第二百三十三話 先手
アスタル=ラナディース率いる第一軍団が動き出したのは、第三軍団先発隊からの伝令が飛び込んできた直後だ。
バハンダールから北へと走る街道の中程に陣を張っていた第一軍団は、当初の作戦通りの行動に移った。左翼に布陣していた第二軍団が敵陣を西から攻撃するのに合わせ、南から攻撃するのだ。多方向から同時に攻撃することで戦力を分散させようというのが、エイン=ラジャール軍団長が立案した作戦だった。
敵軍の総兵力は、ルウファの目算では千五百以上、斥候の情報でも千五百から二千は硬いということであり、軍議の場では、こちらの総兵力とさほど変わらないだろうという意見が大半を占めていた。そこでエインによって立案されたのが、敵戦力を分断し、各個撃破するというものだった。戦力が同等ならば分断する旨味もなさそうではあるのだが、こちらには《獅子の尾》というとっておきがある、とエインは嬉しそうに話していた。
この作戦の軸になるのは、《獅子の尾》の武装召喚師なのだ。各部隊にひとりずつ配置された武装召喚師が活躍することで、分断した敵戦力の各個撃破も容易になる、というのがエインの考えであり、一見、敵に武装召喚師がいないことを前提とした作戦のように思えた。が、敵に武装召喚師がいた場合も、各部隊にひとりは武装召喚師を配置しているため、対応はできるはずだった。ただ、その場合は、敵部隊の各個撃破という作戦の骨格が失われかねないが。
作戦は、既に始まっている。作戦の第一陣として、セツナが第三軍団の騎馬隊とともに敵陣に突撃しており、その結果、敵軍に二名以上の武装召喚師が存在することが判明していた。武装召喚師はただそれだけで強力な兵器だ。通常、人間が持ちうるはずのない戦闘力を発揮できるのが、武装召喚師なのだ。武装召喚師には物量で当たるか、でなければ、武装召喚師をぶつけるのが正しい。そして、今回は後者以外の選択肢はない。ふたりの武装召喚師。そのうち、ひとりでもセツナが引きつけてくれていればぐっと楽になるのだが、そもそもセツナによる敵部隊の誘引作戦が上手くいくとは思えなかった。
いくら、セツナが黒き矛として有名であり、敵としてはもっとも潰しておきたい相手であったとしても、だ。敵陣に突如として攻撃を加え、去っていくだけというのは、あまりにわかりやすすぎるのではないか。わかりやすすぎるからこそ食いつくのだ、という意見もあったし、罠とわかっていても追いかけないわけにはいかないというのが、黒き矛を前にした敵の心理なのだという考えもあった。確かにセツナを見逃しても、敵軍にはなにもいいことはない。黒き矛の打撃力は凄まじいのだ。放置しておけば、手酷い痛撃を食らうかもしれない。
そう考えるのなら、セツナを囮にしたのはあながち間違いではないのだろう。セツナを追いかけた敵部隊が生還するとは考えにくい。エインの策によって殲滅されるか、セツナの矛によって撃滅されるか。どちらにせよ、全滅は免れ得ない。
ファリア=ベルファリアは、既にオーロラストームを召喚している。巨大な召喚武装を構えたまま馬を操るのは不可能に近く、彼女は、第三軍団の女性兵士が操る馬に乗せてもらっていた。アスタルの部隊は、人数合わせのために第一軍団と第三軍団の混合部隊となっており、第三軍団から入ってきた四百人のうち、二十人ほどが女性兵士だった。
ファリアを乗せた馬は、アスタル軍の最前列に近い位置を走っていた。オーロラストームは射程兵器であり、本来ならば後方からの狙撃に徹するべきなのだろうが、今回ばかりはそうはいかない。敵軍に二名以上の武装召喚師が存在すると判明しており、どちらかひとりがセツナを追跡したのだとしても、ひとりは本陣に残っていると考えるのが普通だろう。黒き矛の撃破を優先するのなら話は別だが。
いずれにせよ、後方から狙撃している内に前線の兵士が敵武装召喚師にやられていた、などということがあってはならない。それに武装召喚師は索敵能力にも優れている。召喚武装を手にしている限り、様々な感覚が強化されるのだ。それは通常人よりも夜目が利くということにほかならず、月明かりや星明かりだけでもほとんど困らなかった。
先頭集団にあって敵陣との距離を測り、敵の動きも見ている。敵軍にも武装召喚師がいる以上、どちらが先に察知できるかは召喚武装の能力にかかっているといっても過言ではない。
突如、東方が紅く染まった。炎が上がったのだ。煌々と燃えているのは、疑いようもなく、街道沿いにあるという小さな森に違いない。ファリアたちの位置からでは森があるのかはわからないのだが、燃え盛る紅蓮の炎の勢いだけはよくわかった。周囲の闇が白むほどの火勢は、エインたちがバハンダールから持ちだした油のおかげだろう。
「エイン隊による策が成功したようですね」
「そうね」
騎馬兵の歓声に相槌を打ちながら、ファリアは少しだけほっとした。東の森が炎上しているということは、敵兵を誘引できたということであり、敵陣に突撃したセツナが無事に脱出できたという証でもあるのだ。無論、セツナが敵に遅れを取るとは思わないし、伝令を走らせる余裕があったのだから、不安になる必要もなかったのだが、万が一ということもある。敵武装召喚師の召喚武装によっては、黒き矛といえども苦戦を強いられることだって十分に有り得る。
これまで、セツナは何度か武装召喚師と戦ったことがある。ランス=ビレインなどと名乗っていたランカイン=ビューネルとの戦いで、彼は死ぬほどの重傷を負って辛くも勝利を手にしている。つぎにウェイン・ベルセイン=テウロスとは二度、交戦しているらしい。一度目はバルサー平原で、二度目はログナーの大地で。どちらも勝利を収めているが、二度目は危うかったようだ。セツナと黒き矛は圧倒的に強いのだが、セツナ自身が成長途上ということもあり、過信してはいけないということを忘れてはいけないのだ。
ファリアの視界が敵陣の先頭集団を捉えている。並ぶのは盾兵であり、組まれているのは堅陣といってもいいだろう。騎馬隊の突撃では打撃を与えることもできそうにはない。突撃すれば盾兵の後方に控えた槍兵や弓兵の餌食になるのは目に見えていた。無理に接近する必要はない。そんなことをすれば、こちらの被害が増えるだけだ。
「騎馬隊の進軍を停止して」
「騎馬隊、進軍停止! 進軍停止!」
騎馬兵はファリアの言葉を復唱すると、馬の手綱をさばき、急停止してみせた。どこか誇らしげな態度で振り向いてくる彼女は黙殺して、ファリアは全周囲に意識を張り巡らせている。後方から、後続の部隊がつぎつぎと近づいてくるのがわかったし、敵陣に大きな変化が生まれたのも把握した。敵陣も東方の森が燃えていることは理解しているようだが、救援の兵は出せまい。南と西から敵軍が迫っていることを理解しているはずだ。
ファリアが停止を命じたのは街道の分岐路を越えて、少し進んだ場所だ。平原であり、夜目が利くのなら、常人であっても敵軍の陣列を見ることができるだろう。弓が届くような距離ではない。そもそも、夜間だ。狙い撃つのは難しい。その点、ファリアの視力はオーロラストームによって保証されている。夜間での狙撃もなんということはない。
「歩兵部隊は前列に展開せよ、最前列には盾兵だ。騎馬隊は右翼に。戦闘が始まれば、迂回し、横腹を突くのだ」
アスタル=ラナディースの声が響くと、騎馬兵の体に電流が走ったようにびくっとした。さすがはログナーの飛翔将軍だとファリアは思った。アスタルの冷厳な声は、ログナー軍人の意識に畏怖するべき対象として染み付いているのかもしれない。
ファリアは馬から飛び降りると、どこか呆気にとられている騎馬兵に礼をいった。
「ここまで運んでくれてありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです!」
互いにぎこちなく敬礼を交わす。騎馬兵は、アスタルの命令通り右翼に向かっていった。ファリアが馬から降りたのもそのためだ。彼女が騎馬隊に混じることに意味はない。馬上、高速で移動しながら狙いをつけるのは至難の業だ。地に足をつけ、しっかりと狙いを定めた方が効果的だろう。
盾兵を最前列にした陣形は、移動中とほとんど変わっていないといっていい。索敵のために先頭を走らせていた騎馬隊を左翼に移動させ、後に続いていた歩兵隊を最前列に押し上げただけだ。当たり前の話だが、接敵直前になって陣を組み替えたわけではない。
ファリアは、盾兵のさらに前に立っている。
半身に構え、異形の弓オーロラストームを右手で掲げ、遥か前方に狙いを定めていく。意識を研ぎ澄ませ、神経を集中させる。敵陣は動き出している。西方に現れた敵部隊と、南方の敵部隊に対応するため、軍を分けようというのかもしれない。エインの作戦は、いまのところ上手くいっているようだ。
問題は、敵武装召喚師の存在だ。
敵武装召喚師が敵陣のどこにいるのかもわからないまま戦闘が始まれば、自軍に無駄な被害を及ぼすことになる。それだけは避けなければならない。戦争は、この戦いで終わるわけではないのだ。
(だったら……!)
ファリアは、オーロラストームの力を解き放った。