第二千三百四十六話 奇跡
ニアフェロウ到着後、セツナがエスクと再会を果たしたのは、ファリアたちにこってり絞られてからのことであり、そのときのセツナの姿は遠目にもすっかり憔悴しきったようにみえたらしく、エスクは、セツナの身になにかったのではないかと心配したのか、血相を変えて駆け寄ってきた。
「なにがあったんです!? 大将!?」
「……ちょっとな……」
セツナが明確に回答しなかったのは、自業自得の面が多分にあったからにほかならない。もちろん、シルヴィールがセツナに対し、特別な好意を抱いたらしいことについて、セツナが悪いわけもないのだが、それでも、自分の言動の迂闊さが招いた事態であることは間違いない。ファリアたちの機嫌を損ねるのも当然だと、あとになって想ったものだ。これからは言動に注意するべきだろう、と、自分自身に注意した。
「たいしたことじゃないのよ、エスク」
「おう、まったくなんてこったねえから安心しな」
「セツナはいつも通り元気よ。いつも通りね」
ファリア、シーラ、ミリュウの三人がやや冷淡に告げたのを見て、まだ彼女たちが平常心を取り戻していないのではないかと想い、セツナは戦々恐々とした。エスクは、それらの反応が普段とは異なることを認め、きょとんとしたようだ。そして、彼は想ってもいないことをいってのける。
「なんだか剣呑な様子ですが……しかしまあ、相も変わらず美人揃いで羨ましい限りだ」
「最初にいうことがそれなの?」
「褒めてるんですぜ」
「言葉だけはね」
ミリュウが半眼になるのも無理はない。エスクのその言葉には、まったく心が籠もっていなかったからだ。少し離れた場所でこちらの様子を窺っているネミア=ウィードがエスクの発言に反応を示したものの、彼女が深刻に考えるようなことはなにひとつないと駆け寄って教えて上げたいほどだった。エスクが、ファリアたちを美人と想っていないというわけではない。セツナの境遇を羨んでなどいない、ということだ。エスクは、セツナが普段どのような目に遭っているかをよく知っている。
『愛する女はひとりに限りますな』
セツナが酷い目に遭うたびに、彼は他人事のようにいったものだ。とはいえ、彼は、セツナを馬鹿にしているわけでも、嫌悪しているわけでもなかった。むしろ、ファリアたちを毎日相手にするセツナを尊敬さえしているような節があった。
『普通、複数人の女性に平等な愛情を注ぐなんて、できることじゃあありませんぜ』
そんなエスクの昔の発言を思い出したのは、結局はエスクとの無事の再会を喜ぶファリアたちの姿を見ることができたからだ。
ニアフェロウの軍施設内で、エスクは“雲の門”の幹部たちとセツナを待っていた。彼にも知らせることなくニアダールに向かって以来、ほとんど放置状態だったが、シャルロットらの話によれば彼らが問題を起こすようなことは一切なく、おとなしく軍施設内で待ち続けてくれていたらしい。
「でも、本当ではありますよ。皆さんと生きて再会できたことが嬉しいっていうのは」
エスクが改めて、いった。軽薄さの中にも心が籠もっている、そんな響き。
「こんな時代だ。どれだけ強くたって、どれだけ鍛え上げてたって、どこかで野垂れ死んでたっておかしくない。俺だって、あいつらに助けてもらってなけりゃ、死んでたかもしれない」
といって、彼はネミアたちを一瞥した。“雲の門”の荒くれ者たちの中で、数少ない女であるネミアは、エスクに一目見つめられるだけで顔を赤らめた。ネミアがエスクを深く愛していることは、彼女がエスクの仇討ちのためだけにニアフェロウに残ったことからもわかりきっている。そして、エスクもそんな彼女をただ利用したわけではないことは、セツナにはわかる。エスクには、そんな器用なことができるわけがない。
不器用な男なのだ。
不器用で、まっすぐ突き進むことしかできない、そんな男なのだ。
「こうしてまた皆さんと、大将と逢えたことは、奇跡としか思えない」
「まったくだな。俺もそう想うよ」
セツナは、エスクに同意し、室内を見回した。ファリア、ミリュウ、レム、シーラ、エリナ、ダルクス、それにエスクたち。ダルクスと“雲の門”を除けば、かつてのセツナの部下や家臣が揃い始めている。黒獣隊やシドニア戦技隊の隊士たちを再度結集することは不可能に近いかもしれないが、それでも、この壊れかけた世界でこれだけの人員が揃ったことには、素直に感動するしかない。
「……奇跡か」
「本当にその通りでございますね」
「確かにね」
「話を聞く限り、偶然に偶然が積み重なって、だもんな。そりゃあ、奇跡としかいえねえ」
シーラの言葉に実感が籠もっていたのは、セツナたちのザルワーン行きがそもそも予定にはなかったことだという話をあの戦いのあとで知ったからだろう。マユラ神が行動を起こさなければ、セツナたちは、ザルワーンとログナーの戦いを知らぬまま、西帝国領に向かっていたのだ。
「いいことだよね!」
エリナが同意を求めると、ファリアもミリュウも皆、大きくうなずいた。エリナがにこにこと笑顔を浮かべれば、エスクも毒気を抜かれきったような顔をした。
「嬢ちゃんのいうとおりさ。いいことだ。うん。いいこと」
エスクはそういったが、セツナには、彼が自分に言い聞かせているような気がしてならなかった。
その後も、しばし話が弾んだ。再会の喜びは、話をいくらでも盛り上げるものだ。エスクにしても、セツナたちにしても、話しておきたいことが山ほどあったのだ。シーラとエスクの間にも会話があり、ふたりが決してわだかまりを抱いたままではないことを再確認できたのは、セツナとしても喜ばしいことだった。
今後、エスクが船の仲間に加わる以上、ふたりが険悪な状態であってもらっては困るのだ。
無論、そんなことは、“大破壊”以前からわかりきっていたことではあったし、気にも留めていなかったものの、再燃するようなことがないかと、多少の危惧があったのも事実が。その危惧が解消されたことでほっとしたセツナは、ネミアがエスクを心配していることに気づき、そっと話しかけている。エスクと彼女たちの間には、戦友としての信頼こそあれ、恋愛感情など一切ないということを伝えたのだ。ネミアは、それを聞いて少しばかり安堵したようだった。
ネミア率いる“雲の門”も、セツナが預かることになっている。彼女たちの不安も解消してあげなければならなかった。
翌日、セツナたちは、シャルロットから新たな任務を与えられた。
それは、北方都市群の安全が確立されるまでの防衛任務だ。
北方都市群を奪還したからといって、それでなにが変わったかといえば、なにも変わっていないといっても過言ではないのだ。奪還される前の状態に戻した、という程度に過ぎない。であれば、また東帝国軍が戦力を差し向けてくる可能性は皆無ではない。ニアフェロウ、ニアダールと籠城の構えを見せたことから、東帝国軍が後方に援軍を要請していた可能性は極めて高く、撤退した軍勢が援軍と合流し、膨れあがった戦力を頼みに押し寄せてくるかもしれなかった。
北方都市群の安全が確保されるまでは、ニアフェロウに留まる必要があったのだ。
しかし、セツナたちはニアフェロウにただ留まるのでは芸がないと考えた。
方舟を利用し、敵の感知範囲外の高空より敵情視察を行うことで、北方戦線における西帝国軍に対し、多大な貢献を果たさんとした。
なにせ、東帝国本国より北方戦線へ送り込まれる大軍勢でもあれば、それがニアダール、ニアフェロウ、ニアズーキの三都市より撤退した軍勢と合流すれば、北方戦線の戦力比を大きく塗り替えることになり得る。無論、セツナたちが留まり続ける限り、戦力比が東帝国軍に傾くことなどないのだが、西帝国の目標を考えれば、いつまでも北方戦線に留まるわけにもいかないのだ。
北方戦線で小競り合いを繰り返すために、セツナたちが協力しているわけではない。
そして、そのためにも一刻も早く帝都に戻り、つぎの任務を受けなければならないのだが、それにはまず北方戦線の安全を確保しなければならなかった。
故に、セツナたちはウルクナクト号を大いに活用した。まず、敵軍の感知範囲外たる高空から東帝国領に入り込み、国境付近に展開する敵軍の様子の確認をしたことは触れた。それにより、一端東帝国領に撤退した軍勢が国境付近の拠点に留まり、援軍の到来を待ちわびていることが判明した。大戦力を敵国との国境付近に留めておくということは、国境を乗り越え、敵国に攻め込む意図があるということだ。そして、現有戦力では敵わなかったことを理解したものたちが行うこととなれば戦力の増強であり、それこそ援軍との合流以外のなにものでもあるまい。
あるいは、西帝国北方都市群に付け入る隙ができるのを待っているのか。
たとえばセツナたちが帝都に戻れば、それは北方都市群にとって大きな戦力低下を招き、東帝国軍にとっての付け入る隙となりかねない。
「どう見る?」
「都市を奪還された以上、東帝国軍の現有戦力だけで再度侵攻してくるとは考え難いでしょう。なんせ、俺が参戦するまで都市のひとつも落とせなかったんだ。俺が死んで、“雲の門”の連中も死んで、二千人ほどが捕虜となった、となれば、戦いようがありませんぜ」
セツナの質問に、エスクは東帝国軍の内部事情を明らかにした。それにより、東帝国軍北方戦線指揮官イオン=ザイオンが帝都に援軍要請を送っていることが判明し、やはり、東軍の狙いは、援軍との合流後、物量戦を展開することにあるということだ。
ちなみに、エスクことラーゼン=ウルクナクトとニアフェロウに残った“雲の門”幹部たちは、死亡したことになっている。ラーゼン=ウルクナクトはセツナとの戦いの中で落命、ネミアたち“雲の門”幹部は、ニアフェロウでの戦死するか、拘束後処刑された、という処理がなされている。それもこれも、“雲の門”がニアフェロウにいた百名ばかりの組織ではないからであり、ほかの幹部たちや末端を含めた数千人の構成員たちを巻き込まないためだった。もし、ラーゼン=ウルクナクトや“雲の門”幹部が西帝国に降ったということがわかれば、“雲の門”の構成員たちが、東帝国によって処断されかねない。ラーゼンや“雲の門”幹部たちが死んだとなれば、構成員たちを利用することはあっても、命までは奪うまい。
シャルロットがそのように手配してくれたのであり、エスクもネミアたちもシャルロットには頭が上がらないといっていた。感謝してもしたりない、と。
シャルロットとしては、帝国臣民の命をどのような理由があれ無駄にしたくはない、という考えがあってのことなのは間違いないが。
それはともかくとして、国境沿いに展開した東帝国軍による再侵攻の可能性が高いこともあり、セツナたちは、方舟を利用して各地の前線基地を攻撃、東帝国軍をさらに後退させるとともに、さらに後方へ進み、行軍中の援軍にも攻撃を加えた。
それら負傷者を増大させるだけの戦闘には、エスクたちは参加させていない。エスクのソードケインはあまりにも目立つ。少なくとも、この度の戦いには参加させるべきではないと判断した。彼としては、一刻も早くセツナとともに戦いと想っていたようだが。
前線部隊、援軍ともに大量の負傷者を出したことで、東帝国軍は北方都市群への再侵攻を諦めなければならなくなったはずであり、そのことを確認した上で、セツナたちはニアフェロウに戻り、シャルロットに報告した。
シャルロットは、セツナたちの想わぬ活躍に手放しで喜び、北方都市群の安全を確信するに至った。
つまり、セツナたちの北方戦線における役割は終わったというわけだ。