第二千三百五十五話 大健康診断大会(一)
「第一回、ウルクナクト号乗船員全員強制参加、大健康診断大会いいいいいっ!」
機関室の広い空間に突如として反響したのはレムの叫び声であり、同時に高い破裂音が鳴り、両側から煙が噴出したかと想うと、色とりどりの紙吹雪が舞った。その紙吹雪と煙の中心にいるのがレムであり、彼女は、いつも以上のにこやかな笑顔でもって、セツナたちを機関室に迎え入れたのだった。
「司会進行はわたくし、セツナ=カミヤ第一の下僕にして死神レムが担当させて頂きます! それでは出場者の皆様、はりきって、どうぞ!」
「おい」
広間に呼び出されるなり待ち受けていた異常事態とでもいうべき、想像だにしなかった光景に、セツナは、軽く頭痛を覚えかけた。まるでテレビのお笑い番組における演出のような現象およびレムの言動は、まず間違いなく、ミリュウから聞き入れた情報を元に再現したものに違いなく、その再現に協力したのは女神マユリだろう。女神は、希望を司る。レムの希望を叶えることもまた、マユリ神にとっては重要なことなのだ。
それはいいのだが。
「なに、なんなの?」
ファリアが怪訝な顔をすれば、ミリュウもまた、レムの様子を不審がった。
「レム……あなた、ついにどうにかしてしまったの?」
「レムお姉ちゃん?」
「呼ばれて来てみりゃいったいなんなんだよ」
普段ならレムのどんな乗りにも対応できそうなエリナやシーラさえも、ついていけていない。ダルクスも頭を振っていた。
当然、乗船したばかりのネミア=ウィーズなどは、エスクに救いを求めた。
「えーと……ラーゼン?」
「こういう場合は適当に流しておけばいいって教えただろ。このひとら、普通じゃないんだ」
「おいエスク、いまなんつった」
「いえ、なにも」
セツナの問いには何食わぬ顔で即答してくるのがエスクらしいといえば、らしいだろうが。
「健康診断とはまた、なんでございましょう?」
「健康を診断する……ということでしょう?」
「でしょうが……いったい」
ゲインとミレーユのふたりもまた、困り果てたような顔をしていた。
それはそうだろう、と、セツナは、広間に設えられた舞台の中心に立つレムを見つめながら想った。広間の奥側に設置された舞台は、もちろん、マユリ神の作なのだろうが、舞台上部には、大きな横断幕が掲げられており、そこにはレムが発した通りの文言が書き記されていた。つまり、第一回大健康診断大会、と。いったい、ミリュウからどんな情報を聞いてこんなことを思いついたのかはわからないが、協力するほうもするほうだし、提案するレムもレムだ、と想わざるを得ない。
舞台の左右には、帳で仕切られた空間があり、舞台の袖となっているようだ。なにもそこまで作り込まなくても、と、想うのだが、拘るのがレムであり、マユリ神なのだろうということは想像がつく。
「健康診断大会ってなんのことだよ」
「このウルクナクト号には、わたくしをはじめ、様々な方々が乗っておられますね。この船はマユリ様のおかげもあり、外部から攻撃を受けるようなこともなければ、船が墜落する心配もございません。心配なのは、皆様の健康にございます。幸い、ゲイン様のおかげで食事は常に美味しく頂けておりますし、訓練施設のおかげで運動不足に陥ることもありませぬ」
「そもそも鍛えてるからな……」
「しかし、だからといって、安心していいわけではありません。病魔は、いつどこから忍び寄ってくるものかわかったものではないのです。しかも、この船には、残念ながら専属の医師など乗っておりません。故に、定期的に健康診断を行い、皆様の健康状態を確認しておくべきだと判断したのでございます」
「だったら最初からそういえばいいだろ。なんだよ、これ」
「なにごとも、楽しく、面白おかしくやっていくほうがよろしいではありませんか」
「そうか?」
「そうかも?」
シーラの疑問に疑問を浮かべつつうなずいたのはエリナだ。ダルクスは首を傾げたままだが、ゲインは納得顔を見せている。ほかの皆がどう考えているのかはわからないが、セツナは、レムの説明から健康診断の必要性については大いに納得した。確かにそれは重要なことだろう。むしろ、いまに至るまでそういったことに気が回らなかった自分の迂闊さを呪いたくなる。
「……まあ、確かにそのほうがいいかもな」
「さすがは御主人様!」
「船の旅は、いつまで続くかわからないんだ。船に乗っている皆には、常に健康でいてもらいたいし、健康状態に不安があるなら、療養してもらうべきだろう。そのほうが安心できるってもんだ」
「その通りでございます!」
レムが舞台上で大声を上げる。
「セツナがそういうんならいいけど」
「でも、どうやって健康状態を把握するの? マリア先生でもいるなら話は別だけど」
ファリアが不安視すると、どこからともなく声が聞こえてきた。
「ふふふ……わたしの力を甘く診てもらっては困るな……」
「ああ、やっぱりそうなるよな……」
「だれも甘く見てなんていないと想うんだけど……」
「そうよねえ」
ミリュウとファリアが囁き合うのも当然だろう。先ほど聞こえてきたのは女神マユリの声であり、その声は舞台袖の帳で仕切られた場所からのようだった。機関室ではなく、広間にいるという事実に多少の不安を抱いたものの、マユリ神が船の操縦を放置してまでこちらに出張ってくることはありえず、なんらかの方法で船を動かしてくれているのは間違いない。機関室を離れられないというのであれば、健康診断大会とやらの会場を機関室に設定しただろう。しかし、そうではなかったところを考えれば、落下の心配はなさそうだった。
「マユリ様なら、健康状態だって一目瞭然か」
「心の臓の状態まで見切ってくれようぞ」
「なんか物言いが不穏だな、おい」
「心配ないよ、シーラお姉ちゃん」
「そりゃわかってるけどよ」
「うん、まあ、不安はないが」
セツナは、シーラの言に乗っかるようにいいながら、レムに視線を戻した。彼女は、最初から一貫して満面の笑みを浮かべている。司会進行役にはぴったりではあるのかもしれない。
「それで、俺たちはどうすればいいんだ?」
「おひとりずつ順番に、マユリ様の診察室に入って頂き、体の隅々まで診て頂いてくださいまし。そして、皆様全員の健康診断が終われば、健康状態の順位発表を行いたいと想います」
「そんなことまでするのかよ」
「そしてなんと、健康状態最下位の方には豪華賞品が!」
レムが大袈裟に発表するのを聞いて、セツナたちは、なんともいえない顔になった。
「最下位なんだ?」
「そりゃあ健康状態を少しでも良くするための賞品だろうし」
「なるほど」
ミリュウが理解したといわんばかりにうなずくと、レムが、セツナに向かって手を差し伸べるようにしてきた。
「というわけで、まずは御主人様から、どうぞ!」
「俺からかよ。まあ、いいけどさ。当然、おまえも受けるんだよな、レム?」
セツナは、舞台に上がりながら、レムの顔を見て、当然のように問うた。しかしそれは、彼女には予期せぬ質問だったのだろう。レムがめずらしく狼狽した。
「はい……?」
「司会進行だからといって、健康状態の確認を怠っていいわけじゃあねえよな?」
「え、えーと……」
助けを求めるように視線を彷徨わせる彼女だったが、舞台下からはミリュウたちの追い打ちばかりが聞こえてきた。
「レム、あなたまさか、自分だけは健康診断をしないつもりだったわけじゃないでしょうね?」
「そんなわけ、ないわよねえ?」
「お姉ちゃん?」
「レム?」
「……も、もちろんでございます! 船員の健康状態の確認は必須事項でございます故、わたくしも健康診断を受ける手筈にございます!」
渋々、といった様子ではあったものの、そう断言したレムにセツナは安堵した。セツナにしてみれば、この中で一番健康状態を知りたいのはレムだったのだ。レムほど不安定な存在はない。彼女が現在、どのような状態なのか、女神によって直々に診断してもらえるというのなら、それに越したことはなかった。
「それなら、よし」
セツナが告げると、レムは、なんだか納得しきれないといった風な表情のまま、ほっと息を吐いた。