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第二千三百九十七話 西ザイオン帝国大会議(一)

 帝都シウェルエンドに全方面大戦団総督が招集されることになると、大忙しになったのは、ウルクナクト号であり、船の操縦を司るマユリ神だった。

 通常、東帝国の情報伝達に用いられるのは各地を縦横に走る召喚車か、あるいは飛行能力を有した武装召喚師だが、それでは時間がかかった。馬を走らせるよりも早く、伝書鳩を飛ばすよりも確実ではあったが、それでも北から南まで伸びきった戦線の最前線近くにいるであろう総督たちに招集命令を通達するのには、それなりの時間を有することになる。それでは、せっかくの好機が意味を成さなくなるのは明白だ。

 少しでも勢いがこちらに傾いているうちに動き出し、東帝国に圧力をかけ、戦いを有利に進めたいというのがニーウェハインの考えであり、そのためにも一日も早い総督たちの帝都集結が必要不可欠だった。それにはセツナたちが協力するのが一番手っ取り早いと考えた末、セツナの側から方舟の利用を打診した。方舟なら、北部戦線だろうと南部戦線だろうと数日足らずで移動できることが判明している。普通に召喚車や武装召喚師を飛ばすよりも早く招集することができるだろう。

 セツナの打診に応じたニーウェハインの要請により、ウルクナクト号は、光武卿ランスロットのみを乗せて帝都を旅だった。

 当初はセツナたちも乗船して総督たちを迎えに行く旅に同行する予定だったが、ランスロットは、セツナたちは北部戦線、南部戦線における戦いで十二分に働いたのだから、この程度の旅に同行する必要はないと明言された上、強く休養することを勧められたため、仕方なく帝都にて船の帰りを待つこととなった。

 ウルクナクト号の旅は快適かつなんの苦労もないのだが、ランスロットの気遣いには感謝をもって応えるべきだったし、常に船に籠もっているよりは、たまには帝都でゆっくりと羽を伸ばすのも悪くはなかった。なにより、ファリアたちが喜んでいる。マユリ神だけを酷使することになるのは少しばかり気を遣ったものの、マユリ神自身は文句ひとつ漏らさないのだから、なんともいいようがない。むしろ、セツナたちの代わりに飛び回ることに喜びさえ見出しているようですらあった。

 そんな女神とランスロットを送り出した後は、船が戻ってくるまでゆっくりと休養しながら待ち続けた。

 

 帝都シウェルエンドでの日々というのは、平穏極まりないものだ。

 日課の鍛錬をエスクやレム、シーラを交えながら行ったり、合間合間に帝都市内を巡り、買い物や食事、観光を楽しんだりした。そういう時間が無駄だとは思わなかったし、むしろとても重要なことだとセツナは考えていた。なにせ、ファリアたちとゆっくりと話し合ったり、触れ合える時間なのだ。これを重要といわずして、なにを重要というのか。

 セツナは、愛するひとたちとの幸福な時間が一秒でも長く続くことを望んでいたし、そのためにこそ、矛を手に戦っている。

 帝都での日々は、彼にその想いを再確認させるものとなった。

 皇厳宮に呼ばれ、皇帝ニーウェハインを交えた会食の席についたこともあったが、やはり皇帝主催の会食ということで格式が高く、どうにも緊張したことしか覚えていなかった。たぶん、出てくる料理全般美味しかったのだろうが、味を覚えていないくらいだ。余程、緊張していたらしい。

 そんなことをファリアたちにいうと、皆に笑われた。それはそうだろう。セツナなど、緊張とは無縁の人間のように思われているし、それもあながち間違ってはいない。

 そんなセツナだが、ニーウェハインとふたりきりで話し合うときは、皇帝の前にいるという緊張感からは時離れ、気心の知れた親友と対面しているような感覚でいられた。それはおそらく、ニーウェハインがかつてセツナと同一の存在だったということに起因しているのだろう。生まれや育ちこそ違えど、それ以外のすべてが同じ、異世界の自分。それがセツナにとってのニーウェであり、ニーウェにとってのセツナだったのだ。いまでこそ、同一存在の呪縛から解き放たれ、別個の存在として世界に認識されているものの、だからといって、あのときの記憶まで失われたわけではなかった。

 だから、だろう。

 ニーウェハインは、たびたびセツナひとりを執務室に呼んだ。そして、そのときだけ、彼は仮面を外し、自分の素顔を曝け出した。白化症に侵蝕された彼の素顔は、見るからに無残で醜悪としかいえなかったし、セツナはその本心を隠さず彼に伝えていた。彼は、そんなセツナだからこそ素顔を晒せるのだと笑った。セツナが本心を包み隠さずいえるのは、ニーウェが受け止めてくれる人間であると知っているからだ。

 互いに心の有り様を理解し合っている。

 それ故、ニーウェハインはセツナを呼んではくだらない世間話をしたがったのだろう。

 ニーウェハインは、帝国において孤独なのだ。

 彼を慕うものたちは、多い。

 大総督と三武卿がその筆頭に上げられるが、その四名だけがニーウェハインの支持者ではない。ニーウェハインに心の底から忠誠を誓うものは、決して少ないわけではないのだ。むしろ、正当なる皇位継承者であり、正しくザイオン帝国皇帝である彼を受け入れないもののほうが少ないといっていい。

 中でも大総督と三武卿の四名は、彼が皇子のころから側にいて、彼のことを心の底から信じ、認め、愛してさえいた。特にニーナとニーウェの間柄は、姉弟というよりは恋人のそれであり、ふたりは、正式に婚約を結んでさえいる。このままいけば、ニーナはいずれ皇帝の室となることになっているのだ。しかし、ニーウェは、孤独だった。愛し合っているひとがいて、信じ敬ってくれるひとたちがいるにもかかわらず、彼の心は、孤立している。隔絶されている。

 それは、致し方のないことだろう。

 皇帝という立場がある。

 皇帝は、ザイオン帝国という大勢力における支柱だ。帝国という巨大な天地を支える柱なのだ。神と言い換えてもいい。帝国臣民にとって、皇帝とは神そのものといってよかった。神なるものがひとびとと触れ合えるものだろうか。ひとびとと心を通わせ合えるものだろうか。

 マユリ神のような例外を除けば、神なるものは、ひとびとを遙か上より見下ろし、その願いや望みを聞き届けるものだ。神みずからの心の内を曝そうとはしないし、話し合おうともしない。一方的に力を振り翳すのが関の山だ。故に神の怒りは理不尽に受け取られ、神の恩恵は突然の奇跡のように感じられる。元来、神とは、孤高の存在なのだ。

 歴代皇帝もまた、そうだったという。

 中でもニーウェハインは、孤独にならざるを得ない理由がある。

 それが白化症であり、重度に進行した白化症を臣民に曝すことなどできるわけがない以上、それを唯一見せたセツナを心の拠り所とするのは、無理からぬことだ。

 セツナは、そんなニーウェの心中を察し、できる限り彼の要請に応えた。彼の話し相手になることで、彼の気晴らしになるだろうと思ったのだ。ニーウェは、帝国臣民のことをだれよりも考えている。彼が皇帝として立った最大の理由がなんであれ、いまは、帝国臣民の安寧と平穏に全力が注がれているのだ。そこに嘘も偽りもあるまい。

 だからこそ彼は、セツナに皇帝ニーウェハインに成り代わることを打診したのだ。

 自分自身のことだけを考えるような人間ならば、思いつきもしないことだろうし、思いついたとして、本当に要請することはあるまい。

 セツナは、ニーウェハインが哀れでならなかったし、彼のためにできることならばなんでもしようと想えた。かつての敵も、いまはふたりといない友のように想えていた。それもまず間違いなく、かつて同一存在だったことが原因なのだろう。

 ニーウェハインには、セツナも素顔の自分を曝け出すことができたのだ。

 心のあるままに思いの丈を吐き出すことができた。

 それがふたりだけの時間を持つことの意義だったのだろう。

 

 そんな日々が一先ず終わったのは、方舟ウルクナクト号が帝都に帰ってきたからだ。

 大陸暦五百六年六月二十九日。

 各大戦団総督が帝都シウェルエンドに集結し、帝都はこれまでにない大騒ぎとなった。

 各地に派遣された総督が一堂に会するのは、そうあることではなかったからだ。



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