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第二千三百六十一話 惰眠を貪るもの(四)

 また、失った。

 今度は、ミリュウだ。

 ミリュウが死んだ。戦死だった。敵が強かったのだ。そして、それ以上に彼が無力だった。無力で迂闊だった。彼は、護れるはずの相手を護ることも、助けることもできないまま、その命が失われる瞬間を見届けていた。ミリュウの死は、彼を奮い立たせた。そして敵軍を押し返し、勝利をもぎ取ることができたものの、払った犠牲はあまりにも大きすぎた。

「ファリアに続いて、ミリュウも……」

「師匠……どうして……」

 シーラもエリナも彼を責めなかった。内心ではどう想っているのか、聞かずともわかっている。だれもが彼の責任であることを知っているはずだ。彼が見殺しにしたも同然だ。なぜならば、彼がこの軍勢における最高戦力であり、自軍が成り立っているのは彼があってこそだからだ。当然、戦略も戦術も、彼を中心としたものにならざるをえない。作戦の成功も失敗も彼にかかっている。

(これは……なんだ?)

 彼は、喪失感の中で頭を振った。まるで悪い夢を見ているようだ。

(俺は……いったいなにをしている?)

 取り返しのつかないことをしている。それはわかる。失った命は、二度と戻ってこない。死者を蘇生する力は、召喚武装にはない。ミリュウの擬似魔法でも無理だろう。神の力ならば不可能ではないのかもしれないが、神が彼らに力を貸してくれるはずもない。

 すべての神は、彼らの敵だ。

 彼らに手を差し伸べてくれるものなど、どこにもいないのだ。

 戦い続けるしかない。

 勝ち続けることでしか、未来を勝ち取ることはできない。

(未来……?)

 ファリアのいない未来になんの意味があるのか。

 ミリュウを失ってまで掴み取りたい未来とはなんなのか。

「御主人様……どうか、お気を確かになさってくださいまし」

 レムだけが心の支えになっていた。

 シーラが死に、続いて、エリナまでもが死んだからだ。

 みんな、死んでいく。

 それもこれも、彼の無力さ故にだ。

 なぜならば、この軍勢は、彼ひとりによって成り立っているといっても過言ではなかったからだ。彼だけが、神の軍勢を相手に立ち回ることができたからだ。ほかのだれでもない、魔王の杖の護持者だけが、神々を相手に対等以上の戦いを行うことができる。彼の仲間たちはだれひとりとして、彼と同じように立ち回ることはできないのだ。

 だから、彼に責任がある。

 皆をこの絶望的な戦いに巻き込み、終わりなき闘争の渦へと導いたのはほかならぬ彼なのだ。

 彼が護らなければならなかった。

 彼が、盾となり、矛とならなければならなかった。

 だが、それができなかった。

 自分は所詮、ただの矛に過ぎない。

 矛にできることは、目の前の敵を打ちのめすことだけであり、仲間の全員を守り切ることなど端から無理な話だったのだ。最初から失敗だったのだ。なにもかも、間違いだったのだ。過ちを繰り返しながら、それを認められず、続けてきた結果がこれだ。

 ついにレム以外のすべてを失ってしまった。

 もう取り戻せない。

 なにもかも、この手からこぼれ落ちてしまった。

 約束したのに――。

 だれもが死んでいく戦場の中で、彼は吼えるように泣き、涙がこぼれて、枯れ果てるまで叫び続けた。

 

 ふと気がつくと、闇の世界にいた。

 周囲は、無明の暗黒に閉ざされていて、なにもかもが黒く塗り潰されている。自分が生きているのか死んでいるのかさえわからない。五感は働き、手足も動くことがわかっているのだが、なにも見えず、なにも聞こえないということが感覚を狂わせ、なにが正しくてなにが間違っているのかさえ、判別できなくなっている。ついに自分が死んだのか。そんな考えさえ過ぎる中、彼は頭を振った。

(あれは……夢だ)

 断言し、拳を握る。

 それもただの夢ではない。おそろしいくらいに現実味を帯びた夢であり、その圧倒的なまでの現実感は、彼の記憶の中でも生々しく息づくほどだ。いまも、愛しいひとたちの死を看取ってきた光景が瞼の裏に焼き付いている。涙が涸れ果てるまでに叫び続け、ついには声さえ失ったことも、つい先ほどの出来事のように記憶している。夢と現実の境界とはいかに曖昧なのか。いや、そうではない。ここが地獄だから、そう想うのだ。そう実感してしまうのだ。

 この地獄さえ、虚像によって紡がれた虚構の上に成り立つ夢想の世界に過ぎない。

 地獄にいる以上、夢は、現実に等しい力を持っているのではないか。

 だから、いまも動悸が激しく、息が苦しいくらいの哀しみを抱いているのではないか。

(どうしたの……? さっさとぼくを見つけてくれるんじゃなかったの……)

「なにをした?」

(なにを……? 君は面白いことをいうね……)

 ロッドオブエンヴィーは、くすくすと笑う。

(これは試練だよ……ぼくの手の中にある鍵を奪い取るという……君の試練……)

 脳内に響く彼の言葉を否定することは、セツナにはできない。確かにそうだ。その通りだ。これは試練。それを理解し、納得して扉を潜ったはずだ。あの丘へ辿り着くことが試練だなどと、だれがいった。そう勝手に思い込んだのは、セツナではないか。

(あのお方に逢いに行こうというんだ……この地獄の最終試練を乗り越えるくらいはしてくれないと……ね)

 ロッドオブエンヴィーの声は、そこで途絶えた。あのお方。この地獄の主催者たる存在のことだろう。そしてそれがだれなのか、セツナはもっともよく知っている。黒き矛。カオスブリンガーと名付けた彼が待ち受けている。彼に逢うためにこそ、セツナは地獄に導かれた。

 彼に逢い、その力のすべてを引き出すために。

 それでこそ、ようやくセツナは現世に戻ることが許される。

 黒き矛に秘められた大いなる力、そのすべてを引き出すことができなければ、これから先の戦いには入り込んではいけない。そんな予感がある。いや、予感というよりは確信に近い。

 いまの悪夢がそれを実感させてくれた。

 いま、セツナが持ちうる力では、到底太刀打ちできない未来が待っている。

(あれは……あの夢は、あり得た未来……なのか?)

 それとも、単純に、セツナを追い込むためだけに造られた虚構なのか。

 いずれにせよ、これほど胸糞の悪い夢はなかったし、全身から噴き出したままの汗を拭うこともできず、彼はしばし立ち尽くしていた。夢の余韻がいまも彼の意識を縛っている。皆を失うことの苦しさ、辛さ、痛みを本当の意味で理解してしまった。実感してしまった。

 それは絶望そのものだ。

 拳を握り、意識を変える。絶望に染め上げられた思考を切り替えるのは簡単なことではなかったが、それでも、セツナは武装召喚術を唱えることで、強引に状況を打破した。爆発的な閃光の中に浮かび上がった障害物群の中へと飛び込み、最初と同じように壁を登る。暗黒世界の構造そのものに変化はない。ただ、最初の地点に戻されただけのようだ。

 またあの丘を目指さなければならないらしい。

 そして、丘の上の石棺を開け、夢を見るのだろう。

 その夢をどうにか制することができれば、この試練を乗り越えることができる、ということのようだ。

(おそらくは……だが)

 つまり、ロッドオブエンヴィーが、セツナに自分の居場所を明らかにするかの如き発言をしたのも、ただの一回で悪夢を突破できるとは想ってもいなかったからなのだろう。

 セツナは、壁の上で歯噛みすると、本日何度目かもわからない送還と召喚を行い、閃光の中に浮かび上がったつぎの足場へと飛び移った。

 それを何度も繰り返し、再び黒き丘の裾野へと辿り着く。そこから頂上まではあっという間だ。なんの邪魔も入らない。頂上に到達すれば、あとは石棺をどうするか、だが、彼は、黒い石棺の前で考え込んだ。

 なにをどうすれば、この試練を突破できるのか。

 石棺の蓋を開け、覗き込めば、待っているのはあの悪夢だろう。

(同じとは限らないが……)

 かといって、違うとも言い切れない。

 またあの悪夢を見なければならないというのは、あまりにも辛すぎて、手を伸ばすことさえ億劫になる。大切なひとたちを目の前で殺されていく夢。ただの夢だ。しかし、極めて現実感を帯びたそれは、実際の記憶の如くセツナの脳に刻まれている。

 だから、手が棺に伸びない。

 時間ばかりが過ぎていく。

 黒い石棺の前でただひたすらに考え込むだけの無為な時間の中で、セツナは頭を振り、ついに覚悟を決めた。こんなところで時間を費やしている場合ではない。

 一刻も早く試練を突破し、彼に逢わなければならないのだ。 

 そのためならば、どのような試練だろうと乗り越えると誓ったはずだ。

 約束したはずだ。

 自分自身と。

 石棺の蓋を横にずらし、中を覗き込む。やはり、だれかがいた。今度はだれか。彼は覚悟を決めて、剣を再召喚した。

 閃光が、悪夢を呼び起こす。




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