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第二千三百八十八話 誓いの谷の戦い(八)

 手勢でもって帝都ザイアスを掌握したミズガリス・ディアス=ザイオンは、亡き父の遺命とでもいうべき皇位継承については黙殺するようにして、みずから皇帝を名乗った。帝国の混乱を納めるには、皇帝という大いなる柱が必要であり、皇帝たるもの帝都にあらねばならない、という謎の理論を圧倒的武力でもって飾り立てた彼に逆らうものはいなかった。

 彼はミズガリスハイン・レイグナス=ザイオンと名乗り、ザイオン帝国の支配者たらんとした。

 実際、彼に逆らおうとするものは、帝都やその周囲にはいなかったし、ミナもまた、彼に付き従った。帝国法を無視し、さらには先帝の遺命を無視する悪逆極まりない行いであったが、同時に彼のいうこともまた、正しかったからだ。

 世界が壊れた。

 なにが起こったのか、よくはわからないが、ともかくも世界中が混乱のただ中にあり、その余波は、帝国全土を席巻し、臣民の心を乱し、平穏を奪い去った。大混乱が巻き起こり、狂気と恐怖、絶望の声が世を満たしていた。そんな状況を納めるには、だれかが立たなければならない。それも帝国の柱たるものが立たなければならず、それこそ、皇帝以外のなにものでもなかったのだ。

 本来であれば、ニーウェこそが皇帝として真っ先に立ち上がり、帝国臣民を安堵させるべく動くべきだったのだが、ミズガリスの動きが、より迅速だった。そして、迅速さこそが混乱期においてもっとも尊ばれるべきものである以上、彼の行動を支持することそのものは決して間違いとはいえないだろう。実際、ミズガリスは、皇帝として成すべき事を成し、領内の人心安定に全力を注いだ。その結果、帝国臣民は少しずつ落ち着きを取り戻しながら、混乱期を乗り越えようとし始めた。

 そんな折、西に新たな勢力が起こった。

 ニーウェが、皇帝を名乗ったのだ。

 ニーウェハイン・レイグナス=ザイオン率いる新たな帝国は、西ザイオン帝国と呼ばれ、ミズガリスハイン率いる東ザイオン帝国と対立した。

 ニーウェハインは、正当なる後継者であることを主張し、ミズガリスを名指しで批判した。当然だろう。ミズガリスは、皇帝を僭称しているも同然なのだ。しかし、帝国領内の混乱を収束させたのはミズガリスの手腕であり、その事実は、だれもが認めなければならないことであると同時に、ミズガリスは、正室の第一子だという絶対的な現実があった。

 偉大なる先帝のただふたつの汚点でありながら、正当皇位継承者に任命されたニーウェよりも、生まれながらにして皇帝に寵愛され、偉大なる血筋の正当なる継承者であったミズガリスに帝国の将来を任せたいと想うのは、ミナのような人間としては当然の判断だった。

 たとえニーウェが正当なる皇位継承者であったとしても、この混乱期、ミズガリスがニーウェの帝国を潰せば、ミズガリスの帝国こそがザイオン帝国の後継者たりうる。

 故に彼女は、ニーウェとその帝国を否定するべく、全力を挙げなければならないと想った。忌まわしきニーウェに上に立たれるくらいならば、僭称帝だろうがなんだろうが、実の兄であるミズガリスのほうが遙かに増しだ。

 とはいえ、気分屋で気難しいミズガリスハインに取り入るのは至難の業であり、彼の機嫌を損ねないように細心の注意を払い続けるのは、胃の痛いことだったし、精神的に消耗し続けることでもあった。

 せめて、心証を良くするにはどうすればいいのか。

 単純なことだ。

 総督として役割を果たし、戦果を上げることだ。

 そのために彼女は戦地を廻り、ビノゾンカナンへとやってきたのだ。


 ビノゾンカナンは、攻略の困難な地形にあることには触れた。

 レキシア大渓谷の狭間に浮かぶように存在する都市へ攻め込むには、橋を渡るか、飛行能力を有する武装召喚師に飛び込ませる以外にはない。しかし、橋を渡って攻め込むのは、ビノゾンカナン防衛側の思う壺だ。橋を落とされ、大打撃を食らうこと間違いない。かといって、ミナの配下の武装召喚師だけでは、空から攻め込むには不安があった。全武装召喚師を投入できるのであればまだしも、そういうわけにはいかないのだ。だれもが飛行能力を持った召喚武装を呼び出せるわけではない。

 そうである以上、投入できる武装召喚師に限りがある。そして、その限度というのは、こちら側だけの問題であり、相手にはないということだ。相手は、ビノゾンカナン防衛に全戦力を投入することができる。その点で、攻め手は大いに不利だった。

 それ故、彼女は考えに考えた。

 地形を調べ上げ、大渓谷が大河の上に成り立っていることを知った。上流に聳える山々から流れ込む川が合流しているということも、知った。大渓谷の水嵩が低いのも、上流にいくつもの堰があるからだった。その堰を壊せば、どうなるか。当然、水量が一気に増え、水嵩も上がることになるだろう。彼女は、脳裏に閃くものがあった。

 水攻めだ。

 レキシア大渓谷を水で満たし、ビノゾンカナンを水上に孤立させるのだ。そうして補給路を断てば、いずれビノゾンカナンも、熟れた果実をもぎ取るように容易く手に入るだろう。長期戦は覚悟の上だった。元より、西帝国との戦いは長きに渡っている。ビノゾンカナン攻略にどれだけかかろうと、問題はない。

 しかし、堰を破壊するだけでは大渓谷を水で満たすことはできないという問題がある。堰を壊すだけでそうなるのであれば、大渓谷は、元々大河だったということになる。だが、記録をどれだけ調べ上げても、そういった話は出てこなかった。

 ビノゾンカナンを水上に孤立させるには、水嵩が足りない。

 武装召喚師たちに相談した結果、彼女が思いついたのが、下流を封鎖することで水を堰き止め、水かさを引き上げるというものであり、考えに考え抜いた末、その案を採用した。

 そしてそれが、上手くいった。

 ビノゾンカナンの西帝国軍を指揮しているミルズなどは、なにが起こっているのか理解できないまま、圧倒的な速度で水嵩が増していく大渓谷の様子に混乱し、恐怖しただろう。

 残念ながら、ビノゾンカナンそのものを水中に沈めることはできなかったものの、圧倒的な水勢がビノゾンカナンと陸地を渡す橋を押し流し、見事、ビノゾンカナンを孤立させることに成功した。後はビノゾンカナンが後方と連絡を取れないよう、補給できないよう、徹底的に監視するだけで良かった。そのための戦力は集めてあったし、長期戦のための補給線も確保していた。陣地も構築真っ只中だ。

 なにもかもが順調だった。

 このままビノゾンカナンを手に入れれば、自分の才覚と実力を世に示すこととなり、ミズガリスハイン帝の覚えも良くなるだろう。少なくとも、ミルズやエリクスの二の舞にはなるまい。

 ミナは、西帝国を打倒し、その上で自分がせめてミズガリスハインに次ぐ立ち位置になるべく、実績を積み上げようと考えていた。

 そのための第一歩が、ビノゾンカナンの攻略であり、それも時間との戦いでしかなかった。

 ビノゾンカナンは、後方との連絡、連携が取れず、補給路を絶たれている。もはや、ビノゾンカナンの降伏は時間の問題であり、ミナの配下が長きに渡る滞陣によって緊張感を失い、敵の動きを見逃さないことだけに注意を払えば良かった。

 そう、勝利は約束されたようなものだったのだ。

 だのに。

「なにが起こっている!」

 ミナは、慌てふためく部下たちに怒号を飛ばしながら、自分も冷静になるべきだと頭を振った。状況は、よくわからない。いや、見る限り、陣地内に混乱が広がっていることはわかる。それも、加速度的な広がりを見せており、深く、強烈なものになっていっているということも、だ。

 彼女の陣地は、ビノゾンカナンを見遣るレキシア大渓谷東側の陸地に築き上げられた。本陣を丘の上に配置し、その周囲に無数の陣地を敷いた。ビノゾンカナン攻略に動員した兵力はおよそ三万。ひとつの都市を攻略するには多すぎるというほどではない。が、他の戦線の維持を考えれば、決して少なくもなかった。その三万の将兵を各所に配置した陣地は、まだ完全なものとはなっていなかった。なにせ、三万だ。その陣地となれば、巨大なものとなる。さらに、ビノゾンカナンにいるだろう敵軍将兵への威力を考えれば、壮麗かつ堅牢な陣地を作り上げて見せるべきであり、ミナがビノゾンカナン攻略に本気であるということを明確に伝え、敵の戦意を挫くという意図もあった。

 そのため、完成が遅れていた。

 それは、いい。

 どうせ、敵は手も足も出せないのだ。ならば、ゆっくりと完璧な陣地を作り上げればいい。作り上げた陣地は、戦後も利用できなくはないのだ。なんの問題もない。

 が。

 その壮麗かつ堅牢な陣地がいま、地獄のような様相を呈しているという事実には、彼女は愕然とするほかなかった。

 立ち並ぶ天幕の数々が容易く吹き飛ばされ、兵士たちが天を舞う。炎が噴き上がり、雷光が嵐の如く吹き荒んだ。召喚武装の派手な攻撃は、こういうとき、防御側の心理に与える影響はただならぬものがあった。

 不意に彼女の視界に飛び込んでくるものがいた。彼女の側近だ。

「総督閣下! ここは危険です!」

「なにが起こったというのだ!」

 ミナは叫ぶように問うた。

「敵襲です!」

「見ればわかる! なにがどうしてこうなったのだ!」

「それが……」

 側近は、言葉を濁すようにして、頭を振った。

 彼の答えは、ミナの戦意を徹底的に挫くものだった。

 彼女の戦術がまさに水泡と帰したというのだ。


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