第二千三百七十五話 水の都(二)
船首展望室から機関室に移動したセツナたちは、そこでマユリ神を交え、作戦会議を行うこととした。
船首展望室の窓から見下ろすよりも明らかに状況がわかりやすくなったのは、いくつも展開された映写光幕のおかげであり、映写光幕上に映し出された様々な映像は、ビノゾンカナン周辺の現状をセツナたちに伝えてきている。
本来ならば橋によって東西との繋がりを持つビノゾンカナンだが、おそらく東帝国軍によって橋を落とされたせいもあって、大河の上に浮かぶ孤島の如く成り果てている。ビノゾンカナン市内の様子も多少窺い知れる映像であり、城壁上には東帝国軍の水上からの接近を警戒する兵士たちの姿が見て取れた。常に警戒していることもあるのだろう。憔悴しているように見えなくもない。
他方、西側の陸地に展開する西帝国軍陣営は、水際に戦力を展開しながらもなにもできない現状に臍を噛んでいるといって様子に見える。水辺に小舟を浮かせ、いつでも出撃できるようにしているのだが、それも動かせていないのは、船に乗ってビノゾンカナンに向かったところで東帝国軍の攻撃を受けるからだ。武装召喚師による空中からの接近さえも、東帝国軍の妨害によって目的を達し得ないという。
東帝国軍は、そんな状況下で悠々と広大な陣地を築き始めている。ビノゾンカナンが東帝国に降参するまで持久戦を展開するつもりであり、そのための広大な陣地であり、そのための長大な補給線が確保されているのだろう。ビノゾンカナンは大都市であり、南部大戦団の総指揮官が直々に乗り込んでいるのだ。その都市が降伏し、陥落したとなれば、西帝国陣営に与える影響は計り知れない。北部戦線の敗勢以上の衝撃が西帝国軍の結束を揺るがしかねないという。
故にセツナたちが派遣されたのだ。
「まずは、こちらの動きに合わせてビノゾンカナンの連中が勝手な動きをしないよう、ビノゾンカナンに入りたいのですが、構いませんかね」
と、開口一番にいってきのは、ランスロット=ガーランドだ。皇帝側近たる三武卿のひとりにして光武卿たる彼は、北部戦線の折と同様、セツナたちの身分を保証するべく、ウルクナクト号に乗船していたのだ。健康診断大会では蚊帳の外だった彼だが、それは致し方のないことだ。彼は、本来の意味での乗船員ではないのだ。セツナたちの仲間ではなく、ニーウェハインの側近であり、彼の健康状態はセツナたちの知るところではない。
「確かに、こっちの動きに合わせて暴走されても困るものね」
「無駄に血を流さないことが目的ならなおさらだな。が、その前に作戦を練るべきだ。ビノゾンカナンに降りるよりも前にな」
セツナは、機関室の壁沿いに浮かぶいくつもの映写光幕に視線を走らせながら告げた。
「ここ以上に情報収集のできる場所もないんだ」
「そうだろうそうだろう」
マユリ神が当然のようにうなずく。女神は、方舟に搭載された映写機構を日々使いこなすべく、研鑽を重ねているのだ、といっていた。そのため、以前にも増して精度が高く、広域に及ぶ映像情報が映写光幕に映し出されるようになっており、戦術を練る上でこれ以上ないくらいだった。
「ですな。では、どうされます?」
「この戦いの目的はなにか。まずはそれが肝要だ」
「目的って、そりゃあビノゾンカナンの救援、でしょ?」
「そうだ。そのためにはどうすればいい?」
「水攻めに遭っているんだ。だったら、まずは水をなんとかしないとな」
シーラが腕組みしながら、水上都市と化したビノゾンカナンを見遣る。
「ファリアの見立てでは、北の堤防が壊されただけじゃなく、南でせき止められている可能性が高いという話だった」
「おそらく……よ」
ファリアが慌てて訂正すると、ランスロットが肯定的な意見を発した。
「まあ、十中八九それで間違いないでしょう。レキシア大渓谷の地形を考えれば、それ以外、これだけの水量を生み出す方法がない」
「つまり、まずは南で水の流れをせき止めているなにかを撤去することだ。そうすれば、自然と大渓谷を満たす水量が減るはずだ。北の堤防に関しては、その後の状況を鑑みて考えればいい」
水量が思った以上に減らなければ、北の堤防の対処に動けばよく、想像通りに減ったのであれば、後回しにすればいい、と、セツナは考えていた。
「水量が減れば、味方はともかくとして、敵陣が黙ってはいないだろう。が、橋を落とした手前、簡単にはビノゾンカナンに攻め寄せることもできなくなってしまったのが、敵軍にとって痛手となる」
「そこをあたしたちが襲いかかれば、たやすく撃退できるってわけね」
「浮き足だった連中を撃退するのは難しいことじゃありませんな」
にやりとするミリュウに続き、エスクがうなずく。
「皇帝陛下の望みは、できる限り血を流さないことだ。そのためには浮き足だった連中が冷静さを取り戻す前に攻撃し、蹴散らすべきだろう。冷静さを取り戻せば、いくら俺たちが攻め込んでも、数の上での利を頼みに最後まで諦めないかもしれない。そうなれば厄介だ」
「まあ、陛下が仰っておられたのは、もっとも大切なのは、セツナ殿を始めとする皆様の無事の任務完遂でありましてね。無理をしてまで、敵軍将兵の生命を確保することに重点を置くべきではありません。そのことは伝えておきます」
「もちろん、わかっているさ。俺たちだって、自分の命が一番可愛い」
セツナは、ランスロットやニーウェハインの気遣いに対し、想うままにいったつもりだったのだが。
「まーたまた」
「よくいうわ」
「なにがだよ」
「御主人様は御自分のお命をもう少し大切にしてくださいまし」
「そうだぜ、まったく」
女性陣に口々に非難されて、セツナは憮然とした。
セツナとしては、自分の命を大切にしていないつもりなどはなかったし、そのことでファリアたちに非難されるいわれはないと想ったのだ。無理や無茶をしているのは、なにもセツナだけではない。
ファリアもミリュウもレムもシーラも、だれひとりとして、無理をしない人間はいなかった。そうしなけらばならない状況に追い込まれるような戦闘ばかりだからだが、そうなったとき、だれひとりとして自分可愛さに命を惜しむような行動を取るものがいないのもどうなのか。ふと、そんな風に考えたものの、それこそ、馬鹿馬鹿しいとも想った。そういうとき、命を惜しんでいれば、それこそ命を無駄に散らせたのではないか。
命を惜しまずに戦い抜いたからこそ、いまがあるのではないのか。
「ははは、大将もさすがに立つ瀬がありませんな」
「おまえにだけは笑われたくないぞ」
「いやいや、ここは笑わせて頂く」
「下僕の分際を弁えろよ」
「ふひひ」
「てめえ……」
エスクが調子を取り戻し始めたことそのものには嬉しくなったものの、彼の言動のひとつひとつがセツナの神経を逆撫でにするようで、彼はなんともいえない顔になった。その隣に立つネミアは、ラーゼン=ウルクナクトの素顔を目の当たりにしてなのか、茫然としている。おそらく、ラーゼン=ウルクナクトという仮面を被ったエスクは、エスクとは異なる人格の持ち主だったのだろう。軽口を叩くことすら稀だったのではないか。でなければ、そこまで驚きはしないはずだ。
「……話を戻すが、作戦を纏めるとこうだ」
セツナは、映写光幕のひとつを見遣った。すると、映写光幕そのものがセツナの目の前まで移動してくる。マユリ神が気を利かせてくれたのだ。質量を持たない映写光幕は、空中に自由自在に配置することができるという大いなる利点がある。
その映写光幕には、ビノゾンカナンを中心とするレキシア大渓谷の様子を真上から俯瞰した構図が映し出されており、大河を挟んで対峙する両軍の様子も窺い知れるものだった。その映写光幕を指し示しながら、簡潔に説明する。
「渓谷の南へ向かい、水を堰き止めている堤防かなにかを破壊。水が引いていくのを確認したのち、東帝国軍が浮き足だったところを攻撃し、そのまま撃退する。上手く行けば、それだけでビノゾンカナンの救援はなるだろう」
「単純明快ね」
とは、ミリュウ。皮肉でもなんでもなく、想ったことをいっただけだろう。
「そのために部隊を三つに分けたい」
「三つ? 二つで良くない?」
「いや、三つだ」
「ひとつは、南の堤防を破壊する部隊でしょ? で、もうひとつは東軍陣地攻撃部隊」
「東軍陣地攻撃部隊をふたつに分けるんだよ」
「なんで?」
ミリュウがきょとんとした。確かに彼女のいうとおり、部隊はふたつだけでも十分だろう。特にセツナたちの戦力を考えれば、それで十分過ぎる。
「北と南、二方向から同時に攻撃を受けたほうが、敵軍に与える心理的痛撃も大きいだろう?」
「なるほど……大将、ない頭絞った割には、よく考えてるじゃないっすか」
「だれが能無しだこの野郎」
「だれもそこまでいってませんって」
「ない頭っていったの、どこのだれよ?」
「そうだぜ、この偽名野郎が」
「偽名のなにがいけないんですかねえ……どこかのだれかさんも偽名で夫婦ごっこなんてして、乗り気になってじゃあないですか」
「あ、あれはだな!?」
「……ったく、うちの連中はどうしてこう、話を脱線し始めると途端に元気になるのかね」
「それ、ひとのこといえるのかしら?」
「俺もそうだってのかよ?」
「さあね」
ファリアが視線を逸らしてくすくすと笑った。
セツナは、彼女のそんな反応に憮然としながら、シーラがミリュウとレムに詰め寄られる様を見ていた。ふたりとも、アバード潜入時におけるセツナとシーラの行動については知っているはずだが、エスクに蒸し返されたことで火が付いてしまったのかもしれない。
作戦会議は、その後、部隊分けを行って終了した。