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第二千三百六十二話 惰眠を貪るもの(五)

 悪い夢だ。

 悪い夢ばかりが続いている。

 寝ても覚めても悪いことばかり。苦しいこと、辛いこと、哀しいこと、痛いこと。そんな夢ばかりを見続けて、気が狂いそうになる。ただひたすらに失っていくだけの夢。それがまるで決まり切った未来であるかのように印象づけられていく。絶対に覆りようのない未来。そんな絶望的な光景が待ち受けているというのなら、地獄に引きこもっているほうがましなのではないか、とすら想ってしまう。

 それくらい、酷い夢ばかりだ。

 悪夢。

 だが、極めて現実感を持ったそれをただの悪夢と呼ぶのは、無理があるのではないか。

 セツナが棺を開けるたびに見てきた光景は、実際に体験した記憶の如く、幾層にも積み重なって脳内に刻まれている。何度となく繰り返されてきた現実のように。本当の過去であるかの如く積み上がり、その上に自分はいる。それらの過去がいまの自分を成り立たせているとでもいわんばかりだった。そんなはずはない。そんなことはありえない、と、いくら否定し、頭を振ったところで、圧倒的な現実感の前には為す術もなく、押し潰される。

 ついには棺の丘を目指す気力さえも失い、彼は、無明の闇の中、座り込んでしまっていた。

 何十回、何百回と、愛しいひとたちの死を見せつけられれば、そうもなろう。

 胸中に浮かべた言い訳を嘲笑うことすらできず、彼は、壁にもたれかかった。暗黒の世界。そこには音もなく、風もない。光明などもない。脳裏を過ぎるのは、先ほどまで何百回と見せつけられてきた悪夢の光景であり、それが極めて強烈な現実感を持っているからこそ、彼は立ち直れないほどの絶望の淵にいた。それがただの夢ならば。それがなんの力も持たない悪夢であれば、痛みは残ったとしても、振り払い、立ち直ることも難しくはなかっただろう。

 しかし、ここの悪夢は格別だった。

 彼女たちの死は、まるで昨日の出来事のようだった。戦いの中で死んでいく彼女たちを護ることができないから、その苦しみは幾重にも膨れあがり、彼を包み込んで攻め立てる。護ろうという努力をどれだけしても、彼と矛では守り切れない。所詮、矛でできることは、敵を倒すことだけなのだ。その現実を理解したからといって、悪夢に変化が起こるわけもない。ただただ、失意と絶望を上書きされていくだけのことだ。

(もう……あきらめた?)

 ロッドオブエンヴィーの声が聞こえてきても、彼は、なにも感じなかった。心が動くということがなくなってしまっている。夢の中で失い続けた結果、心さえも枯れ果てたのではないか。いや、そんなことはない。痛みはいまも実感としてあるのだし、苦しいからこそ、救いを求めて喘いでいるのではないか。足掻いているのではないのか。

(はやいね……)

 煽られて、彼はようやく立ち上がった。体力は有り余っている。精神的な消耗も、大したものではない。深いのは、痛みだけだ。悪夢を見続けてきたことによって累積した痛みが、心と意識を縛ろうとしている。それを振り切らなければ、行動を起こすことはできない。だから、彼は振り切るように叫ぶのだ。

「武装召喚!」

 爆発が起こったかのような光の中に具現した黒き剣を手に取り、漲る力で強引に体を動かす。すぐ後ろを振り返って飛び上がり、剣を壁に突き立てて、壁を蹴った反動で上空に飛び上がって宙返りを決める。そのまま壁の上に着地すれば、あとはいつも通りだ。いつものように送還と召喚を繰り返しながら、無数の足場を飛び移っていく。

 そうして棺の丘に辿り着けば、やることは決まっている。

 セツナは、丘の頂に至り、棺に手をかけた。蓋をずらし、中を召喚の閃光で照らす。

 また、悪夢が始まる。

 いや、違う。

 悪夢を始めるのだ。

 乗り越え、試練を突破するために。


 そうして、夢を見続けた。

 何度も、何度も、意識が焼き切れるのではないかと想うくらい何度も、悪夢を見た。

 そのたびにセツナは失い続けた。大切なひとを目の前で殺され続ける夢だ。それを悪夢といわずなんというのか。夢の中では、善戦することも許されない。勝利はする。だが、失い続けるということに変化は起きない。ただただ、失い続けていく。意味もなく、理由もなく、奪われ続けていく。どれだけ覚悟を決め、どれだけ意識を変えようとも、結果は変わらない。

 悪夢は、所詮、悪夢に過ぎない。

 セツナに悪意の牙を剥いているのだから、結果が変わることなどありえないのだ。

 何千、何万の死を見た。

 そしてそれが自分自身の過去の記憶のように積み重なっているのだから、たまったものではない。その重さ、その痛みに耐えられない。いや、実際にはぎりぎりのところで耐えてはいるのだ。踏ん張ってはいるのだが、それも、本当にぎりぎりのところだった。もう少し悪夢を続ければ、心が折れて、もう二度と立ち直ることもできなくなるのではないか。

 それでも、続けなければならない。

 それでも、立ち上がり、闇の世界を乗り越え、棺の丘を目指さなければならない。

 なんのために。

(この試練を突破するためだろう)

 そのために、たったそれだけのために、彼女たちの死を何千、何万と見てきたというのか。何千、何万回と、彼女たちの死を乗り越えてきたというのか。

 いや、と、彼は頭を振った。

(乗り越えてきた? 違うな)

 いつだってそうだった。どの夢でも、どんな悪夢でも、そうだった。自分は、彼女たちの死を乗り越えたことなど、一度だってなかった。ずっと、引きずっていた。引きずり続けた結果、すべてを失い、やがて己さえも見失っていったのだ。

 それはそうだろう。

 彼女たちを失うことなど、考えられるはずもない。乗り越えられるわけがない。そんなことのために戦ってきたわけではないのだ。それを経験とし、力とするなどという強さは、セツナは持ち合わせていなかったし、そんな強さは求めてもいない。欲しいのは、愛しいひとの死を乗り越える強さではない。

 愛しいひとたちを守り抜く強さだ。

 悪夢を乗り越えることになんの意味があるというのか。

 彼女たちの死を乗り越えて得られるものなど、ただの虚しさではないのか。彼女たちの死を受け入れなければならないなど、そんなこと、認められるわけがない。

 セツナは、棺の丘に到達すると、黒き石棺の安置所へと迫った。そして、石棺目がけて黒き剣を振り下ろしたのだ。

(こんなもの……!)

 全身全霊、あらん限りの力を込めて振り下ろした黒剣は、石棺の蓋を見事打ち砕き、棺そのものも破壊して見せた。中には、なにもいなかった。黒き剣が打ち砕いたのは石棺だけであり、ほかのなにかを斬りつけたという感触はなかった。あったのは、石材を粉砕した確かな手応えであり、その行いに対する明らかな反応としての視線だった。

(ひとの寝床、問答無用に破壊するなんて……ひどいことをするもんだ……)

「なにがだよ!」

 セツナは、振り向きざま、視線と脳内に響く声の主を睨み付け、切っ先を向けた。闇の中、なにものかが立っているという気配だけがある。視線と呼吸音、そして物静かな気配は、ロッドオブエンヴィーのものだろう。姿がはっきりと見えないのは、どうしたところでここが無明の闇だからだ。なにもかもが闇に閉ざされた暗黒の世界。まるで覚めない悪夢のようだ。

 なにもかも、悪い夢のようだった。

 セツナが体験してきたこともすべて、この世界を構成する要素もすべて、なにもかも。

 無限に続き、永遠に繰り返す悪夢。

(ぼくの寝床だったんだよ、それ……)

 彼の視線がセツナの背後に移動したことだけはわかった。石棺を見ているのだ。セツナの剛力によって無残にも破壊された石棺は、もはや棺としての役割を果たせまい。その棺を寝所としているというのは、ロッドオブエンヴィー一流の皮肉なのかどうか。

 セツナはそんなことよりも、わき上がってくる感情のほうを優先した。爆発する想いは、止まらない。

「寝てたのはあんたじゃなかったじゃねえか! 俺は……!」

(おかしなことをいうね……君は……)

 ロッドオブエンヴィーは、あくびさえ浮かべながら、いってくるのだ。

(疲れてるんじゃない……? ぼくはずっとそこにいて……君が辿り着くのを待っていたんだけどな……)

「嘘をいうな! そしてこんなときまで念話で済ませてんじゃねえ!」

(怒ってる……? もしかして……)

 彼は嘲笑うでもなく、困ったような反応を見せる。それがセツナの感情をより昂ぶらせ、心を震わせるのだ。脳裏に焼き付いた幾重もの死の光景。喪失の情景。絶望の景色。数え切れない

「そうだよ! 俺は怒ってる! 怒り狂ってるんだよ!」

(どうして……?)

「どうして……だと」

 セツナは、怒りに震える拳を握りしめ、感情の赴くままに踏み込んだ。

「あんなもん見せられて、なにも感じない奴なんていねえってんだよ!」

 全身全霊の雄叫びを上げて、セツナは、ロッドオブエンヴィーに斬りかかった。




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