表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2406/3726

第二千四百五話 西の動き、東の反応(ニ)

「西が本格的に動き出したと、そう、卿はいいたいのだな? 西が、我が方との決戦のために動き出した、と」

 ミズガリスハインが念を押すようにして確認してきたのは、それは彼にとっても想定外のことだったからに違いない。神経質な彼の右の瞼がいつになく激しく痙攣し、眉根に皺が刻まれる。彼が不快感を覚えたときの反応だ。無論、ラミューリンにではなく、彼女の報告によって西側の動きを知ったからにほかならない。

 皇帝たる彼はまだ知らなかったのだ。

 西側の本格的な侵攻、総攻撃を想像させる戦力の動きは、東帝国のあらゆる部門を統括するラミューリンだからこそ、知ることができたというべきだろう。すべての部門から入ってくる情報を総合することで、ラミューリンの脳裏には、西帝国の動きが描き出されていた。各地の戦力が前線へと集中し始めている。それが過去に類を見ないほどの規模の戦いの前触れだろうということは、彼女ほどのものならば容易に想像が付く。

「はい。現状、手に入る情報を総合すれば、そのように考えてよろしいかと」

「西は、我が方に勝てると踏んだ、ということか」

「ほかに考えようがございませぬ」

「……北と南で巻き返したことが、彼らにとって余程嬉しいことだったのだろうな。この勢いならば我らを打倒できると見たか。だとすれば、我らも甘く見られたものだ。低く見積もられたものだ」

 ミズガリスハインは、内心の荒ぶりを打ち消すかのように声を抑えて告げてきた。彼は心の奥底では、西の動きに対し、どうしようもなく怒り狂っているはずだが、現状では、冷静さのほうが勝っているようだった。ラミューリンは多少の安堵を覚えたものの、危惧もまた、抱いた。ミズガリスハインは冷静であれば古今無双といっていい名君、名将となり得るが、冷静さを欠いた瞬間、その座から転落する。そして、彼は常に冷静ではいられないという性分がある。だからこそ、ラミューリンのような人間の補佐がいるのであり、彼もそのことを是認しているからこそ、ラミューリンを重用し、彼女の言を聞き入れるのだ。

「ラミューリン。卿は、その動き、どう捉えている?」

「西は、我が方との均衡を崩すべく、新戦力を国外に求めていました。そしてそれが現在、西の主戦力となっているのはまず間違いありません。北方戦線も、南方戦線も、その新戦力が主体となって西の勝利に貢献したようなのです」

「つまり、西は、その新戦力を当てにしているということか。しかも、その新戦力があれば、我が方との拮抗した戦力差を上回れると踏んでいる。だからこその決戦である、と、卿は考えている」

「はい」

 ラミューリンは、少しずつ冷静さを取り戻しつつあるミズガリスハインの様子を見て、胸を撫で下ろすような気持ちだった。ラミューリンの報告には、当初こそ頭に血が上ったものの、よくよく考えれば当たり前のことである、とでも想ってくれたのかもしれない。

「率直な意見を申せ。その新戦力の投入によって、我が方と西の戦力差は埋めがたいほどのものとなったのか?」

「……まず、新戦力の規模、実働能力が不明である手前、正確には判断しかねます。しかしながら、西側の動きを見るに、西は、そう考えていると見てよろしいかと。新戦力の加入により、我が方を上回ることができると判断したからこその決戦の動きなのですから」

「卿はどう判断している」

「北部戦線、南部戦線の戦況報告を見る限りでは、西が信頼するに足る実力を持っていると見て間違いありません」

 北部戦線において東側が確保していた三都市が一夜のうちに奪還されたという事実は、衝撃的にも余りあったが、それは西の新戦力がそれほどまでに強力無比であるということの現れだった。南部戦線、ビノゾンカナン攻防における東側の敗れ方も、西の新戦力の強さを現している。そして、だからこそ、西が動いたと彼女は考えていた。

 西は、新戦力を主軸に据えて、この度の決戦を行おうとしている。

「つまり、西は現在、我が方の戦力を上回っているということだな」

「はい」

「……勝てるかね?」

「勝たねばなりませぬ」

 ラミューリンは、ミズガリスハインの目を見つめながら、告げた。勝てるかどうかといわれれば、微妙なところだ。しかし、勝たなければならない。勝たなければ未来はなく、勝たなければ希望もない。負ければ、敗者となれば、すべてを奪われ尽くし、失い尽くすだけだ。夢も希望も光も明日も、泡の如く消えてなくなる。故に彼女は、可能性を論ずるのではなく、願望を告げたのだ。

「でなければ、陛下による治世が訪れませぬ故」

「……ふむ」

 ミズガリスハインは鷹揚にうなずいた。

「しかし、新戦力の加入による戦力差を埋め合わせる方法がなければ、勝てぬのではないか?」

「戦力の過多のみが勝敗を分かつものではありませぬ。戦略戦術が伴ってこそ、戦に勝てるもの。現状、西の戦略は、全方面全戦線に全戦力を投入するというあまりにも稚拙なもの。数の力を頼みにしただけの愚行の極み。これを逆手に取れば、我が方の勝ち目も見えましょう」

「ほう。卿には、勝ち目が見えるか」

「新戦力の加入による戦力差は確かに大きいでしょう。しかし、勝敗を決めるのは、その程度の戦力差ではありません。その程度の戦力差で勝敗が決まるのであれば、我々はとうに大陸を統一できていたはずです」

「……確かにその通りだ。我らは、当初、西を遙かに上回る戦力を有していた。だが、統一は適わず、西の膨張を許した。挙げ句、戦力均衡の構築へと至ってしまった。それもこれも、我らが遅きを失したが故……なるほど」

 彼は、苦渋に満ちた表情で告げた末、合点がいったとでもいうようにつぶやいた。

「速度だな」

「は」

 ラミューリンは、静かに肯定するとともにミズガリスハインの見識に目を細めたくなった。ミズガリスハインは、冷静なときは、自分の弱点さえも完璧に把握できている。そして、だからこそ彼は皇帝に相応しいのだ。己の強み弱みを完全に把握した人間ほど強いものはいない。

「我らの現状は、遅きを失した故のもの。なれば、西より速く、だれより疾く動けば、負けることなどあり得ぬ。戦力差を覆し、勝利を重ねることも難しくはない、と、卿は考えている。ならば、いまより動け。疾風迅雷の如く、だれより速く、なにより疾く、敵を叩け」

「既に」

 ラミューリンが告げると、ミズガリスハインは、柔らかに目を細めた。期待以上の働きをしたものに向けるまなざしだ。

「……ほう」

「既に全軍に通達しております故、ご安心のほどを」

 とはいったものの、それは彼女にしてみれば当然のことだった。

 ミズガリスハインへの報告は、事後承諾のようなものであり、確認のためのものといってもいい。ラミューリンは、この帝国において、皇帝に次ぐ立場にある。軍の全権を握っているのだから、彼女が全軍を動かすことになんの問題もなかった。そしてそれこそが速度だ。疾風迅雷の如く、彼女は、状況を把握すると、すぐさま全軍に命令を飛ばした。

 西の動きに対応するべく、こちらもまた、すべての戦力を各地の前線に集中させたのだ。

「ラミューリン」

「はい」

「やはり、わたしには卿が必要だ。卿があればこそ、わたしは安心して皇帝をやっていられる。皇帝として、玉座にふんぞり返っていられる。そうだ。わたしがいま、ここにあるのも、すべて卿のおかげよ。卿には感謝しかない」

「感謝は……勝利の後に」

「ふむ」

 彼は、虚を突かれたとでもいうような顔をした。そして、破顔する。

「その通りだな」

 笑えば、途端に屈託のない人懐っこささえ感じさせる顔になるのが、ミズガリスハインという男だった。彼の笑顔に魅せられたものは少なくなく、故に普段の彼の神経質な振る舞いに耐えられるというのもあるのではないか。それくらい、彼の笑顔は魅力的だった。 

 人間には、愛嬌がなくてはならない。

 愛嬌のない人間には、ついていくものはいない。

 たとえそれがどれほど優れた人間であっても、可愛げも一切ない完璧な存在ならば、だれひとりとしてついていかないだろう。その点、ミズガリスハインには、他人を引きつける魅力がいくつもあった。そのひとつが屈託のない笑顔であり、それは、彼が先帝から受け継いだ才能の中でも最たるものではないか。彼の笑顔に魅了されたものこそ、彼の忠臣となり得たからだ。

 ラミューリンもそんなひとりだ。

 彼の笑顔のために死力を尽くしているといっても過言ではなかった。

 この度の戦いも、彼の笑顔にこそ捧げよう。

 そう、彼女は考えている。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ