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第二千三百五十六話 大健康診断大会(二)

「それでははりきって、どうぞ!」

(はりきって健康診断ってなんだよ)

 舞台袖の、帳で仕切りられた空間へ向かいながら、セツナは、レムの発言に胸中で毒づくよりほかなかった。舞台にせよ、演出にせよ、なにもかもがこの世界とは相容れないものだと想わざるを得ない。現状にもそぐわない。しかし、だからこそ、必要だと判断し、準備し、強行したのではないか、と想わなくもない。

 世界は、暗い。

 最終戦争以来、この世は、終末へ向かうかのような絶望感と空気感に包まれていた。それは、セツナが現世に帰還して以降、各地を巡る中、肌で感じてきたことだ。実感なのだ。白化症に神人や神獣などの怪物による災害、結晶化問題もある。さらには、“大破壊”の混乱に乗じ、勢力を広げようとするものもあれば、己の国を興そうとするものもいるかもしれない。事実、ザイオン帝国は、“大破壊”によって四つに分かれてしまった。四人の皇帝がそれぞれの主権を主張し、割拠する事態になったのも、“大破壊”が生み出した混沌そのものだろう。

 そんな世界を旅している。

 もちろん、方舟の仲間は、エスクについていきたネミアと、ミリュウが連れてきたといっても過言ではないダルクス以外、気心の知れた連中ばかりだ。エスクなど、再会早々軽口を叩いてはシーラやミリュウに盛大に批判を浴びていた。かつて、《獅子の尾》隊舎や陣中で繰り広げられた光景は、懐かしさを呼び起こさせるとともに心を暖かくした。

 しかし、それでも気が滅入ることもある。

 先の見えない戦いの中に身を置いているのだ。

 ネア・ガンディアを名乗る勢力を相手にどこまで戦えるものかもわからない。

 ふと、自分たちはなにか大きな思い違いをしているのではないか、と考えてしまうこともある。圧倒的な力を持つネア・ガンディアに逆らうのは間違いで、従うべきではないのか、などと、ありもしない妄想を抱くこともあるのだ。

 先行きが不透明であればあるほど、漠然とした不安が募り、膨れあがっていく。

 そういう状況を打破するには、船内の空気を変えるしかない。

 レムは、そんな理由からみずから道化役を買って出ているのではないか。皆を少しでも楽しませ、暗くなりがちな空気を吹き飛ばし、明るく前向きにつぎの任地へ向かうべきだ、と主張しているのではないか。

 そんなレムの健気さに心を打たれながら帳の仕切りを潜り抜けると、白衣の女神が待ち受けていた。

「セツナ=カミヤさん……だね?」

「えーと……」

 セツナは、どこから調達したのかわからない白衣を着込んだ女神の姿に呆気にとられるほかなかった。普段とは様子が違っているのは白衣を着込んでいるからだけではない。白衣を着込み、聴診器のようなものを首にかけていて、さらには診断書のようなものを止めた板を手にしているところを見れば、彼女が医者に仮装していることがわかる。少女染みた容姿の女神だ。どう足掻いたところで仮装にしかならないのだが、女神は、なにやら楽しげにしているため、なにも口に出せなかった。

 マユリは、どうみたところでこのどうしようもなくくだらない、けれども愛情に満ちた催しにノリノリだったのだ。


 レムは、会場に集った乗船員を見回しながら、皆がこの催しについてなにやら話し合ったりしているのを聞いて、内心、安堵していた。だれもが、この健康診断の真意には感づいていない。もちろん、なんの前触れもなく開催された以上、なにかしらの意図があるものとは想っているだろうが、それがどういった意図なのかは神の如き洞察力をもってしても見抜くことは不可能だろう。

 彼女がこの第一回大健康診断大会の開催を思い至ったのは、つい先日、ゲインと話し合ったあとのことだ。ゲインとの話し合いの結果、セツナの体調を確認する必要があるという結論に至ったはいいが、どうすればセツナに気取られず調査できるのか、考えあぐねていた。

 健康状態を確認する事それ自体は、それほど難しいことではない。女神マユリに頼めば、細部までくまなく調べ上げてくれるだろう。それも、人間の医師では不可能な領域まで診てくれるに違いなく、女神の診断結果を聞いていち早く安心したいというのがレムの本音だった。

 セツナは、無理をする人間だ。

 周りの人間に気を遣わせまいと、心配させまいと、強情に振る舞うところがある。それとなく健康診断を受けさせようとしても、受けてくれないかもしれない。また、強引に調べさせれば、彼の不興を買いかねない。別にそれ自体はいいのだが、その結果、ゲインにまで類が及ぶのは避けたいところだ。

 ならば、と、彼女が思い立ったのが、定期検診という名目による乗船員全員を巻き込んだ健康診断大会だったのだ。そのために舞台を用意しのも、マユリの衣装を縫い合わせたのも、レムと彼女の“死神”たちであり、そのためにここのところ、まともに睡眠時間を取っていなかった。

 レムは、眠る必要がない。

 体力も精神力も消耗し、疲労は蓄積するのだが、それによって失われるのは生命力ではなく活動力であり、起き続けることそのものに問題はなかった。ただ、この数日間、起き続けたことの反動は、長時間の睡眠によって埋め合わせなければならず、そのときは、彼女は主に甘えるつもりでいた。その想いが、彼女の覚醒状態を持続させているといってもいい。

「健康診断……ねえ」

 順番待ちのために長椅子に腰を下ろしたミリュウが、“死神”たちの運んできた飲み物に口をつけて、いった。舞台上には、司会進行役のレムだけがいて、ほかの皆は、舞台を見上げるように配置した長椅子に並んで座っている。それぞれの席の前には小卓を配置してあり、そこにレムが“死神”たちに運ばせた飲み物を置いている。“死神”は、戦闘以外の日常においても大いに役立っている。掃除、洗濯、食器運びや舞台作り、裁縫に至るまで、ありとあらゆる分野で力を発揮した。船内農場での肉体労働にも“死神”が駆り出されることは少なくない。

「まあ、いいんじゃない? 自分たちの健康状態を知っておくことは重要よ。自分のことは自分が一番よくわかっている、なんていうのは、自分を一番よくわかっていない人間のいうことだ、って、マリア先生もいっていたし」

「それもそうだけど」

「健康ならそれに越したことはないしな。体調不良だったら、休むのも大事だ」

「うんうん」

 ファリアたちは、それぞれに意見を出し合いながらこの健康診断大会の存在を納得してくれたようであり、レムは、微笑みながらほっとした。

 そして、ちらりと左手の舞台袖を見遣る。帳で仕切られた出張女神診療所内では、いまごろセツナが丸裸にされているはずだった。

 全身、あらゆる部位、すべての箇所をくまなく調べ上げるのが女神の役割であり、マユリはその提案に対し、よくぞいってくれた、といわんばかりに興奮を隠さなかったことを覚えている。

『ふふふ……セツナの細部の細部まで調べ尽くしてくれよう……!』

 などと楽しげに画策している女神の様子を見て、レムは、このような馬鹿騒ぎを企画して間違いではなかったと確信したりもした。

 そんな女神がいまごろどのようにしてセツナの体を隅々まで検診しているのか気にはなったものの、できるだけ考えないようにした。


(まったく、暢気なものだ……)

 彼は、だれひとりいない機関室の空虚な静けさの中、ただひとり、指定位置に鎮座していた。普段、マユリが座している場所だ。この船、ウルクナクト号の心臓とでもいうべき機関室の中でも特に重要な機械の上。マユラにとっても未知の技術によって造られたそれは、神威を吸い取り、この船を動かす力へと変換することのできる代物だった。つまり、彼がその水晶球の嵌め込まれた巨大な機械の上に座っているのは、自身の神威を船に吸わせることにより、船の動力を確保するためだった。

 彼の役割は、それだけではない。機関室は、この船の操縦室でもあり、制御室でもあるのだ。船内のあらゆる機能は、機関室によって制御することができ、乗船員たる人間たちの命を預かっているも同然だった。船内の機能に不備がないか、どこかに障害が発生したりしていないか、機能は無事に働いているか、といったことの確認も、本来ならばマユリの役割であり、いまはそれを彼が肩代わりしているのだ。もっとも、神にとっては造作もないことだ。マユリの背中で眠りながらも、彼女がどうやって船を制御していたのかを覚えてもいた。そのため、船を動かすことそのものは、別段、問題があるわけではない。

 眠っていた彼を叩き起こした半神にこそ、問題がある。

 と、マユラは、ひとり、想うのだ。

 マユラとマユリは、表裏一体の存在だ。どちらかが起きている間は、どちらかは眠っている。それが本来の有り様なのだ。だというのにマユリは、自分の都合を優先して、事もあろうに惰眠を貪るマユラを叩き起こし、役割を押しつけていったのだ。

 これにはさすがのマユラも憤りを覚えずにはいられなかったのだが、彼がそのことに気づいたのは、意識が完全に覚醒してからだったこともあり、彼はその怒りをぶつけることもできず、憮然とするほかなかったのだ。

 だからといって、その怒りをこの船や乗船員にぶつけたところでなんの意味もない。

 方舟を目的地まで安定的に飛ばす以外、いまの彼にできることなどなにもないのだ。

 約束は、すべてに優先する。

 神とはそういう存在であり、マユリがセツナと約束を結んだ以上、その約束を反故にすることなどできるわけもない。それは自己の否定であり、神としての有り様の否定だ。

 絶望を司るマユラですら、約束を踏みにじることなど許されないのだ。

 それ故、彼はただひとり、冷ややかな静寂に包まれた機関室に座り込んでいた。

(退屈な……)

 まだ、眠っているほうがましではないか。

 そう想ったマユラだったが、とはいえ、半神が愉しそうにセツナを弄んでいる様は、溜飲が下がるものではあった。

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