東帝国は戦線を引き下げ続け、国土を失い続けることになる。そして、いずれは帝都防衛のために滅びなければならなくなるだろう。
もっとも、だ。
(こちらの真意になど、気づくはずもないが)
神でもなければ、総攻撃こそが陽動であるなどとわかるわけもない。