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第二千三百六十三話 惰眠を貪るもの(六)

 黒き剣は、セツナの感情の赴くまま、怒りの迸るままに振り抜かれ、空を切った。まるで手応えもなく振り切った剣を握りしめたまま、彼は、その怒りに満ちたまなざしをただただ虚空に向けるほかない。そこにいたはずの相手はおらず、気配も視線も別方向から感じている。移動したのだろう。

 冷静になって考えてみれば、当たり前のことだ。

 セツナは、感情の昂ぶりのまま、振り向きざま剣を叩きつけようとした。そこには全身全霊の力と激情が乗っている。殺意そのものが込められている。相手は、ロッドオブエンヴィー。そういったものがわからない相手ではないだろうし、わかれば、対処するのは当然のことだ。距離感も掴みにくい暗黒世界。避けるのは、案外簡単だったのだろう。

(なにも怒る必要はないじゃない……)

 頭の中に響く声の調子に一切の変化はない。気怠げなまま、ただぼんやりといってくるのだ。それがまたセツナの神経を逆撫でにするのだが、相手がこちらを気遣う様子もない。故に彼は、視線の方向を睨み付けるのだが、やはり、距離感は計りづらい。

(ぼくの眠りを妨げた君が悪い……違う?)

「試練だろ、これは!」

 叫ぶが、その怒りに満ちた声がロッドオブエンヴィーに響いたとは思えない。

(そう考えているのは、案外、君だけかもしれない……)

「あの女も、ランスオブデザイアも、そういっていた!」

(……そう……じゃあ……試練ってことでいいや、もう……)

 なにもかもを諦めたような彼の発言には、彼にとってこの試練が心底どうでもいいことの現れのように感じ取れて、セツナは怒りをさらに昂ぶらせた。黒き剣を構え直すも、斬りかかれない。斬りかかろうにも距離が掴めない以上、飛びかかったところでまた空を切るだけのことだ。無明の暗黒世界。強化された五感だけでは、完全に状況を把握することは難しい。

「なんなんだ……おまえは!」

(ぼくはロッドオブエンヴィー……この地で夢を見続けるもの……)

 彼は、セツナの叫びをどう受け取ったのか、物憂げに名乗ってきた。そして、セツナがさらに怒りを膨れあがらせるのを見計らったようにして、続けてくる。

(はい……これ)

 極めて軽い口調とともに、セツナの眼前に光が生じた。光は瞬く間に収束し、凝固する。やがてひとつの形を成したそれは、禍々しい闇の結晶となった。黒き矛にも似た破壊的なまでの禍々しさには、見覚えがある。

「なんだ……?」

(見ればわかるでしょ……鍵だよ。君の求めてる……)

 ロッドオブエンヴィーがあきれたようにいってきたのを聞いて、セツナは、目の前の虚空に浮かぶそれを凝視した。確かに彼のいうとおり、鍵だ。ランスオブデザイアから手に入れたものと極めて似ている。細部こそ違うようだが、ほとんど同じといっていいだろう。

「そりゃあ……見りゃわかるが……」

 セツナは、なんだか拍子抜けがした。毒気が抜かれた気分だ。いまのいままで彼の体に充ち満ち、いまにも溢れでんとしていた怒りや殺意がどこかへ霧散してしまっている。

(なにが疑問なの……? 君は鍵を手に入れるためにこの世界に立ち入ったんじゃないの……? 手に入ったら……ばんばんざい……)

「試練は……?」

(終わったよ……)

「はあ!?」

 セツナは、今度こそ素っ頓狂な声を上げた。上げざるを得なかった。これからが本番だと思っていたところに既に終わったといわれれば、そうもなろう。いや、もちろん、ここに至るまでになにもなかったわけではないということはわかっている。身をもって、知っている。それこそ、血反吐を吐くような想いでここまできたのだ。ランスオブデザイアの試練以上の痛みの中でのたうち回りながら、ここに辿り着いた。何度も、何度も、何千、何万という悪夢を乗り越えて、やってきた。だが、それだけといえばそれだけなのだ。

「あれが……あの悪夢が試練だったっていうのか……?」

(そう……)

 ロッドオブエンヴィーは、セツナの思考を読み切ったように肯定してきた。静かに、そして、気怠げに。

(あの夢を……あの忌まわしき、悪しき夢の連鎖を断ち切ることこそが……ぼくの課した試練……)

 彼がいうには、やはり、あの何万回と繰り返し見てきた悪夢こそが試練だったようだ。肉体面ではなく、精神面を徹底的に追い込むのが、今回の、いや、ロッドオブエンヴィーの試練だった、ということだろう。そしてそれは、まぎれもなく苦痛に満ちたものであり、試練といって遜色のないものではあったのだ。ただ、それを乗り越えれば、なんだかあっさりしていると想わずにはいられない。

 実際には、凄まじい時間、想像を絶するほどの回数、愛しいひとたちの死の瞬間を見せつけられてきたのであり、ランスオブデザイアの試練よりもセツナにとってはきつかったのも事実だ。

(君の方法はあまりに直接的すぎて驚いたけど……でもまあ……君ならそうするよね……)

「ああ?」

 直接的というのは、石棺を破壊したことをいっているのだろうが。

(なにも間違ってはいないから……安心して……)

 ロッドオブエンヴィーが苦笑を漏らした。そのなんともいえない表情は、セツナを馬鹿にしているというわけでもなさそうだ。と、そこでセツナは、ロッドオブエンヴィーの顔を見ている自分に気がつき、驚いた。ロッドオブエンヴィーの姿が闇の中に浮かび上がっていたのだ。どうやらそれは、鍵が発する暗い光の反射のようであり、ロッドオブエンヴィーの容姿がはっきりとわかった。

 彼は、最初に見たとき同様、少年の姿をしていた。人間でいえば十代前半くらいだろう。ぼさぼさの黒髪に気怠げなまなざしには真紅の瞳が輝いている。肌は青白いように見えなくもないが、光の加減もあってよくわからない。背丈としては、セツナよりかなり低い。黒い衣服は寝間着のようであり、大きな枕を抱いている。どうやら本当に眠ることが仕事らしい。

(君は悪夢の源を破壊することで……悪夢の連鎖を断ち切った……)

 彼はあくびを堪えるようにして、告げてくる。

(忘れないで……それこそが唯一の希望の道だということを……。ぼくたちの……長い長い旅を終わらせるただひとつの希望だということを……)

「いっている意味がいまいちわかんないんだけど」

 セツナは、すっかり毒気を抜かれ、ロッドオブエンヴィーを睨むことすら忘れていた。剣の柄を握る力も緩くなる。試練が終わったと突きつけられた以上、そうならざるを得まい。セツナの目的は鍵の獲得であり、その鍵が目の前に明示されている以上、食い下がる理由はない。ただ、彼のいっていることが理解できない事実には、もどかしさを感じた。

 彼がなにをいいたいのか。なにを伝えたいのか。わからなければ、反応しようもない。受け取りようもない。それがセツナには心苦しい。

(わからなくていいさ……君は君の生きたいように生き、夢を護ればいい……)

「夢……?」

(そう……君の夢。君にとっての大切な夢。君は、いったいどんな夢を見る?)

「俺の……夢……」

 セツナは、ロッドオブエンヴィーの真摯なまなざしを受けて、自分の手を見下ろした。己の夢。自分が見る夢とは、なにか。かつてセツナは、他人の夢を自分の夢として、生きた。しかし、その途上、自分の夢を見出し、他人の夢の中にこそ、自分の夢の実現があるのだと想うようになった。だがそれも、道半ば、夢半ばで絶えてしまった。

 では、自分の夢も絶えてしまったのか。

 それは、違う。

 違うはずだ。

 セツナの夢は、相変わらずあの世界に残っていて、そのためにこそ、地獄に堕ちたのではないのか。

(幸福な夢の実現には、幾多の困難が立ちはだかるもの……だから……ぼくたちがいる。ぼくたちが君とともに困難を打ち破り、夢を叶えるんだ……)

 ロッドオブエンヴィーは、まるでセツナを鼓舞するようにいってくる。そのまなざし、声音は、いままでに感じたものとはまるで違う力を感じた。

(……君の夢を)

「俺の……」

 セツナは、虚空に浮かんだままの鍵に手を伸ばし、握りしめた。すると、目の前の空間に突如として扉が出現し、試練を達成したことが明確化した。もはやロッドオブエンヴィーの気配は消え、視線も感じられなくなっていた。

 扉を潜り抜ければ、あの塔に戻るのだろうが。

 彼は、しばしその暗黒空間に留まり、自分の夢について考え込んだ。

 目が覚めるまで。


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