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第二千三百四十話 北方平定(五)

 シャルロット=モルガーナがめずらしく早朝に目覚めたのは、室外が騒がしかったからにほかならない。普段ならばまだまだ寝入っている時間帯、外の騒がしさに叩き起こされた彼女は、鏡に映る不機嫌な自分の顔の不細工さに頭を抱えたくなった。寝起きはいつもこれだ。頭の重さが渋面を作らせている。かといって、無理に笑顔を作るのも自分らしくはなく、彼女は苦い顔のまま、手早く服を着替え、部屋を出た。

 部屋を出れば、彼女の直属の部下たちがどうしたらいいものかと頭を抱えている様子が目に入ってきた。シャルロットを起こしていいものか、それとも、起きるのを待っていればいいものか、と悩んでいたのだろう。部下たちは、彼女が無理矢理起こされたときの不機嫌さを知っているのだ。だから、部屋の前でああでもないこうでもないと議論を交わしていたのだろうが、それがまさかシャルロットに不機嫌な目覚めをもたらすことになろうとは想像もしていなかったらしい。そして、シャルロットが部屋の扉を開けたことで、部下たちがこちらに気づき、顔を強ばらせた。

「シャ、シャルロット様!?」

「お、お目覚めになられたのでございますか!?」

「あれだけ騒いでいれば、嫌でも起きよう」

「は……こ、これは失礼を……」

 ディナ=シールムが、恐縮しきったように姿勢を整えると、ほかの二名もそれに習った。シャルロットの直属の部下とは、つまりは、剣武卿の側近であり、その名に恥じない剣術の使い手たちだ。ディナ=シールム、シオン=アッカー、ダリア=ファロン。いずれも剣帝教団で名の知れた剣士たちであり、シャルロットが三臣と呼ばれた時代から、彼女の手足となって働いていた。

「それで、なにがあったのだ。わたしに一刻も早く伝えなければならないような出来事があったのだろう?」

「は、はい。実は、つい先ほど、セツナ様を起こすべく部屋を窺ったのですが、何度呼びかけても返事がないものでして、室内を覗いてみたところ、セツナ様の姿がなく……」

「なんだと!?」

「机の上にこのような書き置きが……」

「貸せ」

 シャルロットは、ディナが差し出した紙片を強引に奪い取り、じっくりと見た。紙片には、大陸共通語で、「ニアダールに行ってくる。セツナ」とだけ書いてあり、彼女は、その文字を読み終えた瞬間、驚愕と衝撃のあまり言葉を失った。

「そ、それでどうしたらいいものかと……」

「シャルロット様にお伺いを立てるべきだといったのは、わたしですよお」

「いやそれ当たり前のことだから」

 シオンとダリアのやり取りを尻目に、恐縮しきりのディナに視線を戻し、シャルロットは紙片を彼女に手渡した。きょとんとする彼女に向かって、静かに告げる。

「セツナ殿のことだ。ニアダールに行くということは、ニアダールの奪還作戦に協力するために赴いたということにほかならないだろう。ならば、なにも心配する必要はない」

 ニアダール奪還作戦は、兵力差的には西帝国軍が東帝国軍を上回っており、負ける可能性は皆無に等しかった。しかし、勝てるかどうかは未知数でもあったのだ。ニアダールは、丘の上の都市であり、丘そのものを要塞化していた。西帝国の北方防衛の要といってもよく、ニアダールが敵の手に落ちている限り、北方に安堵はないといっても過言ではなかった。東帝国軍が籠城に専心すれば、兵力差で多少上回る程度のニアダール奪還軍では、打ち勝つのも困難かもしれない。そして、時間をかければかけるほど、状況は悪くなる。籠城ということは、援軍が期待できるからこそのものであり、ニアフェロウにおいても籠城戦が繰り広げられようとしたことからわかるように、東帝国軍による援軍が北方に向かいつつあるのだ。

 ニアダール奪還にあまり時間をかけてはならない。

 すべての都市の奪還を望むならば、だ。

 シャルロットの戦略は、ニアダールに敵戦力を集めることで手薄となったニアフェロウを真っ先に奪還し、その後、ニアズーキ、ニアダールを攻略していくというものであり、なにもこの度の戦いでニアズーキ、ニアダールまでも奪還してしまおうなどとは考えていなかった。それが可能かもしれないとなったのは、セツナ一行の合流があったからであり、戦略に多少の変更が起こったのもそのためだ。

 どうせなら、ニアズーキ、ニアダールも奪還し、西帝国領北方を平定しておきたいというのはある。それが早ければ早いほど、国にとって喜ばしいことだし、皇帝ニーウェハインも喜んでくれるだろう。

「我々は、セツナ殿の報告を待てばいい。必ずや、成し遂げてくれるはずだ」

 シャルロットは、ニアフェロウの戦いにおけるセツナの活躍を目の当たりにして、彼の実力に関しては一切の不安を感じなくなっていた。それには、彼の外見や声質が彼女の敬愛するニーウェハインそのものだということも大きく影響しているだろう。ニーウェハインがみずからの半身、同一存在と呼んだ彼が、ニーウェハインと同様の精神性の持ち主であることに疑いはない。そして、実力もある。ならば、彼を信じ、待つだけでいい。

 彼は、たったひとりでニアフェロウに籠城した東帝国軍の軍勢を撤退に追い込んだのだ。

 ニアダールは彼の独壇場とはならないにせよ、彼の参戦によってニアダールの奪還は速やかなものとなるに違いない。

 そんな確信が彼女の寝起きの思考を軽くした。


「風の噂で聞いたけど、大将がいないってのは本当なのか?」

「ああ、本当だ。彼はいま、ニアダールに向かっている」

 エスク=ソーマが質問してきたのは、正午過ぎのことだった。

 シャルロットがニアフェロウ基地内を移動している最中のこと、“雲の門”の連中と屯していたエスクが突如として声をかけてきたのだ。広々とした練兵場には、彼ら以外にも、西帝国軍の兵士たちが汗を流している。昨日、戦闘が終わったばかりだというのに、つぎの戦闘に備えることを忘れない西帝国軍将兵の有り様に彼女は満足しながら、エスクの質問に答えた。

「いや、すでについていて、奪還作戦に参加している最中かもしれない」

「……どういうことだよ、まったく」

 エスクが憤慨するのが、シャルロットにはまったく理解できない。

「なにが不満なのだ?」

「そりゃあ不満だろ。再会したばかりの俺を放っていくなんてさ。いくらなんでも哀しいぜ」

「邪魔しちゃあ悪いと想ったんだよ」

「邪魔ってなんの……ああ、まあ、どうも、気を遣わせてしまったようで……」

 エスクがなにかを察したように謝罪したのは、突如話に入ってきた第三者であり、シャルロットはなにものかと視線を向けた瞬間、頭の中が真っ白になるほどの驚きを覚えた。

「って、大将!?」

「セツナ殿!?」

「やあ、戻ってきたよ」

 極めて軽々しい口調で告げてきたのは、だれあろうセツナ=カミヤそのひとであり、彼は、独特な黒い装束を身に纏ったいつもの格好で、話の輪に入っていた。どこからどうやって現れたのか、皆目見当もつかない。音もなければ、気配もなかった。まるで突然現れたようであり、実際にそうなのだろうということは、すぐに想像がつく。

「やあ、じゃないですよ、やあ、じゃ」

「ニアダールに向かったはずじゃあ」

「ニアダールの奪還は完了。ニアダールを占領していた東帝国軍はひとり残らず東帝国領に帰っていったからな。こっちに戻ってきた。一応、西帝国軍の指揮官にも挨拶しておいたけど、だれもかれもあれだな。俺のことを皇帝と見間違えやがる」

 セツナは、そういってひとり大笑いした。そんな様子をシャルロットと側近たち、“雲の門”の連中は茫然と見ているしかなかった。

「ええ……」

「早すぎませんか……いくらなんでも」

「なんだって早いほうがいいさ。特に今回のような戦いなら」

「それはそうですが」

「まあ、それが大将らしさっていや、そうなんですがね……」

 エスクですら呆れてものも言えないというような状況下で、セツナひとりが笑顔を絶やさなかった。

 北方平定は、このようにあっさりとなった。

 ニアズーキが昨日中に奪還したという報せは、午前中に届いており、そのことでニアフェロウが沸き立ったのはいうまでもない。ニアダールの奪還が遅れていることを気にするものもいないではなかったが、それは元より想定内のことであり、ニアズーキまでもの奪還こそが想定外の出来事だったのだ。

 そして、ニアダールの奪還がなった。

 北方の平定がシャルロットが想定していたよりもずっと早く終わったことには、セツナ一行の合流による影響が極めて強かった。

 彼女は、北方平定の殊勲としてセツナの名を挙げ、帝都への報告書にそう記している。

 これで北方の戦いが終わったわけではない。

 東帝国軍優勢の状況を、有利不利のない状況に戻しただけに過ぎないのだ。

 しかし、あのまま、東帝国軍優勢の状況で推移していれば、西帝国軍が押され続けた可能性は低くなく、この戦いは決して無意味なものではなかった。


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