第二千三百六十五話 続・大健康診断大会(二)
「どう……なのでしょう?」
ファリアは、マユリ神に尋ねながら、帳の向こう側にいる男性陣のことが気になって仕方がなかった。木枠に吊された帳は分厚く、隙間なく周囲四方を囲っているため、覗かれる心配はないし、セツナを始めとする男性陣がそのような真似をする性格ではないことくらいわかりきっている。それでも、もしも、万が一のことだってないとは言い切れないのだ。たとえば、この周囲を囲う帳を吊した木枠が倒れたらどうなる。男性陣が望む望まぬに関わらず、ファリアの全裸を目の当たりにすることになってしまうのだ。そうなった場合、男性陣にまったく非はないものの、ファリアが恥ずかしさに身を焼かれるのは当然のことといっていい。
無論、マユリ神を信用していないわけではないし、そのような万が一の事態など、起こりようもないのだろうが、それでも、一糸纏わぬ姿で居続けるというのはなんとも心許ないものなのだ。故に余計な心配が先に立つ。そして、その心配に煽られるようにして、不安が加速する。羞恥心が刺激されてならないのだ。
まさか、健康状態を調べるために裸になる必要があるとは想っていなかったし、その事実を告げられたとき、ファリアは愕然としたものだ。マユリ神に何度も問いただし、セツナも全裸になったと聞けば、従うよりほかはなく、女神に対し、服も下着も身につけない素のままの自分を見せつけることになった。それが女神のやり方ならば従う以外の道はない。
健康診断を受ける必要がないのであれば、そうでもないのだろうが、そういうわけにはいかなかった。レムのいうように全員の健康状態を把握しておくことは、今後の戦いにおいても重要なことだろう。必要不可欠といっていい。健康状態の悪いものを戦闘に参加させるわけにはいかないからだ。
ファリアは自分の健康状態には自身があったものの、レムが口にしたマリアの言葉を思い出し、すべてを諦めて女神の指示に従った。
そして、全裸のまま、数十秒が経過した。
広間。気温は低くない。一糸纏わぬ姿になったからといって寒気を感じるようなこともなかった。ただ、気恥ずかしさの余り、体温が無駄に上がっている気がする。視線は、目の前の女神からしか感じなかったし、大事な部分は手で覆い隠しているのだが、それでも意識せざるを得ない。
「おまえは紛うことなき健康体だ。どこに不調があるわけでもない。ニアズーキでの消耗もほぼ回復している。しかし、完全ではないな。よろしい。わたしが癒やそう」
「はい?」
「そのまま、じっとしているがいい」
ファリアは、マユリ神に優しく抱擁され、なんともいえない気持ちになった。なにせ、ファリア自身は全裸なのだ。そんな状態で女神とはいえ、他者に抱かれるとなると、変な気持ちにもなる。しかしながら、女神の抱擁は慈しみに満ち、柔らかな光に包まれるような、そんな感覚さえあって、彼女は次第に感動を覚えていった。
抱擁から解放されると、全身に力が充溢していた。体中の筋肉という筋肉が喜びの悲鳴を上げている、そんな感じがある。女神の話に寄れば、蓄積していた疲労を取り除き、消耗を回復しきったため、体が軽く感じるのだという。
「こんなに体が軽く感じたのは、生まれて初めてかもしれません」
「それほどか」
女神が笑う。しかし、嘘ではない。事実だった。ファリアは、物心ついたときから修練の日々の中にいた。鍛錬というのは、日々肉体をいじめ抜くものだ。体を動かし、筋肉を消耗させ、体力、運動力、身体能力を鍛えていく。もちろん、体を休ませることもある。しかし、ここまですっきりした気分というのは、久しく感じたことがなかった。いまのいままで、どれだけ休んだところで、常に体のどこかに疲労が残っていたのだろう。そういった疲労さえ余すところなく除去されたのだ。
重力から解放されたような、そんな感覚さえあって、ファリアは感動とともにマユリ神に感謝した。
ファリアが健康診断を終えたのは、数分後のことだ。セツナが二時間あまり入っていたことを考えれば、かなりの短時間であり、セツナだけ異様に時間がかかったのだということかもしれない、と、レムは考え、ひとり不安になった。
ファリアのつぎは、ミリュウが健康診断を受けた。ミリュウは診断所に入るなり大声を上げてきたが、しかし数分後には元気過ぎるほどの様子で飛び出してきている。ファリアとミリュウの話によれば、健康診断を受ける際、全裸にならなければならず、そのためにミリュウは抗議の声を上げてしまったらしい。もっとも、ミリュウも女神の健康診断を受けざるを得ず、結局は全裸になったようだが。
その後は、シーラ、エリナ、ミレーユ、ダルクス、ゲイン、エスク、ネミアの順に健康診断を受けていった。だれもかれも、セツナほどの時間はかからなかった。多少長かったのはエスクくらいのものだ。それでもセツナに比べれば遙かに短く、エスク自身、けろっとした顔で出てきたこともあり、だれひとり不安がらなかった。
やはり、セツナの健康状態にはなにか不安があるのではないか。そう想わざるを得ない。
しかい、想っている場合でもなかった。搭乗員全員が健康診断を受けたのだ。レムは、舞台上から席に並んで座る参加者たちを見回して、笑顔を作った。満面の笑み。その状態を維持することそのものは、なんら難しくない。
「参加者の皆様方、マユリ先生による健康診断はいかがでしたでしょうか。マユリ先生の愛情の籠もった健康診断、身体検査は、必ずや皆様の今後の活躍に力となることでございましょう。そして、これより皆様の診断結果の順位を、マユリ先生より発表して頂き――」
「ちょっと待てよ!」
レムが話を進めようとしたとき、話に割って入ってきたのは、セツナだった。彼は席を立ち、いまにも舞台に上がらんとでもいう勢いだった。
「なんでございましょう?」
「まだひとり受けていないよな?」
「そうよそうよ! あなたがまだよね?」
セツナに続き、ミリュウが勢いづいていってくる。
レムは、ふたりのいわんとしていることを理解しながらも、笑顔を絶やさずに告げた。
「わたくしは司会進行役でございますので……」
受ける必要はない、と、レムは考えている。しかし、セツナたちは食い下がるのだ。
「司会進行だろうがなんだろうが、おまえも俺たちとともに船に乗る仲間なんだ。マユリ先生の診断を受けないわけにはいかないはずだ」
「そうよそうよ!」
「まあ、そりゃあそうよねえ」
「うんうん」
「レムお姉ちゃんも受けなきゃ駄目だよ!」
セツナとミリュウのみならず、ファリア、シーラ、エリナにまで諭され、レムは、困惑するほかなかった。彼女には、健康診断を受けるという選択肢がないのだ。だのに、皆は受けろという。
「ですが……」
「レム。おまえは船を降りたいのか?」
「そういうわけではございませぬ」
レムは、きっぱりといった。そういうことではない。そういう理由で、健康診断を受けたくないわけではないのだ。それならば、そもそもこのような茶番を設けたりはしない。
「わたくしは御主人様の下僕。御主人様とともに戦い続ける影にございます。そのようなものの健康状態など、どうでもよろしいではありませんか」
「んなわけあるかよ」
セツナが強く否定した。そして、想わぬことをいってくる。いや、彼の下僕ならば、想定して然るべき内容の発言だろう。
「むしろ、俺の下僕ってんなら、さっさと健康診断受けてこい。これは主命だ」
「そ、そんな……」
「どうした? 主の命令が聞けないってのか?」
そういわれれば、レムに否やはない。
「……わかりました。主命とあらば、わたくし、健康診断を受けて参ります」
「おう、行ってこい」
そういって背中を押してくれたセツナの表情はいつになく優しく、だからレムは、彼をどう足掻いても嫌いになれないのだ、と、再認識した。
それと同時に女神の待つ診断所が恐ろしく想えてならない。
健康診断を受けるということはつまり、事実を突きつけられるということだ。
彼女が億劫になるのには、そういう理由があった。