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第二千三百六十話 惰眠を貪るもの(三)

 目的の丘までは、楽なものだった。

 時折、地形を再確認するための手間が必要だったものの、それも数えるほどでしかなかった。記憶力は、それほど悪くはない。ただ、地形を確認できるのが一瞬に過ぎないこともあり、すべてを完全に把握し、飛び移り続ける困難なのだ。そのため、再確認する必要が出てくる。一歩間違えれば、闇の大地に真っ逆さまだ。

 なぜセツナが壁の上を飛び移って移動しているかといえば、地上には大きな穴から小さな穴まで穴だらけ、罠だらけであり、それらの障害物をすべて回避して移動するには、地上を進むものを罠へと誘導するための壁の上を飛び移っていくほうが遙かに効率的だからだ。壁の上にまで罠が設置されていれば、地上を進んだほうが効率的なのはいうまでもない。しかし、そうではないのだ。地上を移動するのであれば、壁の上よりも余程多くの回数、送還と召喚を繰り返さなければならなかっただろう。

 その点、壁の上は良かった。壁の位置関係さえ確認し、把握していればいいのだ。あとは、勇気を振り絞って、暗黒の闇の中を飛び移っていけばいい。万が一地上に落下したとしても、最初のときのように飛び乗ればいいだけのことではある。

 つまり、丘に至るまでの道中、セツナには一切の問題がなかったということだ。一度たりともつぎの足場への飛び移りに失敗するようなこともなかった。たびたび立ち止まり、送還と召喚を行うという手間がかかったものの、その成果もあり、セツナは怪我ひとつ負うこともなく、丘へと至ったのだ。

(準備運動程度には……なったか)

 とはいえ、ランスオブデザイアの試練からこの試練の間、休息という休息はなかった。あの喪服の女からは試練を突破したことを褒め称えられたりはしたものの、あまりにも心の籠もっていない言葉がセツナの胸に響くはずもなく、特に感慨もないままにつぎの試練を選んだのだ。そして、始まったのがロッドオブエンヴィーの試練だ。つまり、体は温まりきっている。

 丘の裾野に降り立てば、あとはなんの障害もなかった。ここに至るまでの間、何度となく確認してきたことだ。丘の頂点を目指しているのだ。丘に到達したはいいが、待ち受けていた罠に引っかかりました、では、笑い話にもならない。

 漆黒の大地に突如として出現する巨大な丘には、それまでの障害物だらけの地形からは想像もできないほどなにもなかった。壁があるわけでもなく、穴があるわけでもない。なにか飛び出してくるような仕掛けも、落とし穴が仕込まれている様子もないのだ。なにもない。丘の頂まで、まっすぐに進んでいけばいい。そうすれば、ロッドオブエンヴィー自身が認めた目的地に辿り着ける。

 彼の居場所へ。

 セツナは、召喚による発光現象によって丘の地形を再確認すると、その地形が残像となって、闇に沈む視界に浮かんでいる間に丘を駆け上った。召喚武装を手にしていることの身体能力強化は、壁の上を飛び移る際にも大いに役立ったが、丘の頂まで一気に駆け上るのにも一役買った。

 そして、セツナは、丘の頂に到達するとともに黒き剣を送還し、本日何度目かの再召喚を行った。黒剣もここまで酷使されるとは、想像もしていなかっただろう。召喚武装は意思を持つ。そのため、黒き剣の性格次第ではセツナは足止めされる可能性さえあったが、幸いなことに黒き剣の柄からは拒絶反応や悪い感情が流れ込んでくることはなかった。健気なまでに協力的なのだ。

 この黒い剣にも名前をつけるべきなのではないか、と、この試練の間中、ずっと考えていた。命名は、召喚武装と契約者の絆を深める儀式であり、召喚武装の力を引き出す上では必要不可欠なことなのだ。

 とはいえ、いまはじっくり考える時間もなく、セツナは、召喚時に発生した光の中、眼前に浮かび上がった物体を記憶に焼き付けるようにして、目を細めた。それは、黒塗りの長方形の物体であり、見るからにどうにも禍々しく、不吉な印象を抱く形状をしていた。

(棺か……?)

 一目見た限りではそう思えた。そしてそう想うと、それ以外には考えられなくなる。黒い棺。暗黒世界の黒い丘の上に安置されたそれは、どう考えても不穏なものだろう。だが、地獄そのものが不穏な場所なのだから、そんなことで手を止めている場合ではない。

 セツナは、闇の中、手探りでその物体に触れ、その冷ややかさに一瞬驚いたものの、調査を続けた。材質は木ではなく、石のようだ。石棺と呼ばれる種類の棺なのだろう。それを黒く塗っているのか、元々、黒い石材で造られたのかは不明だ。やがて、石棺を覆う蓋との分かれ目を確認する。そこに指を突っ込み、持ち上げてるべく力を入れると、あっさりと持ち上がり、セツナはむしろ困惑した。予想だにしないほどに軽かったからだし、なにかしらの仕掛けが待ち受けているものと身構えていたのが、馬鹿みたいだったからだ。

 セツナは、そのまま石棺の上蓋を横にずらすと、棺の中を覗き込もうとして、動きを止めた。中になにかがいる。石棺の蓋をずらしきった瞬間から、懐かしいにおいが鼻孔をくすぐっていた。なにがどう懐かしいのか、言葉では言い表せないが、とにかく懐かしく、感傷的な気分にさせるにおいだった。

 においは、記憶を呼び覚ますきっかけとなることが多い。記憶とにおいが紐付いているからなのだろうが、セツナは、そのにおいがなんのにおいなのかを思い出した瞬間、はっとなった。脳裏を様々な場面が駆け抜ける。愛おしくも懐かしい、過ぎ去りし日々。いつも彼の隣には彼女がいた。彼女は、花の香りをよく身に纏った。

 つまりそれは、彼女が愛用した香水の薫り――。

 セツナは無言で黒き剣を送還すると、棺の中が見える位置で呪文を唱えた。

「武装召喚」

 武装召喚術が発動すると同時にセツナの全身が発光する。爆発的な発光現象は、その瞬間、セツナの網膜に棺の中身を焼き付ける。

 それは、禍々しい石棺の中で眠るファリア=アスラリアの姿。

 そう認識した瞬間だった。

(ぼくは眠りたいんだ。夢を見たいんだ。あの日々を。あの懐かしく、幸せな日々の夢を……ずっと……ずっと……見ていたいんだよ……)

 声が聞こえて、セツナの意識は、闇に呑まれた。それがロッドオブエンヴィーの試練なのだと悟ったときには、あまりにも遅すぎた。

 彼は、まんまとロッドオブエンヴィーの術中に嵌まったのだ。


 雨が降っていた。

 鉛色の空の下、止むことなく降り続けるのは、悲しみに暮れるひとびとを包み込み、慰めるためなのか。それとも、嘲笑い、痛みを増大させるためか。

 戦いは終わった。戦いが終われば、勝者と敗者が生まれる。だが、勝者がすべてを得られるかというと、そうではない。勝者もまた、必要な犠牲を払って、ようやくのこと、勝利を手にすることができるのだ。なんの犠牲も払わず、代価もなく、勝利し続けるものなどいるわけもない。

 時間、金銭、人員、物資――勝利することができるかどうかは、それらをどれだけ多く支払えたか、効率よく運用できたかによる。

 等価交換。

 勝利には、犠牲がつきものだったし、それはだれもが理解していることだった。幾度も繰り返されてきたことだ。何十という戦場を乗り越えてきた。何百という戦いを繰り返してきた。何千という味方の屍を見、何万という敵の屍を踏み越えてきたのだ。

 彼だって、わかっていた。

 いつかは、そういうときが来てもおかしくはないということくらい、知っていた。

「どうしてよ……! どうして……!」

 慟哭が、雨の音を掻き消すように響く。強く、深く。鼓膜を貫き、心に突き刺さるようにして、染みこんでくる。

「どうして、ファリアが死ななきゃいけないのよ!?」

 ミリュウが叫んだとき、彼は、石棺に収められた女性の亡骸を見つめている自分に気がついた。ファリアは死んだ。先の戦いで、命を落とした。敵が強かったからだ。そして、自分が迂闊だったからだ。それ以外に彼女が命を落とす理由はない。

「セツナがいながら、どうして!?」

 責めるようにこちらを睨むミリュウのまなざしから目を逸らしたとき、失望の音を聞いた。

 なにもかもが壊れ始めていて、それに気づかない振りをしてきた――そのつけがきた。

 すべてを理解したとき、彼は、自分がどうしようもなく愚か者であることを悟り、天を仰いだ。

 どこで、間違ってしまったのだろう。

 雨は、なにも教えてはくれない。

 ただ、彼の目や口に入り込み、流れ落ちていくだけだ。


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