第二千三百六十七話 レム(二)
「わたくしは死神。御主人様の召喚武装マスクオブディスペアの能力によって仮初めの命を与えられただけの存在。故に、健康状態など、調べる必要もございませんが……」
レムは、女神のまっすぐな視線に力を感じて、顔を俯けた。
この命は、三度目の命だ。二度、死んだ。一度目は、足を滑らせて、頭を打ち付けて命を落とした。無意味に、無駄に死んだ。二度目は、気を許し始めていたものを裏切るため、信じたものに裏切られるようにして、切り捨てられるようにして、死んだ。クレイグ・ゼム=ミドナスにとって、レムたち死神部隊など、ただの傀儡人形に過ぎなかったのだ。自分の目的を果たすための手段でしかなく、そのためならば平然と利用し、切り捨てることのできる存在だった。価値がなかったわけではあるまい。むしろ、手段としての利用価値は、ただの兵士よりも余程あったはずだ。だが、それだけだ。それ以上でも、それ以下でもない。クレイグがレムたちにかけてきた言葉も、思いやりや慈しみも、すべては、傀儡人形の操り糸がちぎれたりしないように調整するようなものでしかなかったのだ。そこに本当の愛情も信頼もなかった。そんなことさえ理解できなかったのは、単純に、そういったものを知らなかったからだろう。無知だったのだ。本当の愛情さえ知らなかった。仮初めの、家族ごっこの中に暖かさを求め、そこに愛情があるものだと思い込み、信じ込んだ。
そしてそれに付け入られるようにして、利用され続けた。
いや、付け入られたとか、そういうことではあるまい。
仮初めの、死神としての命を受け入れたときから、ずっと利用されていたに過ぎない。
クレイグ・ゼム=ミドナスにとって、それが当然だった。そして、それは間違いではないのだ。彼の立場に立って考えれば、当たり前のことだった。そこを恨んだり憎んだりするのは、お門違いも甚だしい。レムなど、欺瞞に満ちた家族愛すら知らぬまま、この世から消滅していたはずだったのだ。
それを仮初めにも拾ってもらえた。
死神部隊の日々は、決して悪いものではなかった。少なくとも、いまの自分を形成する大半は、死神部隊によって作り上げられたのだ。クレイグを否定するということは、死神部隊の日々さえも否定するということであり、自分自身を否定することにも繋がる。
だから彼女は、二度目の生も否定しない。
しかし、やはり、どう足掻いても、もっとも重要なのは、その後のことなのだ。
クレイグによって道具として利用されて処分された後のこと。
レムは、三度目の生を得た。
自分が追い詰めたはずのセツナによって、再び、仮初めの命を与えられたのだ。予期せぬことだ。望んでもいなかった。恨まれて、憎まれて当然のことをしたにも関わらず、彼は、レムの命を拾ってくれた。同情だったのかもしれない。哀れみだったのかもしれない。慈しみや優しさであって、愛情とは違うものだったのかもしれない。
けれども、レムは、そこに愛を感じた。
そして、それを信じた。
もはや無知ではなくなっていた。欺瞞に満ちてはいたけれど、家族ごっこの中で愛情の形を知り、様々な感情を知った。幸福というものが存在するという事実に触れた。裏切りも理解した。それら死神部隊時代の経験が、彼女をしてセツナを信頼させるに至ったのだ。
それから数年間、彼の下僕として生きてきた。
偽りの命。仮初めの生。虚構の如き存在。すべては幻なのかもしれない。彼の想うままに生かされ、動いているだけなのかもしれない。そこに自分の意思があるのかどうかさえ、不安定だ。存在そのものが安定していないような気さえする。いや、確かに自分はここにいる。いるのだと声を大にしていえる。けれども、やはり、この命は本物ではないという事実の前には、なにもかもがかすんでしまう。
だから、女神に診られたくない。触れられたくない。知られたくない。
いや、違う。
自分が知りたくないのだ。
己の真実を。
仮初めの、偽りの命だという真実を突きつけられたくないのだ。
「そうはいうがな、レムよ。おまえはセツナから命を供給されているに過ぎないのだぞ」
「……はい」
「肉体そのもの、健康そのものの管理は、おまえ自身が行わねばならぬのだ。おまえが不健康に陥るのも、おまえがなんらかの疾患にかかるのも、おまえ自身の問題なのだ。そこにセツナは関係がない。セツナの体調が悪化しようと、セツナがなんらかの疾患にかかろうと、おまえ自身に関係がないようにな」
マユリ神は、親が子を宥めるような優しさで説明してきた。レムは、女神の発する言葉を聞きながら、目が覚めるような想いがした。確かにその通りだ。女神のいうとおりだった。そうだ。レムは、確かにセツナから命を供給されこそすれ、セツナと体調まで同期しているわけではなかった。セツナの体調不良はレムとは無関係だった。
セツナがどれだけ疲労し、消耗しようとも、レム自身は至って元気だったりすることは多い。
「おまえは、セツナから命を与えられているに過ぎない。確かにおまえは、二度死に、そのたびにマスクオブディスペアの能力によって蘇生されたのだろう。だがな、一度目と二度目には明確な違いがあるということをおまえは気がついているか?」
女神は、慈しむような目でこちらを見ていた。その慈愛に満ちたまなざしには、レムも茫然とする。どうして、この目の前の女神は、自分のような卑しい存在にまで、そのような優しさを向けられるのだろう。どうして、自分にとっての希望の如く輝いているのだろう。そんな疑問の中で、女神の声だけが頭の中に響く。
「一度目は、おまえを操るための、支配するための蘇生だった。二度目は、おまえを蘇らせるための蘇生だった」
心音が聞こえた。
記憶が蘇る。闇黒の世界で、レムは三度目の生を得た。そのとき、なぜ、レムは彼を信頼できたのか。なぜ、クレイグとは違うと想うことができたのか。それは、彼との命の繋がりに強制的なものを感じなかったからだ。
「それは、わかってやるべきだ。セツナのためにもな」
「……マユリ様……」
「そして、だからこそ、おまえの健康状態も調べておく必要がある」
「レム。おまえの成長は確かに止まっている。が、おまえの時間が止まっているわけではない。生きているのだ。おまえのすべての時間が完全に止まっているのであれば、おまえがみずから考え、想い、望み、動くことなどあり得ない。そうだろう。おまえは生きている。生きて、そこにいる。仮初めの生などではないのだよ」
「仮初めの生では……ない」
レムは、マユリ神の言葉を反芻するようにつぶやいた。それは、彼女の存在を肯定する言葉であり、彼女が求めて止まないものだった。だからこそ、疑問も抱く。マユリは希望を司る女神だ。マユリは、レムの希望を言葉にしているだけではないのか。そんな疑念は、しかし、マユリ神の目を見つめれば、露と消える。まっすぐな、真摯なまなざしだった。そこにわずかな揺らぎも存在しない。眩しいくらいに輝いている。
「そうだよ、レム。おまえの命は、厳然として、そこに存在するのだ」
「ですが……わたくしは――」
「セツナが生きている限りは、何度でも蘇る。そのことがおまえには不思議でならないのだろうが……そもそものことを考えてもみよ。おまえの命は、だれから供給されている」
「御主人様……ですが」
「そうだ。おまえも理解していることだろう。セツナが死なぬ限り、セツナの命が終わらぬ限り、おまえの命もまた、続く。おまえはセツナの影といってもいい。セツナという命に寄り添う影だ。セツナに光が当たっている限り、おまえという影もまた、消えぬのだ。故におまえは死なぬ。滅びぬ」
女神の説明するそれは、レムにとってもわかりきっていたことだ。レムは、セツナによる蘇生以来、何度も死にかけている。いや、本来ならば死んでもおかしくない攻撃を受けている。体を真っ二つに裂かれたり、ばらばらに吹き飛ぶような攻撃を受けたこともあった。だが、死ななかった。死ぬほどの苦痛を受けながら、意識が吹き飛ぶようなこともなく、瞬時に蘇り、そこに在り続けた。その事実が、レムを混乱させてきたのは間違いない。
これは、この命は、本当に自分のものなのか、どうか。
そんな疑問を抱かざるを得ない。
「だが、それがおまえの命が虚構であることの証明とはならない。なぜならば、おまえは、セツナではないからだ」
「それは……」
「おまえは、おまえだ。レム。セツナがセツナであるようにな」
女神マユリの力強い言葉に、レムは、心が震える想いがした。
「だから、胸を張れ。胸を張って、生きて見せよ。それがセツナへの恩返しとなるのだからな」
「セツナへの恩返し……」
胸に手を当てる。この三度目の命をもらってから、ずっと考えていたことだ。それこそ、彼女の原動力といってもいい。彼の下僕となり、彼のために誠心誠意働き続けてきたのも、その一念があってこそだった。恩返し。三度目の生を与えてくれたことだけではない。彼とともに生きられることの幸福に対する恩返しだ。
セツナは、彼女に愛情を注いでくれる存在だった。
クレイグとは、違う。
「はい!」
レムは、力強くうなずいた。
これからも、命ある限り、彼に尽くそう。尽くして、尽くして、尽くしまくろう。彼が困惑するくらい、愛情たっぷりに。
それが自分だ。
レムという命の有り様なのだ。