第二千三百五十四話 エスクについて(五)
「しかし、精霊たちも奇妙なことをするものよな」
「奇妙なこと?」
問うと、胸の前で腕組みした女神は、考え込むようにいった。
「エスクよ。おまえは自分の肉体に異変が起きていることに気づいているな?」
「異変……って、たとえば、虚空砲とか、ですか?」
「うむ。おまえが虚空砲と名付けたそれは、元来、人間が持ち得ぬ力だ。それは、おまえも理解していることだろう」
「ええ、まあ……」
エスクがセツナに視線を向けてきたのは、先ほど、ふたりで確認しあったからだろうが。それは確かに女神のいうように、人間が元来持ち得ない力だ。外法によって発現した異能とも違う、魔法の如き技能。
「死にゆくおまえを哀れんだ精霊たちが、その朽ちゆく肉体を再構築するに当たり、おまえの肉体にあるものを仕込んだことが原因だ」
「あるもの……?」
「それってまさか……」
瞬間、セツナが察したのは、女神の発言と、エスクがその意思によって発現してみせた能力からだ。ホーリーシンボルの光輪がなぜ発現したのか、女神の言葉と照らし合わせれば、辻褄が合う。
「そのまさかだよ、セツナ。エスク、おまえの肉体には召喚武装が取り込まれているのだ。エアトーカーとホーリーシンボルのふたつの召喚武装がな」
「嘘だろ!?」
エスクが思わず声を上擦らせるのも無理がなかった。セツナ自身、そこに思い至った瞬間、驚きを禁じ得なかったし、信じられなかった。そして、ホーリーシンボルだけでなく、エアトーカーまでもがエスクの体内に取り込まれているといわれて、はっとする。
「嘘ではない。エアトーカーはおまえの左腕となり、ホーリーシンボルはおまえの背骨となっている。ただし、そのままではないがな。形状も精霊たちの干渉によって大きく変わっているようだ。いずれも、おまえの骨格そのものとなっていると考えていい」
「エアトーカーと、ホーリーシンボルが、俺の骨格に……」
エスクは、愕然とするしかなかっただろう。精霊が肉体を構成しているという事実もそうだが、それ以上の衝撃が新たな真実によって突きつけられている。
「召喚武装を肉体に取り込むなんて、そんなことが本当にできるのか……?」
「実際にできているのだから、それを疑うのは野暮というものだぞ、セツナ。おまえも見ただろう。彼がホーリーシンボルの能力を発現させた様を」
「あ、ああ……その通りだな」
「もっとも、精霊たちが多大な力を持ち合わせてようやくできたことだ。人間の武装召喚師には、不可能だ」
「それを聞いて、少しは安心したよ」
セツナは、マユリ神の断言に胸を撫で下ろすようにいった。実際問題、人間にできたとすれば、とんでもないことになりかねない。複数の召喚武装を取り込んだ人間など、神人を遙かに凌駕する超兵器にだってなり得るからだ。
そして、ラーゼン=ウルクナクトと名乗ったエスクが、なぜ、北方戦線の膠着状態をたったひとりで打破し、東帝国軍の優勢を作り上げることができたのかについて、完璧に近い解答が出たことに気づく。エスクは、ソードケインだけでなく、知らず知らずのうちにエアトーカー、ホーリーシンボルを同時併用していたのだ。つまり、三つの召喚武装の同時併用であり、それは、身体能力や五感の超絶的な強化に直結しており、彼が圧倒的な強さでもって西帝国軍の武装召喚師や将兵を蹴散らせたのは、道理なのだ。
セツナでなければ、彼を止めることはできなかったのではないか。少なくとも、剣武卿シャルロット=モルガーナでも、苦戦を強いられたのはいうまでもない。
「……ホーリーシンボルの能力はわかるとして、だ。エアトーカーはなんなんだ?」
「虚空砲がそれだろう」
とは、マユリ神。左腕にエアトーカーが取り込まれていることからの推察というよりは、確信に近い断言だった。
「そう……か」
エスクは、自分の左腕を見つめ、ついで右手で背骨に触れた。
「エアトーカー……ホーリーシンボル……」
彼は、思い詰めたような表情だった。ホーリーシンボルはレミルがその死の間際まで使っていた召喚武装であり、ドーリンはエアトーカーを死ぬまで離さなかったという。最終戦争が“大破壊”によって終結を迎え、吹き飛ばされ、海に投げ出されたエスクは、そのふたつの召喚武装が散逸してしまったものだと想っていたようだが、どうやら、そうではなかったのだろう。
おそらく、エスクの周辺を漂っていたところを精霊たちが見つけ、エスクの肉体を再構築するための土台として利用したのではないか。
「召喚武装は、異世界の存在。意思を持つ武器、あるいは防具の総称、だったな」
「ああ。それが……?」
「本来であれば、召喚武装の強制使用など、不可能だ。召喚武装には、使用者を選ぶ権利がある。それはそうだろう。召喚されたのは、契約に応じたからだが、契約者以外の存在に対して、力を貸す道理はない」
「そうだな」
「エスクの肉体に取り込まれたといって、ホーリーシンボルやエアトーカーが能力の行使を許すわけもない。ではなぜ、エスクがその能力を駆使できるのか」
「それも精霊のおかげか?」
「いや、違う。ホーリーシンボルの使い手となったレミル=フォークレイ、エアトーカーの使い手となったドーリン=ノーグ。そのふたりは、いずれもエスクの部下だったのだろう? おそらくは、ふたりの想いが、それぞれの召喚武装に伝わっていたのだろう。故に、召喚武装は、エスク、おまえに協力しているのだ」
マユリ神が見つめると、エスクは、はっと顔を上げた。
「そう……だったのか。じゃあ俺はずっと……ずっと、あいつらと一緒に戦っていたっていうことか」
彼は、喜びとも哀しみともつかない表情になった。彼の胸中には、様々な想いが去来していることだろう。ドーリンは、長らく彼の部下であり、彼と軽口を叩き合う間柄だった。弓の名手だった彼の活躍は、よく聞いている。レミルに至っては、エスクにはなくてはならない存在だったのだ。恋仲だったという。彼がもっとも敬愛したラングリード・ザン=シドニアの妹であり、彼が命を賭けてでも護らなければならなかったはずの存在。彼女を失ったことの痛みは、想像するに余りある。セツナが彼の立場ならば、身を切るほどの痛みを覚えたことだろうし、生きる意欲さえ失ったかもしれない。彼のように立ち直れたかどうか。
エスクが立ち直れたのは、紛れもなくネミア=ウィーズを始めとする“雲の門”の構成員たちのおかげだろうが、だからといって、セツナが同じ立場なら同じようになれたかといえば、それは違う。
死に場所を求め彷徨う亡者の如き彼だからこそ、死に損ないながらも生き続けることができたのだ。
「感謝するぜ、精霊さんたち……」
エスクが心を込めて礼を述べると、彼の左腕の辺りがわずかに発光したように見えた。さながら彼の体に宿り、彼の肉体を構築する精霊たちが小躍りしているかのようであり、女神が表情を緩めたところを見ると、どうやらそういうことのようだ。
精霊に対する印象が大きく変わって、セツナは、女神に問うた。
「精霊ってのは、必ずしも人間と似たような姿で顕れるわけじゃあないってことか」
「そういうことだ。精霊は万物に宿る。大地にも大気にも大樹にも、あらゆるものに宿り、いつだって耳を澄ませ、目を開いている。精霊とは、世界そのものといっても過言ではないのだ。つまり、おまえは世界に愛されているということだよ、エスク」
「俺が……? 冗談でしょう」
吃驚するエスクの反応にマユリ神は微笑んだ。
「なにもおまえだけではないから安心したまえ。精霊は、世界を愛している。世界の愛と言い換えてもいい。万物に宿り、万物を等しく愛するのが精霊なのだ。マリアが精霊に導かれたのも、エスクが精霊に命を救われたのも、精霊たちがこの世界の産物たるおまえたちを愛しているからにほかならないのさ」
女神が慈しむような目でエスクを見ると、彼は気恥ずかしそうに目を逸らした。傲岸不遜の塊のような男も、慈愛に満ちた希望の女神の前では、思春期の少年のようになってしまうものらしい。女神は、その外見こそ少女のようだというのに、その内から溢れんばかりの母性には、なにものも敵う気配がなかった。不意にその微笑が消える。
「そういう意味では、おまえはこの世界の精霊に忌み嫌われて当然の存在だな」
女神は、セツナを見つめていた。金色の瞳が冷ややかに輝いている。
「セツナ。異世界の住人よ」
「それをいうなら、あなたもだろう。マユリ様」
「その通りだ」
マユリは肯定すると、静かに続けた。
「精霊にとって、わたしや数多くの皇神たちは、害悪以外のなにものでもない。この世界の秩序を掻き乱し、混乱を招いているのだからな」
「だからこそ、なんとかしなきゃならないんだな」
セツナの言葉に女神は小さくうなずき、目線を上げた。その意味深げなまなざしに気づき、背後を振り向くと、映写光幕に世界図が投影されていた。
“大破壊”によって破壊され尽くした世界の有り様を見れば、精霊たちの悲鳴が聞こえるようだった。