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第二千三百四十二話 兆し(一)

 ニアズーキの軍施設内に入れば、レム、シーラ、エリナ、ダルクスが待っていた。ゲイン=リジュールとミレーユのふたりも一緒だ。ふたりをニアズーキに下ろしたのはマユリ神の判断だが、その判断は正解だっただろう。ミレーユはエリナの側にいさせてあげるべきだし、ゲインは、ファリアたちの食事を用意してもらうために必要不可欠だ。無論、ニアズーキ市内を探せば調理人くらいいくらでもいるのだろうが、部外者の調理人よりは、身内のほうが信用できるのは当然のことだった。それになにより、ゲインの腕前は天下一品であり、セツナたちはだれもが彼の料理を好んだ。

 ゲインをニアズーキに下ろした結果、セツナは、船での移動中、携行食で空腹を満たすしかなかったものの、それ自体は別にたいしたことでも何でもない。むしろ、今日ここで久々にゲインの手料理にありつけられると考えれば、最高の調味料になったのではないか、とさえ思えた。

 皆との再会を喜んだセツナたちは、それぞれの健闘を称え合った。ニアズーキ奪還に関して、ファリアの独壇場となったことについて散々に言及され、レムもシーラもエリナさえも、セツナがファリアを褒め称えるべきだと口上し、ファリアを恥ずかしがらせた。照れるファリアも美人だと、セツナは想ったが、確かに彼女たちのいうとおりなのだろうとも考えた。ファリアの独壇場の活躍ぶりについては、セツナにとっては既知の情報だ。女神マユリから聞いている。

 ニアダール、ニアフェロウの奪還についてはセツナがニアズーキ到着直前、マユリからの腕輪通信によって皆に知らされており、それにより、ミリュウとファリアがセツナを出迎えにきたというわけだ。シーラたちが軍施設を離れなかったのは、ゲインの調理を手伝っていたからだという。シーラとレムは、ゲインから調理の手解きを受けており、ふたりはそのときに限ってゲインのことを師匠と呼んでいた。エリナはその手伝いをしていたようだ。

 そんな話をしている最中、セツナの腹が鳴った。めずらしいことだったが、だれも笑わなかった。セツナが移動中、ろくなものを食べていないことくらい知らないわけがないからだ。

「それじゃあ、お昼にしましょうか。皆も、まだ食べていないのよ」

 ファリアが提案すると、皆、一斉に立ち上がった。セツナたちが話し込んでいたのは、軍施設内の広間であり、そこにはセツナ一行以外、だれも立ち入っては来なかった。一万余名の駐屯軍の兵士たちはどこへ消えたのかと想うほどだ。もちろん、施設内やニアズーキ市内各所の配置についたのだろうが。

「そうなのか?」

「うん。マユリ様から連絡が入ってたからね、待ってたの」

「そうか……そりゃあ気を使わせたな」

「それくらい、いいのよ。皆セツナのこと大好きなんだから」

「……俺だって、そうさ」

 セツナは、泣きたいくらいの気持ちになりながら、ぼそりとつぶやいた。だれかに聞こえるような声ではなかったが、隣を歩くファリアにはきっと聞こえたことだろう。

 さすがに一万余名もの兵員を収容することのできる施設だけあって、食堂も極めて広く、セツナたちだけが一部を借り切ったところでなんの問題もないようだった。無数の食卓と椅子が並び、食卓の上には清潔感に満ちた白布がかぶせてある。匙や肉刺しといった類の食器がそれぞれの食卓に配置されており、その数だけでも膨大な量だった。既に食事中の兵士たちの姿も多い。彼らもまた、セツナとともに方舟に乗ってきただけあり、移動中、まともな食事を取れていないのだ。

 ちなみに、兵士たちの食事は、ゲインたちが調理したものではなく、ニアダールから連れてきた西帝国軍所属の調理人たちが手早く仕上げたものだ。さすがのゲインたちも、一万余名もの兵士たちの分まで用意できるわけもない。

「少なくとも数日前に聞かされていれば、不可能ではありませんがね」

 とは、ゲインの弁。幸い、この施設には大量の食材が残っており、時間と労力さえあれば、一万人分の食事を作ることは決して難しいことではなかったという。それが可能なのは、ゲインほどの腕前と手際の良さがあればこそであり、シーラとレムが全力で手伝ってくれれば、の話のようだが。特にレムは、“死神”を駆使することでひとりで六人分以上の働きができるため、ゲインは極めて重宝していたようだ。

 そうこうするうちに運ばれてき料理はというと、ぐつぐつと煮込んだ汁物であり、ぶつ切りの牛肉と様々な野菜、濃厚な香辛料の香りが鼻孔をくすぐった。ビーフシチューのような料理だ。それを目の当たりにした瞬間から、セツナは腹が鳴るのを抑えられなかった。

 さらにいくつもの料理が運ばれてきて、セツナは、それだけで幸福感に包まれたものだ。シーラやレム、エリナが嬉しそうな顔をしたのは、セツナの反応を見てのことだろう。子供のような反応だったかもしれない。

 食事の必要のないダルクスとマユリ神以外全員揃っての食事となると、三日ぶりくらいだろう。

 セツナは、ゲインたちの愛情のたっぷりこもった手作り料理に舌鼓を打ち、久々にお腹が一杯になるまで食べた。セツナの舌に合わせた濃い味付けの料理の数々は、空腹の極致に達していた彼の味覚を刺激して止まなかったし、皆との食事中の会話は、幸福感を満たして止まなかった。こういう瞬間のために生きている。こういう時間のためだけに戦っているのだ、と実感できる。きっとそうだ。きっと、このとき、この瞬間こそが、セツナの求める幸福なのだ。

 これこそが、幸福の形なのだ。

「やっぱり、ゲインさんは俺のことがよくわかってるよ」

「そうでしょうとも」

 ゲインが満足げにうなずいたのは、彼が《獅子の尾》の専属調理師となってからずっとセツナたちのために料理を提供してきたという自負があるからだろう。《獅子の尾》時代から、彼には、セツナの調理師としての誇りのようなものがあった。そういう想いが、セツナにも伝わってくるから、彼を手放せない。

「帝国の料理がまずいってわけじゃないんだけどさ、味が薄くてな」

 帝国の料理を口にしたのは、船を降りている間のことだ。帝都シウェルエンドでの滞在中などは、一日三食とも帝国料理だったため、セツナは辟易したものだった。ミリュウが横から笑いかけてくる。

「セツナの舌って子供だもんね」

「そうそう。味つけが濃けりゃ旨いと思ってるんだもんな」

「悪かったな、味覚が子供で」

「だれも悪いだなんていってないわよ」

「そうでございます。こちらとしましては、御主人様用の味付けに困らないので、むしろありがたいほどでございますよ?」

「なんか褒められてんのかけなされてんのか、よくわかんねえな」

「レムお姉ちゃんもシーラお姉ちゃんも、お兄ちゃんのために頑張ってたよ?」

「そりゃあ、わかってるよ、エリナ」

 セツナは、エリナの気配りに顔を綻ばせた。調理を手伝っていたエリナには、ゲインとともに調理するふたりの姿が焼き付いているのだろう。その様子が脳裏に浮かぶようだ。レムとシーラが、手を抜くようなことなどあり得ない。しかし。

「そ、そんなに頑張ってねえから!」

「そ、そうでございます。適当でございます!」

 シーラとレムがまったく同じように否定的な発言をしてきて、セツナは面食らった。照れ隠しなのだろうが、それにしても、ほぼ同時にいってくるのはどういうことなのか。

「なんでそこで素直になれないのかしら」

「そこが可愛いところじゃない」

 ファリアがいえば、ミリュウがからかい気味に口を開く。

「ファリアってば余裕ねえ」

「なにがよ」

「ま、今日一日、セツナをたっぷり満喫するといいわよ」

「まだいってる」

 ファリアは呆れてものもいえないといった様子だったが、ミリュウは、むしろ当然のような顔をした。ふたりは、セツナを挟んだ左右にいる。右がファリア、左がミリュウ。定位置だ。ミリュウの左隣には弟子のエリナが座り、ミレーユはさらにその隣だ。セツナの対面の席にはシーラがいて、シーラの右隣がレム、左隣がゲインだ。

「まだもなにも、正式な制度よ。戦功式セツナ独占制度」

「なにその名称」

「だから、正式に決まったの」

「どこでよ」

「あたしの中で」

「……ああ、そう」

 ファリアがなにもかもを諦めたように大きく息を吐いた。

「セツナだっていってたじゃない。いい、って」

「そりゃあそうだけど……本当にいいのかしら」

「俺は構わないよ。それで皆が納得するならな。逆に、だれかひとりでも納得しないなら、なしだ」

「だって」

 ミリュウが嬉しそうにファリアを見れば、彼女は軽く肩を竦めた。

「じゃあ、皆に意見を聞かないと」

「ご飯終わってからね」

「そうね、それがいいわ」

 ファリアは、ミリュウの屈託のない態度になんともいえない顔になりながら、その一言には全面的に同意して見せた。

 食事中にするような話ではないだろう、という気持ちは、わからないではない。


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