第二千三百四十八話 新たな頼み
六月七日、なんの問題もなく空の旅を終え、帝都シウェルエンドに帰還したセツナたちは、速やかに皇厳宮に案内された。
そのまま待たされることもなく静謐の間に通されたのは、だれもが報告を待ちわびていたからに違いない。静謐の間には、西ザイオン帝国皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンが玉座にあり、その左右を閃武卿ミーティア・アルマァル=ラナシエラ、西ザイオン帝国軍大総督ニーナ・アルグ=ザイオンが固めていた。いずれも公の場に相応しい華麗な装束を身に纏っている。当然のことだが、ニーウェハインは、頭部を覆い隠す仮面を被っていた。
「光武卿ランスロット=ガーランド、セツナ殿とともに北方支援任務を終え、ただいま帰還致しました」
「御苦労。では、本来の任務に戻るが良い」
「御意」
ランスロットは、厳かに首肯すると、横目にセツナを見て、囁いた。
「では、お先に」
彼はそういうなり、玉座に歩み寄ったかと想うと、ミーティアの左隣へと移動した。光武卿の本来の任務とは、皇帝側近であり、皇帝の側を固めるということなのだろう。
セツナは、玉座の遙か手前で畏まったまま、視線に促される形で口を開いた。
「同盟者セツナ=カミヤ。ランスロット卿とともに北方支援任務を終え、無事帰還したことをここに報告致します。そしてこれがその報告書です。どうぞ、お目通しのほどを」
「ふむ……閃武卿」
「はーい」
ミーティアだけは、この厳かな静謐の間の空気とは無縁の軽やかさで返事をすると、足取りさえも軽やかにセツナに向かってくると、彼が差し出した報告書を手に取った。玉座に歩み寄り、ニーウェハインに手渡す。ただし、その一挙手一投足は、礼儀に適ったものだ。
ちなみに、セツナ一行の中で一番ぎこちないのは、エリナであり、それ以外のだれもが緊張はしながらも礼儀に適った挙措動作を取ることができている。ファリアは長らく王立親衛隊の隊長補佐だったし、ミリュウは上流階級の出身だ。シーラは王女で、エスクはそんな王女の王家に仕えていた傭兵団の一員だった。レムも、ジベルの王宮に出入りしていた。ダルクスもどうやら礼儀を叩き込まれているらしい。エリナだけがただの一般市民なのだ。ミリュウから教わった通りの仕草で対応しているものの、見るからに緊張していることがわかるだろう。
ゲインとミレーユ、それに“雲の門”の連中は船の中だ。ゲインとミレーユだけならばともかく、“雲の門”一同を連れてくるのは、さすがに問題だろうということで、船に残ってもらうことにしたのだ。ゲインもミレーユも皇帝陛下に謁見するなど恐れ多い、と船に残ることを選択している。
「ふ……」
報告書に目を通しながら、皇帝は、なにやら驚きを禁じ得ないという様子だった。
「貴公の活躍は、帝国史に残るほどのものだと剣武卿が力説している。剣武卿がここまで絶賛するなど、そうあることではないぞ、セツナ殿」
「そこまで?」
「へえ、シャルロット卿がねえ」
「ほう……」
ミーティア、ランスロット、ニーナの反応は、報告書に記載されているらしいシャルロットの絶賛が極めて珍しいというニーウェハインの言葉を裏付けるものだった。皆、驚き、セツナの活躍に興味津々といった表情を見せている。
「報告書によれば、ニアフェロウの奪還のみならず、ニアズーキ、ニアダールの奪還を瞬く間に成し遂げることができたそうだが、それもこれも、セツナ殿一行のおかげだということだ。さらには北方都市群の安全も確保してくれたということをシャルロットはいたく感謝している。これで北方戦線が騒がしくなるようなことはあるまい」
ニーウェハインは、報告書を読み終えると、手を出して催促しているミーティアに渡した。皇帝側近たる三武卿に見せてもなんの問題もないと判断したのか、その行動に一切の躊躇がなかった。ニーウェハインの側近たちへの信頼の深さが窺い知れる。ミーティアは、報告書を受け取ると、ランスロットにも見えるようにした。
「この戦果を広く知らしめれば、貴公の実力を疑うものは我が帝国には存在しなくなる。今後の戦いも進めやすくなるということだ。実に素晴らしい」
ニーウェハインが悦に浸っていると、隣のニーナが話を先に進めるよう小さく促した。
「陛下……」
「うむ」
皇帝は、思い出したようにうなずくと、こちらを見た。
「セツナ殿。早速で悪いのだが、つぎの任務を受けてもらえるだろうか」
「陛下。わたしに否やはありませんよ」
「違うな。貴公は対等な同盟者だ。拒否権は当然、存在する。内容や状況次第では、拒否してくれてもなんの問題もないのだぞ」
ニーウェハインは、自分とセツナが対等な同盟者であるということを以前と同じように強く主張した。それは彼にとって、あるいは帝国にとって重要なことなのだろう。皇帝の命令を唯々諾々と聞き、指示通りに動く協力者ではなく、命令内容にさえ意見することを許された同盟者。セツナたちとしても、後者のほうがありがたいのは確かだが、本当にそれで問題はないのか、という不安もある。もし、セツナたちが反対したら、どうするのか。
だとしても、東帝国打倒までの協力関係を結んでいる以上、なんの問題はないと判断してのことなのかもしれない。
「ではまず、内容をお聞かせ願いましょうか」
「それもそうだ」
彼は、小さく苦笑した。
「任務というのは、ほかでもない。つい今朝方、南方戦線から救援要請が届いたのだ。なんでも東帝国の大攻勢を受けているらしい。おそらく、北方戦線と呼応して、南方戦線にも本腰を入れたということなのだろうが、当然、我々としても看過はできない。救援部隊をすぐさま編制し、送り込もうとしていたところ、セツナ殿、貴公が戻ってきた」
「なるほど。絶好の機会だったわけですか」
「いまから部隊を編成し、送り込んだとして、どうしても時間差が生まれる。部隊を編成するにも、装備、物資を整えるにも時間が必要だ。現地に移動するには、さらに長い日数がかかる。その点、貴公らには空飛ぶ船がある。方舟ウルクナクト号がな」
「遠方の救援ほど、我々に打って付けの任務はないでしょうね」
セツナは、ニーウェハインが直々に要請してきた理由が少しだけわかった気がした。帝都に帰還して早々の遠方救援任務だ。休む間もなく飛び立たなければならない以上、皇帝みずからが直接願い出たほうが角が立たないと判断したのではないか。いや、ニーウェハインのことだ。そんなことを考えての行動ではないかもしれない。単純に、セツナたちに頼むには、ニーウェハイン自身の口から直接いうほうがいいと想っているだけなのではないか。彼は、そんな風にかつての同一存在を見ていた。
「それで、現在、その救援先はどのような状態なのです?」
「救援に向かって欲しいのは、南東の大都市ビノゾンカナンだ。行ってみてもらえばわかると想うが、巨大な渓谷の間に造られた都市でな。東帝国軍の策によって外部との連絡が絶たれてしまったのだ」
「連絡が絶たれた?」
「ビノゾンカナンは渓谷の間に浮かぶ都市だ。その渓谷が水没してしまったらしい」
「渓谷の水量を調整していた上流の堰を破壊された上、ビノゾンカナンと渓谷を渡していた橋を落とされたようだ。幸い、ビノゾンカナンそのものは水没していないとのことだが、外部に連絡を取る手段がない。救援要請もビノゾンカナンからではなく、ビノゾンカナン近郊の都市から来ている。ビノゾンカナンとは連絡が取れない状態だ」
ニーナの捕捉により、ビノゾンカナンなる都市の窮状が多少、目に浮かんできた。
「連絡手段なんていくらでもあるんじゃないの? 周囲が水没してるなら小舟を出すとか、武装召喚師だっているでしょう? 付近の部隊に飛行能力持ちのひとりくらいいないわけじゃあるまいし」
ミリュウの疑問は、当たり前といえば当たり前の疑問だった。だれもが考えることだ。たとえビノゾンカナンの渓谷が水没したところで、ビノゾンカナンそのものに実害がないのであれば、都市の住民、駐屯部隊は生存しているはずであり、武装召喚師もいるだろう。近郊の都市にだって、配置されているはずだ。それら武装召喚師が力を合わせれば、ビノゾンカナンを救援するのはともかくとして、連絡を取ることくらいは容易なはずだ。
「当然、ビノゾンカナン駐屯部隊も対応しようとしただろうし、周辺都市の部隊からも救援に向かったが、いずれも失敗に終わったのだ。東の連中がビノゾンカナン攻略に本腰を入れているようでな。武装召喚師を飛ばそうものならば確実に撃墜され、ビノゾンカナンに辿り着けないらしいのだ」
「そういうこと……」
「おそらくは、北方戦線における優勢に気をよくした僭帝が南部攻略にも全力を挙げよ、とでも厳命したのだろう。我々としても、北方戦線に注力せざるを得ない以上、南部戦線が手薄になっていると判断されたとしても、なんら不思議ではない」
「ところがどっこい、東が南部戦線に戦力を集中させている間に北部戦線は平定されました、とさ」
「うむ。小気味の良いことだ。あとは、ビノゾンカナンの救援に成功し、南部に集中する敵戦力を撃退してもらえれば、なによりだが」
「もちろん、引き受けますよ、陛下」
「……帰ってきて早々、済まないな。感謝する」
「気遣いなど無用ですよ、陛下。以前にもいったように、帝国の方々の協力に感謝しているのはわたしのほうですから」
セツナは、皇帝という身分にありながら深々と頭を下げてきたニーウェハインの心遣いに胸を打たれながら、そう言い返すので精一杯だった。感謝されるほどのことではない。むしろ、感謝してもしたりないのが、セツナなのだ。
北部戦線においても、エスク=ソーマとの再会を果たせたのだ。しかも、エスクはなんの処罰も下されずに解放され、セツナの支配下に組み込むことが許された。それもこれも、帝国のセツナたちへの配慮のおかげにほかならない。
感謝しなければならないのは、自分のほうだ。
彼はいつだって、そう想い、そう伝えた。