第二千三百八十四話 誓いの谷の戦い(四)
レキシア大渓谷南部東帝国軍陣地の北側に連なるいくつもの丘、その最南端の丘の上にファリアはいた。
ひとり、オーロラストームを構え、静かに精神統一している。
彼女とともに任務に当たっているはずのランスロットは、丘を降り、敵陣に接近しつつあった。彼は、敵武装召喚師の感知範囲ぎりぎりのところまで接近する手筈になっていて、彼の配置が完了次第、ファリアが行動に移ることになっていた。
ファリアは、前方右手に掲げたオーロラストームを水平に構えている。射線の遙か彼方には、星明かり煌めく大河の水面が揺らめき、その上に巨大な石壁が聳えていた。とてつもなく分厚い質量の塊を破壊するには、どうすればいいか。簡単なことだ。破壊力抜群の攻撃を叩き込めばいい。それも凄まじい威力を誇る攻撃を連続的に、だ。
そのため、相談した結果、石壁破壊はファリアの担当となり、ランスロットは、石壁攻撃直後には動き出すだろう敵陣を制圧する役割分担となったのだ。ランスロットのライトメアも、時間さえかけることが許されるのであれば、石壁を完膚なきまでに破壊することは可能だが、短時間での破壊となると自信がないとのことであり、実戦経験において、また、強大な敵との戦闘においては一日の長のあるファリアが担当する運びとなったのだ。
武装召喚師は、愛用すると決めた召喚武装の能力を最大限発揮するためにこそ、修練を積むものだ。肉体を鍛え、精神を練り上げ、研ぎ澄ましていく。血の滲むような研鑽と修練を繰り返して、召喚武装の能力を少しでも引き出せるようにと気張るものだ。しかし、ただ漫然と繰り返し行われる修練では、召喚武装の能力を最大限に発揮するという望みを叶えることは難しい。具体的な目標がなければ、そして、実戦でもって運用できなければ、どれほどの力が必要であり、どれくらいの力加減で、どれだけの力が引き出せるかなど、完璧に把握するのは難しい。
ランスロットは、帝国において有数の武装召喚師だ。その事実は、かつてファリアが彼と対峙したときに嫌というほど理解した。しかし、こと実戦経験においてはファリアを遙かに下回るのは間違いなく、また、強敵との戦闘経験もファリアのほうが圧倒的に上だろう。ネア・ガンディアの軍勢との戦闘経験は、間違いなくファリアの力を引き上げ、自信を深めていた。そして、あの程度の力では圧倒的に足りないという事実を心底理解したときから、彼女の日々の鍛錬はさらに過酷なものとなっているのだ。
ファリアだけではない。ミリュウもシーラもレムも、エリナですら、日々、常ならぬ覚悟で鍛錬を行っている。
それもこれも、セツナの足を引っ張りたくないからであり、少しでも彼の役に立ちたい、彼の力になりたいという想いからだ。
それは、絶叫といってもいい。
魂の渇望なのだ。
愛するひとの力になりたい。
ただそれだけが彼女たちを日々、成長させている。
そして、いまもまた、ファリアは自分自身の成長を実感するようにして、オーロラストームの力を発揮させた。呼吸を整え、精神を研ぎ澄まし、意識を集中する。いつになく平静な精神状態は、さながら風のない湖面のようであり、雲ひとつない空のように晴れ渡った心境の中、彼女は敵地の目前でライトメアを構えるランスロットを認識した。
彼女は、オーロラストームの射線に視線を戻すと、オーロラストームに命じる。三分の一ほどのクリスタルビットを本体から分離させ、発電させながら本体周囲を旋回させる。電光を帯びた結晶の渦が眼前に生み出された。その渦は、急激に加速し、発する電光の量と質を高めていく。本体そのものが帯びる雷光もまた、膨大だ。回転の加速がオーロラストームの一撃を飛躍的に強化する――。
ファリアは、オーロラストームに蓄積したすべての力を解き放った。瞬間、天より雷が落ちたかのような轟音が鳴り響いたかと想うと、凄まじい衝撃が反動となって彼女の全身を貫く。視界が真っ青に塗り潰されたかと想えば、螺旋を描く極大の雷光が周囲の大気を焼き尽くさんばかりの勢いでもって、闇夜を貫き、ランスロットの頭上を超え、大渓谷の水面に電光を走らせていった。そして、石壁に直撃する。天地を震撼させるほどの大爆発が起こった。瞬間的に再度雷が落ちたのではないか。それも、先程よりも巨大な雷が落ちたのかと錯覚するほどの爆裂音は、彼女に見事なまでの手応えとなって伝わる。
もっとも、それがオーロラストーム最大威力の攻撃ではない。対象がただの石壁であることを考えれば、周囲への影響も考慮し、ある程度、威力を絞る必要があった。最大威力の攻撃では、石壁だけではなく、周囲の自然環境にも悪影響を及ぼす可能性がある。それは、避けるべきだ。故に石壁だけを破壊するべく、威力も範囲も絞った攻撃を行ったのだが、その攻撃は、見事成功した。
ファリアは、粉塵立ちこめる爆発の先で石壁に風穴が開いたのを確認したが、石壁が完膚なきまでに破壊されているわけではない事実を認め、再度、先程と同じ威力の雷撃を放つため、力を込め始めた。
東帝国軍の陣地が騒ぎ出している。
今日まで見守り続け、西帝国軍からのなんのちょっかいもなく安心しきっていたところへ、突然の攻撃だ。それも石壁に穴が開くほどの強烈な一撃を遙か彼方から叩き込まれたのだ。陣地の将兵が驚嘆し、腰を抜かしたとしてもおかしくはなかった。しかも、大半が寝入っているであろう時間帯だ。石壁破壊の報告が陣地内を吹き荒れれば、混乱が起こる。混乱は一時的なものだろうが、それでもランスロットが敵陣を破壊し尽くすには十分な時間を与えることだろう。
そしてそのときには、ランスロットは、敵陣にライトメアの攻撃を叩き込んでいた。
闇夜を貫く光の奔流が東帝国軍陣地の天幕を灼き、篝火を吹き飛ばし、くみ上げられた柵も消し飛ばしていく。混乱はますます加速する。
そんな中、ファリアは、二度目の雷撃を行った。
極大の雷光が螺旋を描く奔流となって石壁へと突き刺さり、再び、大爆砕を起こす。大地を激しく揺らすほどの爆発は、石壁に開いた穴をさらに深刻なものとし、大渓谷に溜まった水の流れ道を作っていく。
(まだよ……まだ……!)
石壁を根こそぎ破壊しなければ、大渓谷から水を引かせることはできない。
そのためには、さらなる追撃を叩き込まなければならず、ファリアは、気を引き締めた。
その間、ファリアは無防備となるが、だからこそランスロットが敵陣に接近し、敵の注意を引きつけてくれているのだ。敵は、石壁への攻撃を止めさせたいだろうが、その前に陣地を攻撃する相手をどうにしかなければならなくなる。
ランスロットは、そのためにこそ、奮戦している。
天地を震わせるほどの爆音と閃光の嵐の中で、ランスロットは、内心、冷や汗を浮かべるほかなかった。
巨大な弓銃型召喚武装ライトメアは、遠距離への攻撃に特化した召喚武装だ。威力も範囲もある程度自由自在であり、大渓谷の堰となっている石壁を破壊するだけならば、ライトメアでも十分だろう。しかし、一撃の威力、精度、範囲、速度のどれをとっても、いまのファリアの攻撃には遠く及ばなかった。ファリアのオーロラストームによる攻撃は、すべての点においてライトメアを凌駕しているのだ。
その事実を認識したことで、彼は、彼女への認識を改めなければならなくなっていた。
いや、ファリアの実力についてのみをいえば、すでに認識を大きく改めさせられている。ニアズーキの一件は、ファリア=アスラリアという人物の武装召喚師としての実力を強く知らしめるものであり、彼にとっては衝撃以外のなにものでもなかった。オーロラストームは、召喚武装の一種だが、武器なのだ。攻撃こそを得意とする召喚武装なのだ。だというのにも関わらず、彼女はニアズーキ全体を覆うほどの防御障壁を発生させ、長時間、維持して見せている。それがどれだけ心身に負担のかかることなのか、武装召喚師たる彼にわからないわけがなかった。
ファリアの武装召喚師としての実力は、ランスロットを遙かに上回っている。
彼が上位の武装召喚師と認識していたイェルカイム=カーラヴィーアただひとりだったが、ファリアは、もしかしなくともイェルカイム師以上の武装召喚師だろう。
そんな彼女の一撃が天地を震わせただけでなく、東帝国軍陣地をも震撼させたのはいうまでもないが、石壁への攻撃によって生じた反応は、混乱であり、警戒だった。予想通りの反応だ。しかし、その攻撃によって石壁に巨大な穴が開き、大渓谷に満ちた水が激しく流れ出したことを認識したときには、警戒以上に混乱が大きくなっていた。
そしてそのときには、ランスロットは、ライトメアの咆哮を敵軍陣地に向け、引き金を引いていた。
閃光が夜の闇を灼く。