第二千三百九十話 誓いの谷の戦い(十)
戦闘は、一方的だった。
敵武装召喚師八名は、見せ場といった見せ場もなく、まさに為す術もなくセツナの前に倒れていった。攻撃を繰り出せなかったというわけではない。雷光を帯びた剣が電光石火の如くセツナに肉薄したり、爆発的な加速を得た大斧が旋回しながら迫ってきたり、光の矢が飛来したりしたのだが、それらすべての攻撃は、セツナを捉えることは愚か、掠り傷ひとつつけることができなかったのだ。
なにもかもすべて、だれもかれもがセツナと黒き矛の前に沈黙していった。あっという間の出来事だ。それこそ、一分にも満たない数十秒。その短時間の間にセツナは合計十二人の武装召喚師の無力化に成功している。
まず最初に大槍の男を昏倒させ、つぎに大剣の女の首に手刀を叩き込んで気絶させた。二刀使いを翅で地に叩き伏せ、鞭使いを蹴り飛ばしている。そこへ殺到した四名を矛の回転によって生じた衝撃波で吹き飛ばし、遠方からセツナを狙っていた四名に対しては拾った石を投げ当てて沈黙させた。
これで動員された武装召喚師全員が無力化したというわけではないだろうが、大半と考えても問題はあるまい。そして、残る武装召喚師たちも、ミリュウたち別働隊によって制圧されていると考えていい。たとえ制圧されていなくとも、そのうち封殺されるのが落ちだ。わかりきっている。憂慮する必要はない。
混乱が加速度的に拡大し、狂乱と恐慌が吹き荒れる中、セツナは手当たり次第に攻撃を加えながら、燃え盛る敵陣の奥へと向かった。
本陣は、陣地の奥まったところにあるものだ。
そして実際、東帝国軍陣地の中でもとくに壮麗な天幕の一群が、陣地を見下ろす丘の上にあった。ここが本陣だといわんばかりの立地だが、こういう場合、わかりやすいことが悪いわけではない。敵にとってわかりやすいということは味方にとってもわかりやすいということだが、逆なのだ。味方にとってわかりやすくしなければならない。特に数万人単位で動いているような大軍勢の場合、わかりやすさほど大切なことはない。
指揮官が敵にも目立つ格好をするのは、味方にわかりやすくするためなのだ。もし敵の目を欺くため、一般兵に紛れるような格好にすれば、それは味方の混乱を招くことになる。それは、必ずしも指揮官の寿命を延ばす行いではないのだ。むしろ、指揮官と一目でわかる格好のほうが、指揮系統に混乱も生じず、生き延びやすくするに違いない。
故に指揮官は派手な格好をするし、本陣もわかりやすく派手にならざるを得ない。
それは、小国家群とて、帝国軍とて、変わらないのだ。
ミリュウ率いる別働隊による破壊活動が東帝国軍陣地を徹底的に壊滅させていく中、聞こえてくるのは阿鼻叫喚の地獄絵図そのものといった声の数々だ。死者などほとんど出ていないというのにも関わらず、東帝国軍将兵は予期せぬ事態に悲鳴を上げ、逃げ惑っている。立ち向かっても勝ち目がなく、頼りの武装召喚師たちもミリュウたちの前には為す術もない。多少、食い下がったところで、ミリュウたちの連携に敵うはずもない。実力が違う。経験が違う。戦歴が違う。なにもかもが違うのだ。数の上では圧倒的な東帝国軍だったが、数以外のすべてのにおいて勝るセツナたちの敵ではなかった。
もちろん、この物量においてセツナたちを圧倒する敵軍が、全員が全員、冷静に対処できていれば、戦況は多少なりとも違ったかもしれない。少しは持ち堪えられたかもしれないし、一矢報いることくらいならばできた可能性はなくはない。だが、状況は、彼らの冷静さを奪うだけ奪い尽くしてしまっていた。ここから盛り返す方法などあろうはずもなく、戦況を覆すことなどできようはうずもない。
水攻めが失敗したという事実は、多大なる衝撃をもって敵軍全体に伝わってしまった。
このたびのビノゾンカナン攻略作戦は、水攻めを根幹とするものであるはずであり、その根幹が崩れ去った以上、もはやどうしようもないものであることはだれの目にも明らかだ。一兵卒がどう足掻いたところで、どうなるものでもない。ましてや、夜襲によって押し寄せてきた敵の数がわからないのだ。闇の中、陣地が徹底的に破壊されている。それも加速度的な早さでだ。ありえないことなのだが、大軍が攻め寄せてきたと錯覚してもおかしくはなかった。
そんな混乱真っ只中をセツナは悠然と進む。
果敢にも迫り来る敵兵を蹴散らしながら丘を登り、本陣に辿り着けば、武装した東帝国軍将兵が待ち構えていた。いや、待ち構えていた、というのとは少し違う。
丘の上は、本陣というだけあってほかと比べて壮麗な天幕の数々が立ち並んでおり、そこには高級将校と思しきものたちが武装し、眼下の戦場を見渡し、茫然自失といった様子で立ち尽くしていたのだ。いずれも寝起きであることは間違いない。しかし、半覚醒状態というわけではなさそうだ。それはそうだろう。自分たちが勝利を確信し、悠然と築き上げてきたはずの広大な陣地が一夜にして壊滅の憂き目を見ているのだ。まるで悪夢でも見ているような気分の中で、すっかりと目を覚ましたはずだ。悪夢のような現実に目を覚ますとはどういう気分なのか、想像に難くない。
(俺だって似たようなもんさ)
セツナは、本陣に居並ぶ将校たちの中に武装召喚師がいることを認め、柄を握る手に多少力を込めた。いつでも本気を発揮できるようにしながら、しかし、そうはならないだろうという確信を持つ。本陣に配置された武装召喚師は、三名。二名が近接武器、一名が遠隔武器のようだ。本陣に三名。小国家群の戦争ならば破格の人数だが、東帝国軍所属の武装召喚師の総数を考えれば、本陣の護りとしては少なく感じなくもない。
やはり、帝国と小国家群ではなにもかもが規模が違った。
この戦場に投入されている人数の時点で、小国家群とは格が違うといわざるを得ない。
ビノゾンカナンは都市のひとつに過ぎない。にもかかわらず、東帝国軍はその攻略のために数万単位の兵を動員しているのだ。
ガンディア時代には考えられないことだ。
ガンディアの最終的な動員兵力がそれくらいなのではないか。
セツナは、本陣だけで数千人の将兵がいることを把握して、目を細めた。これだけで初期ガンディアの動員兵力に近い。
「あんたたちのビノゾンカナン攻略は、水攻めの失敗で御破算だ。そして陣地のこの有り様。まだ、続けるかい?」
彼は矛を肩に担ぎ、余裕の態度を見せながら一同を見回した。数千名の将兵は、状況に飲まれているのもあるだろうが、セツナの視線ひとつにさえまともに対応できないといった有り様だった。東帝国軍陣地は、炎に包まれている。そしてそこら中から聞こえてくるのは、東帝国軍兵士たちの悲鳴であり、泣き言であり、罵声であり、怒号の数々だ。まさに地獄絵図そのものであり、そんな状況下、本陣にあってふんぞり返っていられるような余裕があろうはずもない。
「負けを認めろというのか……!」
鋭い声が聞こえてきたかと思えば、分厚い壁の如くセツナの視界を塞いでいた将校たちが、左右に分かれていった。その人波を割って前に出てきたのは、羽根飾りも美しい壮麗な白銀の甲冑を身に纏った女だ。将校たちの反応、その女の格好から、その女こそ、この軍勢の総大将なのだろうと把握する。美しい顔立ちに気品を感じさせる挙措動作の中に抑えきれない憤怒が混じり、周囲の将校たちは、気が気でないという様子だった。かといって、その足取りを止められないのは、女の立場が立場だからだろう。ただの指揮官ではないらしい。
その女は、肩を怒らせながら歩み寄ってくると、セツナの目の前にて足を止め、こちらを睨み付けてきた。そして、愕然とする。
「……貴様は……!?」
「ん……?」
セツナは、その女の反応に嫌な予感を覚えずにはいられなかった。似たような反応は、これまでに何度となく経験している。即ち。
「ニーウェみずからお出ましとはな……!」
女が嬉々として叫ぶのを聞いたとき、セツナは、内心、己の失態を恥じるほかなかった。
「このものを討て! ニーウェハインを討てば、我が方の勝利は確定ぞ!」
女の号令は、恐慌状態の将兵さえ奮い立たせるものがあったようだ。
奮起の喚声が上がった。