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第二千三百六十六話 レム(一)


「しっかし、なんでまたあんなに嫌がってたのかしら」

 ミリュウが椅子に座り直すなり、腕組みして考え込んだ。

 セツナも彼女にならうように席に腰を落ち着けると、レムのいなくなった舞台上を見遣り、それから、診断所に視線を向けた。いまごろ、レムはマユリ先生と向き合っていることだろう。健康診断を受けたくないという彼女の気持ちは、多少、理解できなくはない。もちろん、完全にではない。ほんの少し、彼女の立場を想えば、だ。

「そりゃあ……自分の健康状態を認識するのが怖かったんだろう」

「どうしてよ?」

「レムがどういった状態なのか、忘れたのか?」

 セツナは、ミリュウの目を見て、いった。彼女は、はっと目を見開く。

「あ……」

「あいつは……特殊なんだよ。普通じゃないんだ」

 その言葉は、レムを否定するものではない。むしろ、肯定するための言葉だと、セツナは想っている。

「だから、それを認識することを恐れている。たぶん……きっと」

 だが、だからといって、その事実から目を逸らし続けるのは、彼女のためにも良くないことだとセツナは判断し、強引にも命じたのだ。彼女がセツナとの主従関係をなによりも大切にしている以上、彼女が主命に逆らうことはありえない。それは、彼女自身による自己の否定に繋がるからだ。それこそ、彼女の存在意義を根本から覆すものであり、立場を台無しにしてしまうものだ。価値さえも返上することになる。そんなこと、彼女には耐え難いだろう。

 自分の状態を再認識することと、自分の存在意義を返上すること。

 どちらのほうがましか、考えるまでもなかったということだ。

 少し可哀想なことをしたと想う一方で、今後のことを考えれば受けさせるべきだったのも事実であり、彼は、レムが戻ってきたときにはしっかりと迎えてやろうと想ったりした。


 自身の裸体を見るたびに想うのは、貧相なものだ、ということだ。

 ファリアたちと比べるべくもない。ファリアやミリュウのように鍛え上げられた武装召喚師の体は、美しいほどに研ぎ澄まされ、強靱かつしなやかで、女性的な柔らかさをも内包している。完璧とは言い切れないにせよ、完璧な肉体に近づいていっているのは、間違いない。

 温泉などで彼女たちの裸体を目の当たりにするたびに、レムは、内心、嘆息を禁じ得なかった。最近では、エリナにも完全に敗北している。肉体の完成度において、だ。エリナは、ミリュウの弟子として、日々研鑽と修練を積んでいる。当然、肉体も鍛え上げ、戦場に出ても申し分のない動きができる程度には、成長している。およそ二年半前、最終戦争真っ只中に見たエリナの姿とも、比べものにならないほどだ。それはそうだろう。“大破壊”から二年あまり、武装召喚術の総本山リョハンにおいて、徹底的な修練を積んできたのだ。ただの平凡な少女だった彼女は、いまや武装召喚師のひとりに数えられるほどになっている。

 そんな彼女の肢体は、しかし、ただ鍛えられただけではない。この二年ほどで成長したのだ。特に胸の膨らみが以前とは比べものにならないほどに主張していて、それがレムには羨望の対象となった。ファリアやミリュウに対してはそれほど感じなかった感情がなぜエリナにだけ感じるのか。

 わかりきっている。

 ファリアやミリュウ、シーラは、出逢った当初既に完成に近い肉体を誇り、豊かな胸の主張も最初から激しかった。故に最初から意識外に置いておくことができたのだ。その点、エリナは違う。エリナと出逢ったのはおよそ五年前のことであり、彼女がまだ十一歳くらいのときだ。エリナは十六歳になった。肉体年齢でいえば、レムを上回っている。

 レムの体が貧相なのは、生まれによるところが大きい。今日を生きるのすら困難なくらい貧乏な家に生まれた。ろくな食べ物もなく、よくもまあ十三歳のあのときまで生きてこられたものだと、いまでも想う。家計が逼迫するあまり、売られることになったのだが。

 そして、肉体年齢が、最初に死んだ十三歳のときのまま止まっているからにほかならない。そしてそれは、致し方のないことだ。

 いまこうして仮初めにも命を繋ぎ、生きていられるのだから、そのことで文句をいうのはお門違いだろう。死んだのだ。そこで成長が止まるのは必然の、道理といっていい。死体に命を与え、動かしているだけに過ぎない。本来ならばそのまま朽ち果てていくだけの、終わりきった肉体だ。そこからさらに成長することなど、ありえないのだ。

 だから、ファリアやミリュウたちの肢体がどれだけ肉感的で性的魅力に溢れていても、気にも留めなかった。そこまで違えば意識の外に置いておける。

 しかし、エリナはどうだ。最初にあったときが十一歳前後の少女だった。それが日々、成長し、ついにはレムの肉体年齢を追い抜いてしまった。身の丈もレムを越え、体つきもエリナのほうが遙かに女性らしいものに成長している。

 正直、羨ましかった。

 死神として生まれ変わって、はじめて、成長を羨んだのではないか。

 そういう自分の心の弱さを認識しなければならなくなるから、裸になるのは嫌なのだ。自分の貧相な体つきを目の当たりにすれば、嫌でも、考えざるを得ない。もし、自分があのまま成長を続けていれば、少しは胸も大きくなったのだろうか。女らしい体つきになり、セツナを惑わせることもできたのだろうか。

 そんなことを考えてしまう。

「どうした? 先程から考え込んでいるようだが」

「い、いえ……なんでもございませぬ。ところで、わたくしの健康状態はどう……なのでございましょうか」

 問い返せば、白衣の女神は、しばし沈黙した。帳に囲われた空間の中。いるのは自分と女神だけとはいえ、一糸纏わぬ姿になるのは、やはり、恥ずかしいものだ。貧相な体だ。ファリアやミリュウのように立派ならばなんとも想わないのだろうが、こんな体では、だれにも見られたくなかった。セツナにすら、見せたくない。

「おまえは、自分の肉体がどういう状況にあるのか、理解しているのか?」

「……ある程度は」

 レムは、マユリ神の真摯なまなざしを見つめ返しながら、静かに肯定した。

「わたくしは二度、死んでおります」

 一度目は、いまから十五年ほど前になる。寒い冬の夜だった。金欲しさ売られ、男に連れて行かれる道中のことだった。人身売買。ジベルの貧困層の間では、決してめずらしいことではない。売られた先でどのような運命が待ち受けているのか、それは、買い手による。売春宿に行き着いたかもしれないし、奴隷になったのかもしれない。あるいは、外法の被検体にされたのかもしれない。

 ガンディアにおいて撲滅された外法だが、ジベルにおいても研究されていた。もっとも、ジベル国内における外法研究が実を結んだという話は聞いたこともないが。

 いずれにせよ、その日を生きることさえ困難な日々よりはましだったのか、といえば、疑問を持たざるを得ない将来が待ち受けていた可能性も否定できず、あのとき、足を滑らせた死んだのは、幸運だったのだろう。

 死神零号クレイグ・ゼム=ミドナスと出逢えたのだから。

 彼は、レムの中に絶望を見出した。絶望を力の根源とするマスクオブディスペアの能力を分け与えることで、仮初めの生を紡ぎ、レムを死神として蘇生したのだ。死神壱号レム・ワウ=マーロウの誕生は、レム=マーロウの死でもあった。あのとき、確かにレム=マーロウは死んだのだ。

 レム=マーロウという過去から隔絶された存在として、レム・ワウ=マーロウは在り続けた。死神部隊の連中とは、家族のような関係を築き上げることができたのだ。それは、レム=マーロウの人生にはなかった暖かさだった。彼女がレム=マーロウとレム・ワウ=マーロウを別物として考えるのは、そういう経緯からも当然のことだった。

 そして、クレイグ・ゼム=ミドナスに利用され続け、殺された。

 二度目の死。

 心を許し始めていた相手を騙し討ちにすることになってしまったのだ。当然の報いといっていい。

 ただただ哀しくて、苦しくて、辛くて、許せなかった。だれよりも、利用されるしかない自分自身が、許せなかったのをいまも覚えている。

 クレイグ・ゼム=ミドナスに対しては、そこまでの恨みはない。彼がいなければ、彼女は、家族の温かみや信頼の置ける相手との出会いもなかったのだ。

 死神壱号としての人生も、決して悪いものではなかった。

 たとえそこに絶望の闇しかなかったとしても、だ。




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