第二千三百九十一話 誓いの谷の戦い(十一)
ミルズは、麾下五千名とともにセツナの後に続き、東帝国軍陣地へと突撃したが、本陣に至るまでの間、戦闘らしい戦闘も起きなかった。
なぜならば、セツナが想像を絶する力でもって陣地を破壊して廻ったからであり、凄まじい破壊の嵐は、水攻めの失敗によって混乱しつつあった東帝国軍を恐怖のどん底に突き落としていったからだ。漆黒の矛と鎧が織り成す攻撃の数々によって陣地内の天幕という天幕が吹き飛ばされ、柵という柵が打ち砕かれた。セツナを迎え撃たんとした勇猛な兵士たちは、しかし、セツナに触れることもできないまま打ちのめされている。
ミルズは、決して戦場を知らないわけではない。先帝の時代から、皇魔討伐によって実戦経験を得、度重なる演習によって戦いとはどういったものであるかを知り、理解していた。世界大戦を経験してもいる。しかし、彼がこれまで経験した戦いのいずれも、セツナのような戦いぶりを見せるものはいなかったし、ここまで少数による一方的な戦闘など、想像しようもなかった。
セツナの圧倒的としかいいようのない強さには、ミルズのみならず、ミルズの護衛たる武装召喚師たちですら言葉を失うほどだったらしく、彼らは一様に呆然とし、中にはセツナの強さに見惚れるものさえいた。それほどまでにセツナの力というのは絶大であり、絶対的とさえいってよかったのだ。
もちろん、東帝国軍とて、座して陣地の壊滅を見ていたわけではない。果敢にもセツナに立ち向かうものもいないわけではなかったし、東帝国軍がこの度の戦いに動員した武装召喚師たちは、セツナをこそ真っ先に倒さなければならない相手であると認識すると、全戦力を集中させたようだった。だが、セツナはそれを一蹴した。
鎧袖一触。
帝国の武装召喚師たちの力量を疑ったことなど微塵もなかったミルズだが、セツナとの間にある絶望的なまでの力量差を目の当たりにすれば、多少なりとも考え直さざるを得なかった。
相手が悪い。
そう想うのだが、しかし、どうやら強いのはセツナだけではないらしいということがやがて明らかになってくる。
東帝国軍陣地を北と南から挟撃急襲するというこの度の作戦は、当然、南から襲撃したセツナとミルズたち以外にも、北から敵陣を攻め立てた部隊がある。それは、セツナ配下の武装召喚師たちであり、それら武装召喚師たちの実力もまた、帝国の武装召喚師と比べるべくもなく強力無比としかいえなかった。東帝国軍陣地が瞬く間に壊滅状態となり、東帝国軍将兵が無残なほどの大混乱状態に陥ったのは、セツナひとりの活躍だけではなく、北からも絶大な力を持つ勢力が押し寄せたからだ。
セツナ配下の武装召喚師たちもまた、東帝国軍武装召喚師を遙かに上回る力を見せつけながら東帝国軍陣地を破壊していき、立ち向かってくる敵兵を尽く制圧していく。
ミルズたちは、無人の野を行くが如く悠然と敵本陣へと向かえばよかった。
それはそれで、ありがたいことではある。
船の構造上、五千人しか連れてこられなかったことは、ミルズにかなりの不安を与えていた。なにせ、数万の敵兵がひしめく敵陣地内への突撃作戦だ。数の上では大いに負けており、端から勝負にならない可能性があった。無論、水攻めの失敗が敵陣に混乱を生むだろうことは間違いなかったし、そこを好機と攻め込むのは理解できない策ではない。むしろ、ミルズ案の策よりも遙かに成功率が高く、信頼のおける戦術といっていい。だが、それでも相手は帝国の精兵ばかりなのだ。混乱など、敵襲を前にすれば立ち所に回復するのではないか。そして、五千人程度の戦力など、数万の戦力を前にすれば容易く壊滅させられるのではないか。
そんな不安は、彼が本陣へ向かう中、杞憂になっていた。
ミルズ麾下の五千名はだれひとり欠けることなく、東帝国軍陣地内を北上し、途中、東に進路を変えた。本陣は、陣地内東部に聳える丘の上にあったからだ。丘への道中も、丘に登っている最中も、ミルズたちが攻撃を受けることはなかった。打ちのめされ、気を失っただけの東帝国軍将兵を拘束するよう命じることだけが、ミルズの仕事といってもよかったほどだ。それくらい、彼にはなにもやることがなかった。拍子抜けするくらいあっさりと、敵本陣に辿り着く。
本陣に辿り着けば、数千の将兵が声もなく地に伏している。セツナだ。セツナに打ち倒されたのだ。本陣に犇めいていた精鋭たちは、ひとり残らすセツナの前に無力化されていたのだ。生死不明だが、これまでのことを考えると、だれひとり死んではいないのだろう。
彼は、皇帝からの頼みとして、できる限り人死にを少なくするという戦い方をしていた。
兵力差を考えれば、そんなことを考えている状況ではないはずだが、彼は、そんな常識などお構いなしにやってのけているのだから、ミルズも、言葉を失うほかない。実際、兵力差をものともせず、敵を殺さず、敵戦力を無力化するという目的を果たしている。敵本陣においてもそうなのだから、いうことはない。
そして、セツナはというと、どうやら傷ひとつ負っていない。
ひとり、若い女と対峙していた。そのきらびやかな鎧から、彼女がこの軍勢の指揮官であることが想像がつき、近づけば、なにものであるかすぐに判明した。
ミナ=ザイオン。
ミルズの同腹の妹であり、先帝の第九皇女だ。年齢は今年で二十三になる。つまりミルズとは十四も年が離れているということになるが、年の離れた弟や妹は彼にとっては別段めずらしいものでもない。しかし、ミナは、ミルズと同腹の兄弟の中で一番年下ということもあり、ミズガリスもミルズも彼女のことをことさらに可愛がったものだった。気難し屋のミズガリスでさえ、ミナのことは目に入れても痛くないといわんばかりに溺愛したのは、年の離れた妹ということもあっただろう。それは、事実としてミルズも認めるところだ。
そんなミナが気性の激しい性格の持ち主に育っていったのは、ミズガリスの影響があるのではないか、と疑うところだが、よくよく考えれば、母の影響のほうが遙かに強いのかもしれない。自分を含め、ミルウーズの子は、性格に問題があるような気がしてならなかった。
その点、ミルウーズの侍女ニルサーラの子であるニーウェとニーナはどうか。
ニーウェなどは、ミズガリスなどよりも遙かに人格者だった。彼は、ミルズがミズガリスとの政争に敗れ、その意趣返しの如くニーウェを推戴し、対抗勢力を作り上げようとしているのを理解しながらも、ミルズを責めなかった。それこそが帝国臣民のためであると断じ、むしろミルズのやろうとしていることを賞賛した。ミズガリスの如く皇帝を僭称する悪人に国を任せるわけにはいかないからこそ立ち上がったのだろう、と、ミルズの行いを正当化してみせたのだ。ニーウェの器量の大きさに触れるに従い、彼は、己の浅はかさを恥じたし、ニーウェを真の意味で皇帝として敬うようになっていった。
だからこそ、ミズガリスに負けるわけにはいかなかったし、ミズガリス率いる東帝国軍に西帝国領土を渡すわけにはいかなかったのだ。
ミズガリスに降伏するくらいならば死んだ方がましだ。
でなければ、自分のようなものを引き立ててくれたニーウェハイン皇帝陛下に申し訳が立たない。
そんな想いが、ミルズを突き動かしていた。
だから彼は、己の死をも厭わぬ特攻策にすべてを託さんとしたのだ。
だが、そんな彼の想いは、無用のものであると断じられた。
そんなことをしても無意味である、と。
恥を忍んででも生き延びて、帝国に尽くすことこそが、皇族のあるべき姿である、と、ニーウェハインは暗にいっていたのだ。
ニーウェハインがセツナに対し、敵国である東帝国の将兵をできる限り殺さないよう頼み込んだのは、彼が遙か将来を見据えているということの顕れであり、そこには、帝国領土が統一された暁の光景があるのだ。
帝国臣民が一丸となって日常を謳歌する光景。
そこには、当然、敵対し、憎み合った兄弟の姿もあるはずであり、たとえ一時ミルズが敵に降ろうとも、関係がなかったのだ。
ニーウェハインの視野は、ミルズのそれよりも遙かに広く、極めて遠くを見据えている。
その事実を理解したとき、彼は、ニーウェを推戴したのは間違いではなかったと確信し、同時に己の浅薄さに震え上がるほどの恥ずかしさを覚えたものだった。
だからこそ、彼は、戦力を失い、立ち尽くすミナに声をかけんとした。




