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第二千三百七十八話 水の都(五)

 ネミア=ウィーズにとって、方舟ウルクナクト号の日々というのは、驚きと衝撃の日々そのものであり、混乱の連鎖そのものといっても言い過ぎではなかった。

 そもそも、彼女がウルクナクト号に乗ることになったのは、彼の愛しいひとであるラーゼンのせいだ。船と同じ名を持つラーゼン=ウルクナクトが、エスク=ソーマとしての主君であるセツナ=カミヤと行動を共にすると言い出したことで、ネミアの人生もまた、決まった。ネミアは、“雲の門”が東帝国の支配下に入ったときから、その人生のすべてをラーゼンに捧げるつもりでいたのだから、彼が東帝国を離れ、セツナの家臣に舞い戻ると決めた以上は、その判断に従う以外の選択肢はなかった。

 元々の主君の元へ舞い戻るというのだ。東帝国に付き従うよりはずっとよかったし、元々、彼が東帝国に従属していたのだって、ネミアたち“雲の門”が人質に取られていたからにほかならない。記録上、ラーゼン=ウルクナクトは戦死し、ネミアたち“雲の門”幹部もニアフェロウにて西帝国に捕縛され、処刑されたことになった。そうすることで、“雲の門”の構成員たちの人質としての価値を皆無としたのだ。となれば、東帝国も“雲の門”人員の確保に無駄な手間をかけることはなくなるだろうし、利用価値のないものたちを監視することもなくなるだろうと考えられたからだ。

 ラーゼンやネミアたちが自由になるには、それ以外の方法はなかった。

 仮にラーゼンやネミアたちが生きたまま、西帝国に降ればどうなったか。東帝国によって、見せしめに“雲の門”の構成員たちが処断されたかもしれないのだ。さすがにそれでは、ネミアたちも西帝国には降れないし、ラーゼンも身動きが取れない。ラーゼンとしては、なんとしてもセツナの家臣に戻りたいという想いがあり、そのためには自分を戦死扱いしてもらう以外にはなかったようだ。そして、ネミアたちもそれに便乗した。それは、ネミアたちが自由になるためというよりは、東帝国領にいる“雲の門”構成員たちの無事を確保するためだったが。

 そうして自由の身となったネミアたちは、ラーゼンともどもセツナの配下になった。西帝国に降り、西帝国の戦力に組み込まれるよりは、そのほうがいいだろうというラーゼンの意見に従ったまでのことであり、それ以上に深い考えはなかったが、実際、西帝国の戦力として前線に送り込まれるよりは遙かに好待遇なのはいうまでもないことだ。ラーゼンに同行し、方舟に乗っているネミアを除く、元“雲の門”幹部や構成員百名あまりは、現在、西帝国帝都において丁重に扱われている。それもこれも、セツナの家臣という肩書きがあってのことであり、セツナが西帝国皇帝と対等な立場の同盟者という話を知れば、その理由もわかろうというものだったし、ネミアも仰天するほかなかった。

 セツナ=カミヤなる人物については、ラーゼンから色々と詳しく聞いた。

 ラーゼンが惚れ込むほどの人物だ。それは即ち、信頼するに足るということだ。なぜならば、ネミアはラーゼンに全幅の信頼を寄せていたし、彼のいうことなすこと間違いはなかった。“雲の門”の膨張に懸念を抱き、彼女にそっと耳打ちするように警鐘を鳴らしたのも彼だった。そして、彼の懸念通りの末路を辿ったのが“雲の門”であり、その終わりゆく組織の有り様を目の当たりにして、彼女はますますラーゼンに依存するようになっていた。

 そのラーゼンが剣を捧げた数少ないひとりがセツナであるといい、セツナのためならば死をも厭わないという。

 ネミアは少し嫉妬したものの、セツナが女でなくて良かったと想ったりもした。ラーゼンが剣を捧げた相手が女だったならば、嫉妬に狂ったかもしれない。幸い、セツナには軽い嫉妬で済んでいる。そして、むしろ、セツナとの再会がラーゼンに活力を与えたことを実感として理解する日々の中にあって、彼女は感謝するようになっていた。

 セツナとの再会は、ラーゼンの目に光を灯した。そのことがなによりも嬉しい。

 そして、セツナの周囲には、ラーゼンのようにセツナのために命を燃やすことを生き甲斐とするものが少なくないという事実も、彼が命を賭け、剣を捧げるに見合った人物である証明のように想えなくもなく、その点でも悪い気分ではなかった。

 が。

 ネミアは、自分の感性を多少なりとも疑わなければならないのではないか、と、どこかぼんやりとした様子で戦闘準備を進める女性陣を眺めながら考えていた。

 ウルクナクト号に搭乗する戦闘要員はセツナ、ラーゼンを含めると、男性三名、女性五名だ。ネミアは腕っ節に自信がないわけではないし、屈強な荒くれ者どもを束ねてこられたのは彼女自身の肉体的な力によるところも少なくはない。しかし、この船においてただの力自慢がなんの役にも立たないことは、ラーゼンが基準であることを考えれば馬鹿にでもわかるだろう。よって、ネミアは船内でラーゼンの手伝いをするか、庶務雑務に汗を流す以外の役割はない。それでも構わないという条件で船に乗ったのだから、文句もなかった。

 彼女が驚きとともに考えを改めなければならないと想ったのは、肝心の女性陣が先程から戦闘準備に力が入らないといった様子だからだ。その女性たちとは無論、ファリア、ミリュウ、シーラ、レム、エリナの五名のことであり、彼女たちが全員、ひとりの男――つまり、セツナを想っているということについては、ラーゼンの説明を受けるまでもなく理解できていた。

 なぜならば、彼女たちは、セツナがこの度のビノゾンカナン救援作戦を提示したことに感銘を受けたり、感動したりして、惚れ直している様子だからだ。

 だから、出撃準備に力が入らないらしい。

 惚気るにもほどがあるだろう――。

 ネミアは、彼女たちのあまりの惚れっぷりに、なんともいえない馬鹿馬しさを覚えるとともに、そんな彼女たちだからこそこの混沌の時代を平然と乗り越えてこられるのかもしれない、とも想ったりもしなくもなかった。

 常にセツナにべたべたしているミリュウはともかくとして、怜悧な美女と認識していたファリアやある程度の距離を保とうとするシーラまでもが、セツナの作戦説明を受けて、惚れ直した、などといっているのだから、彼女たちのセツナへのべた惚れっぷりたるや、言葉もない。

 もっとも。

(ひとのことはいえないか……)

 ネミアは、ラーゼンのことを脳裏に思い浮かべて、内心苦笑するよりほかなかった。

 ラーゼンのこととなれば、結局は彼女も同じかもしれない。

 たとえば、ラーゼンが先程のセツナのような理知的かつ的確な作戦説明を行ったとすれば、人生百度目くらいには惚れ直したのではないか。

 そう考えれば、ネミアも彼女たちと同類に過ぎないのかもしれない、とも想うのだ。

 そしてそれは、決して悪い気分ではなかった。

 一途に想うということは、そういうことなのかもしれない。

 それは、世界の中心をそこに見出すという以外のなにものでもないのだ。

 

「閣下の策は、確かに効果覿面でしょう」

 ランスロット=ガーランドが心にもないことを平然と、しかも感銘を受けたように告げるのを隣で聞いて、セツナは内心、なんともいえない気分になった。

 ビノゾンカナンの南側に位置する軍施設内、作戦司令本部と銘打たれた建物の三階の一室にセツナとランスロットはいる。この広い執務室の主たるミルズ=ザイオンと対峙しているのだ。

「閣下の策がなれば、ビノゾンカナンを取り巻く状況は瞬く間に変化し、東帝国軍に痛撃を加えること間違いありますまい。されど」

 ランスロットは、ミルズの感情を逆撫でにすることのないよう、極力気を遣いながら続けているようだった。ミルズの気性や人間性を考慮すれば、気を遣って遣いすぎることはないのだろう。

「そのために閣下の命を捧げることなど、断じてあるべきではない」

 彼の強い口調にミルズが冷ややかに目を細めた。



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