第二千三百九十六話 戦線(ニ)
ビノゾンカナン解放の報せが帝都シウェルエンドに届いたのは、六月十六日、黎明のことだ。
朝焼けが東の空を染め上げる頃合い、ウルクナクト――つまり黒き矛と名付けられた飛行船が明けの空を貫くようにして、帝都シウェルエンドへと舞い戻ってきた。それをニーウェハインは、皇厳宮の天守展望台から見ていて、北方都市群解放よりは時間がかからなかったことに安堵したものだった。ビノゾンカナンひとつの解放にあまり時間をかけて欲しくなかったというのは、ほかならぬ彼の本音だ。
セツナたちが帝都を出発したのは、六月八日。つまり、ビノゾンカナンに急行し、救援し、舞い戻ってくるまで八日しか経っていない。八日も、ではない。八日しか、経過していないのだ。
ビノゾンカナンは、西帝国領南東の都市だ。召喚車を利用しても、辿り着くだけでかなりの日数を要する。少なくとも、八日で行き来できる距離ではなかったし、ましてや救援を成し遂げることなどできるわけもない。やはり、セツナたちという同盟者を得られたことは、西帝国にとって極めて重要な出来事といっていいだろう。セツナたちは、地上ではなく、空を飛んで移動する手段を持っている。それもかなりの早さで移動できるのだ。それだけでほかにはない強みといってよかった。
それだけで、西帝国は東帝国を大きく上回ったといっても過言ではない。
方舟は帝都上空に到達すると、セツナたちは直接皇法区に転送されてきた。
帝都は広い。正門から皇法区皇厳宮まで移動するだけでもかなりの時間がかかるため、ニーウェハインみずからそうするようにと通達していたためだ。でなければ、ニーウェハインは、セツナたちの帝都帰還を知りながら、皇厳宮に辿り着くまで数時間もの長い間、悶々と待ち続けなければならなかっただろう。
皇法区に降り立ったセツナたちは、ランスロットが案内人となって皇厳宮に至った。
そのころには、ニーウェハインは天守を降り、静謐の間にてセツナたちの到来を待ち受けていた。
そして、早朝であるにもかかわらず、静謐の間にてセツナたちを謁見し、報告を受けた。
報告により、セツナたちが帝都に戻ってくるのに八日「も」かかったのは、ビノゾンカナン攻略のため集められていた東帝国軍を追い払うため、時間を要したからとのことだった。ビノゾンカナンの救援そのものは、半日足らずで終えており、ビノゾンカナンの橋さえも修復してしまったという。その報告を聞けば、ニーウェハインも瞠目せざるを得なかったし、想像以上の手際の良さと、後始末までしてくれていることには感謝の言葉もなかった。
確かに、ビノゾンカナンを救援するだけでは、問題や懸念が残ったことだろう。
東帝国軍は、ビノゾンカナン攻略を起点として、北方戦線のみならず南方戦線を東帝国側の優勢に進めようと考えていたのだ。たとえビノゾンカナンの水攻めが失敗に終わったからといって、すぐさま諦めるわけにはいかないという事情がある。その程度で諦めれば、気難し屋のミズガリスの不興を買うだけではなく、怒りを買いかねない。軍勢を指揮していた総督ミナ=ザイオンが投降したからという理由では、ミズガリスは納得しないだろう。それ故、ビノゾンカナン攻略に投入された大戦団は、セツナたちに追い散らされた後も、すぐには戦線を引き払わなかった。
そのためにセツナたちはビノゾンカナンに残り、警戒を続けていたというのだ。
やっとの想いでビノゾンカナンを飛び立ち、帝都に舞い戻ってこられたのは、ビノゾンカナン攻略を目論む東帝国の軍勢が立ち直れないほどの大打撃を与えることができたからであり、それら軍勢がビノゾンカナンより遙か後方まで撤退したのを確認することができたからだという話だった。
「さすがは我が友。見事な手腕と畏れ入る」
ニーウェハインは、改めてセツナの実力と、彼の仲間の力を思い知った気分だった。セツナが強いことは知っていたし、彼の仲間もまた、それに相応しい実力者揃いだということも理解していたつもりだったが、考えていた以上だった。
「当然のことをしたまでですよ、陛下」
「ふふ……それが当然となれば、今後の手腕にも期待せざるを得ないが?」
「期待してください。期待を凌駕致しましょう」
「頼もしい限りだ」
ニーウェハインは、セツナの軽妙な返答にただただ目を細めるほかなかった。強がっているわけでも楽観視しているわけでもない。彼は当然のように、当たり前のようにいってくるのだ。そこには自信があり、確信がある。東帝国の戦力など、自分たちにとっては敵ですらないとでもいいたげな様子であり、実際にその通りなのだろうから、ニーウェハインたちとしては、なにもいうことがない。言葉通りだ。実に頼もしく、不安など抱きようもない。
ニーウェハインの抱いていた焦りがにわかに消えて失せたのも、セツナの不敵な笑みのおかげだった。彼の実力に裏打ちされた自信と確信は、ニーウェハインの中で日に日に膨張し続けていた不安や懸念を一瞬にして吹き飛ばし、馬鹿馬鹿しいとさえ思わせた。
それはやはり、セツナが、かつてニーウェハインにとって半身とでもいうべき存在だったから、というのもあるのに違いない。
「セツナ。それに皆も御苦労だった。いまのところ、つぎの任務は決まっていない。しばらくはゆっくりと休養してくれたまえ。休養もまた、君らにとって重要な任務だ」
「陛下がそう仰るのであれば」
セツナは畏まってうなずいたが、すぐに別のことをいってきた。
「しかし、よろしいのですか?」
「ん?」
「一刻も早く、東を打倒するべきでは」
「そうしたいのもやまやまだが、そのためには、全軍の意思をひとつにしなければならん。戦いとは、連携あってこそのもの。一部隊だけ突出しては、どうにもなるまい」
そういってから、ニーウェハインは、セツナたちが必ずしもその認識に当てはまる存在ではないことに気づき、苦笑した。セツナ一行は、連携とは無縁の戦力だった。セツナ一行だけで北方と南方、ふたつの戦線の戦況を覆している。彼らに頼り切るのであれば、連携など関係ないのかもしれない。が。
「……まあ、君らには関係のない話かもしれないが、我々はそういうわけにもいかないのだ」
ニーウェハインは、セツナたちがビノゾンカナンに赴いている間に考えていたことを彼に話した。
各地に派遣した各大戦団総督を帝都に招集し、今後の方針を決める軍議を開くというものだ。そのためには相当な日数が必要だったが、それもこれも各方面大戦団との連携こそが肝要であること考えれば、致し方のないことだ。
そして、その軍議を開くための余裕ができたのは、セツナたちのおかげだということも伝えた。
北方戦線、南方戦線が西帝国側不利のままであれば、総督を帝都に集め、軍議を開くなどといった大それたことはできなかっただろう。総督は、各方面大戦団の柱だ。不利な状況で現地を離れさせれば、各軍の士気に多大な影響を及ぼすことは疑いようもない。そのため、各方面大戦団総督には、相応の権限を与え、帝都の皇帝にいちいち伺いを立てる必要をなくしていたのだ。戦闘を起こすたび、なにがしかの異変があるたびに帝都に意見を求めるようでは、帝都の承認を求めるようでは、なにもかも動きが鈍り、後手に回らざるを得なくなる。それでは、東帝国に押される一方だろう。
故にこそ、総督たちには各方面における皇帝のような役回りを与えている。
その総督たちを一堂に会するのはどういう意味か。
ニーウェハインがその考えを言葉にしたとき、ランスロットやミーティア、ニーナが表情を強張らせたのは、彼の胸中を理解してのことだろう。
いまこそ、東帝国打倒のため、大攻勢をしかけるべく、軍議を開こうというのだ。




