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第二千三百七十話 時を越えて(二)

 疑問を持ったのは、セツナひとりではない。だれもが、その美女に目を奪われ、同時に疑念を抱いた。

 彼女は、だれか。

「へ?」

「だ、だれ?」

「侵入者か!?」

「な、なに?」

「侵入者ですと!?」

 見知らぬ美女の出現に食堂内が騒然としたのは、当然のことであり、シーラがハートオブビーストを取り出しながらセツナの前に飛び出し、ミリュウやファリアが呪文を唱え始めるのもまた、必然的な反射だった。エリナが非戦闘員の二名を厨房奥へと誘導するのもだ。

 美女。

 実に美しい女性だった。身の丈は、セツナやファリア、ミリュウにも負けていない。少なくともエリナよりは断然高く、すらっと伸びた手足は女性特有のしなやかさを感じさせるものだ。腰よりも下まで届くほどに伸びた長い黒髪は量の多さも実感させる。肌は白く、絹のようなきめ細やかさを誇っている。顔。美人だ。しかし、どこか見覚えのある顔立ちだった。深い睫に縁取られた両目には、血のように紅い虹彩が輝き、整った鼻筋の下、朱が差したような唇がある。細い首の下、肉感的な肢体を包み込むのは闇色の装束であり、ざっくりと開いた胸元からは谷間が覗き、豊かな双丘が自己主張しているようだ。細い腰から太ももにかけての曲線がわかるのは、そのきわどい装束のせいだ。そして、太ももの肉付きの良さがわかるのも、裾の短さが原因にほかならない。

 まるで色仕掛けでもするためのようなきわどい衣装には、セツナも思わず目を背けかけた。

「セツナ、色々な意味で気をつけなさいよ」

「そうね、色々な意味でね」

「まったくだ」

「なんだよ、それ」

 ミリュウの意見にファリアとシーラが同調するのを目の当たりにして、彼は憮然とするほかない。いいたいことはわかるのだ。相手は、ファリアたちにも後れを取らない美女だ。セツナは女に弱いという評判があり、そこは必ずしも否定できない事実だ。女が相手だからと手を抜いたことはないが、とはいえ、女性に対して特別な想いがあるのは認めなければならない。

 母ひとり子ひとりで十年以上生きてきたのだ。母がどれほどの苦労をして、たったひとりでセツナを育ててきたのか、目の当たりにしてきている。そういった事物の積み重ねが、いまのセツナの基礎となり、根幹となっているのだ。女性を特別視、ある意味での神聖視するのは、当然といえば当然だったし、そのことに疑問を持たない。

 とはいえ、相手が敵であれば、話は別だ。

 敵が女性だからと手を抜いたことはない。

 セツナがそんなことを考えながら謎の美女を凝視していると、彼女は、小首を傾げて口を開いた。

「皆様……いったいなにを警戒なさっているのでございます?」

「なにをってあんたに決まってんでしょ?」

 あまりにもとぼけた調子で問うてきた女に対し、ミリュウが食ってかかるように叫んだが、つぎの瞬間、彼女ははっとなった。セツナも、ファリアも、室内にいるだれもが愕然としたに違いない。美女の声は、思い切り聞き覚えのある女の声だったからだ。

「って、その声、もしかして……!?」

「レム……!?」

「レムなのか!? おまえ……」

「レムお姉ちゃん……?」

「本当かよ……?」

 疑いのまなざしを向けながらも、しかし、耳に残る女の声は、レムのそれにそっくりだった。そればかりは聞き間違えようがない。何年も側にいて、何度となく言葉を交わしてきたのだ。耳朶に刻まれ、鼓膜に声紋が残っているのではないかと想うほどに聞き慣れている。たとえ彼女の声を聞かずとも脳内で再現できるほどにだ。その声を多少、大人びた風にすれば、そのまま、美女の声と合致する。そして、そこから逆算するようにして思い返せば、確かに美女の顔立ちはレムに似ていた。よく見れば、だ。目の形、鼻の形から、唇の形もそうだ。眉だって、レムそのものといっていい。虹彩も、セツナと同じ色合いだった。

「はい。わたくしこそ、第一回大健康診断大会優勝者のレムにございます」

 美女は、レムがいつも浮かべるのと同じ純粋な微笑を浮かべ、お辞儀をしてきた。その挙措動作のひとつひとつがレムを想起させる。まさに大人になったレムそのものだ。

「はあ!? いったいどういうことよ!?」

「なにがいったいどうなって……」

「そうだぜ、レムっていやあ……な」

「わたしより小さかったのに……」

 女性陣が騒然とするのも無理のない話だったし、セツナも彼女たちと同じく動揺を隠せなかった。彼女を目の当たりにした瞬間から先程までの間に彼女の正体に気がつかなかったのは、レムといえば、十三歳の少女のままだという前提があったからだ。固定観念という奴だ。レムといえば、いつも女給服を身に纏った可憐な少女なのだ。成長したエリナに背丈を追い抜かれたのはともかくとして、胸の大きさまで負けたことを悔しがっていたことが記憶に残っている。

 そんなレムが強く脳裏に焼き付いているからこそ、食堂に入ってきた美女がレムであるなどと想像もつかなかった。いやたとえその前提がなかったとしても、固定観念がなかったとしても、いまの彼女と普段のレムを一目で結びつけることは困難ではないか。全体的にレムそのままだというのに、なにもかもがかけ離れているのだ。

 背格好から身に纏う雰囲気まで、なにもかもだ。

 いまはいつもの笑顔を浮かべていることもあって、レム以外のなにものでもない、と確信をもっていえるのだが、最初に見たときはそうではなかった。

「優勝賞品……か?」

「さすがは御主人様。御名答にございます」

 いつもの調子で手を叩いて喜ぶレムなのだが、大人びた容姿も相俟って、なんだかからかわれているような印象さえ受けてしまう。少なくとも、普段の彼女よりも十年以上の年を重ねているように見える。

「マユリ様にお頼み申し上げ、わたくしの実年齢に見合った姿にして頂いたのでございます」

 彼女は、満面の笑顔になると、自分の肢体を誇るように悠然と歩み寄ってきた。警戒を解いたシーラの真横をすり抜けるようにして歩きながら、皆の表情を覗き見ては、嬉しそうな反応を見せる。シーラもファリアもミリュウも、だれもかれもが二十数歳のレムの容姿に度肝を抜かれ、言葉を失っていた。

 セツナも、だ。

 ただ、見惚れるよりほかはない。

「わたくしは死神。御主人様の命に従う下僕にして、闇人形。姿形などどうでもいいこと。されど、もしも願いが叶うのであれば、御主人様の下僕に相応しい姿でありたいと願うのは道理でございましょう。故に、マユリ様のお力をお借りしたのでございます」

 レムは、セツナの目の前で傅き、彼の手を取った。そして、その手を自分の頬に触れさせる。冷ややかな体温はそのままだが、しかし、いつも以上の柔らかさがそこにはあった。

「なるほどな……マユリ様なら、それくらい簡単にできそうだもんな」

 セツナは、彼女の説明に大いにうなずいた。

 レムの成長が止まっているのは、彼女の命をマスクオブディスペアの能力によって呼び戻したからであり、肉体そのものの時間が止まってしまったからだ。その状態で動けるのは、やはり、マスクオブディスペアの加護によるものでしかない。仮初めの命。欺瞞に満ちた生。虚ろな魂。しかし、彼女は確かに生きていて、そのことはセツナが一番よくわかっている。

「ただ、惜しむらくは永続的なものではないということでございまして、いまだけの特別な姿だということです」

 彼女は、立ち上がると、実に残念そうな顔をした。随分と大人びたレムの言動そのものは、以前の彼女となんら変わらない。しかし、体つきが変わっただけで、なにもかも印象が変わるものだ。思わず見惚れかけるほどだった。

「俺は、いつものレムも好きだけどな」

「御主人様……」

「もちろん、いまのレムも悪くない」

 セツナが彼女の目を見つめながら告げると、レムは、目を潤ませて微笑んだ。

 それからしばらく、皆で彼女を取り囲んで話し込んだ。だれもが、彼女の変貌ぶりに驚きの声を上げ、賛美した。レムは、十歳以上の年を取ったことで、可愛い少女から美しい女性へと生まれ変わったといっていい。

「レムって確か、わたしと同い年くらいだったわよね?」

「はい」

「二十云歳のレムか……ふうん」

 ファリアが嘗め回すような目でレムを見た。ファリアだけではない。ミリュウもシーラも、エリナたちでさえも、二十云歳のレムの姿をその目に焼き付けるばかりの勢いで、見つめている。レムは、そこまで熱烈な視線を注がれるとは想ってもみなかったのだろう。気恥ずかしそうに身じろぎした。その仕草がいつになく艶やかで、色っぽく見えたのは、やはりその肉感的な肢体のせいだろう。

「どうされたのでございます?」

「ううん、なんでもないわ。気にしないで」

 ファリアがいうと、透かさずミリュウが口を挟んだ。

「おっぱいでしょ」

「なにがよ」

「まさかセンセに張り合えるほどの大きさとはねえ……」

「だから」

「良かったわね、いまのレムが一時的なもので」

「あのね」

「ひやひやもんだぜ、まったく……」

 ミリュウの推察を否定しようとするファリアだったが、シーラがそんな彼女の意図を認めるような発言をしたことでなにもかもを諦めたようだった。

 確かに、レムの胸はマリアに匹敵するほどの豊かさがあったのだが。

 そこが問題じゃないだろう、と、セツナは想ったものの、なにもいわなかった。いえば、藪蛇になりかねない。



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