第二千三百三十四話 北方戦線(十七)
その夜、ニアズーキの安全が確保されると、市内は東帝国軍の支配から解放された市民によってお祭り騒ぎの如き様相を呈していった。
本来ならば静かで穏やかなはずの街の夜がやかましいくらいの賑わいを見せるのも、東帝国軍に占領されていたことが市民にとって鬱憤の溜まるものだったという証であり、ニアズーキ市民が西帝国の国民として自認していたことの証明でもあり、西帝国皇帝側近たる光武卿ランスロット=ガーランドは自分のことのように嬉しく想った。
ニアズーキを放棄した東帝国軍の軍勢はというと、ニアズーキより遙か東方に陣を敷いており、状況次第ではまた攻め寄せてくる可能性が考えられるとのことであり、警戒を怠ることはできそうになかったし、ランスロットたちはしばらくニアズーキに滞在する必要がありそうだった。
ニアズーキの安全が完全に確保されるためには、まず、ニアズーキに西帝国側の戦力を入れる必要がある。そのためには、ニアダールの奪還がならなければならない。なぜならば、北部戦線の戦力の大半がニアダールに投入され、残る戦力もニアフェロウに割り当てられたからだ。ニアズーキには、ランスロットとファリアたちのたった数名しか、割り当てられていなかったのだ。たった数名の戦力でどうにかできると考え、提案してきたのはセツナたちであり、ランスロットもシャルロットも、端からたった数名でニアズーキをどうにかできると考えたわけではない。
ニアズーキの戦力がニアフェロウに向かわないよう、注意を引きつけておくだけで十分だと考えており、そのため、ニアフェロウに向かう一万のうちの二千あまりをニアズーキに割り当てるつもりでいた。
だが、シャルロットの戦術は、セツナたちの参戦によって変更を余儀なくされることとなる。それこそ、セツナのニアフェロウ奪還作戦への参加であり、セツナ一行によるニアズーキ奪還作戦の提案だった。当初こそニアズーキの奪還には懐疑的だったランスロットも、こうもすんなりと奪還に成功した以上、彼らの戦術眼のほうが遙かに正しかったことは認めざるを得ない。
そして、セツナと協力関係を結んだことに間違いはなかったのだといまさらのように実感する。あのとき、彼の申し出を受けたのは紛れもなく正解だったのだ。そのせいでリグフォードらの帰国が遅れているが、そもそも、セツナと協力関係を結ぶことができなければ、外遊船隊はさらに遠出しなければならず、本土への帰還はさらに遅れていたのだから、メリッラ・ノア号の帰国が遅くなること自体、問題ではなかった。
むしろ、ニーナ率いる本隊の帰国が早まり、北方戦線に対応できたのだから、喜ぶべきだった。
「あたしたちの出番、一切なかったわね」
「ファリア様の独壇場でございます」
「さっすがお姉ちゃんだね!」
「ま、すげえよ、本当にな」
「……ありがと」
ファリアは、彼女を賞賛する女性陣に対し、言葉少なに対応した。ニアズーキ市長主催の祝勝会の会場となった市庁舎の一室。長椅子を寝台代わりに寝転ぶ彼女は、力を使い果たしたように悄然としていた。さすがに数時間以上もの結界の維持は、彼女も力を使い果たすほどの消耗を強いられたようだ。当然の結果であり、ミリュウたちもそんな彼女を気遣い、彼女に飲み物や食事を運んでいっては、追い返されている。
しかし、ランスロットからしてみれば、彼女がその程度の消耗で済んでいることにこそ驚きを禁じ得なかったし、ファリアが武装召喚師としてランスロットとは次元の違う実力者であることを痛感せざるを得なかった。
ニアズーキは、ディヴニアに比較すれば規模の小さな都市だ。しかし、都市は都市なのだ。その都市全体を覆うだけの規模の結界を構築するだけでも簡単なことではないというのに、数時間以上もの長きに渡って維持し続けるなど、だれにもできることではない。想像を絶する修練と研鑽のたまものだろうし、経験の差も凄まじいものがありそうだった。
潜り抜けてきた修羅場の数が違うのだ。
それは、彼女たちの動きを見れば一目瞭然だ。どのような状況にも即座に対応できているのが見て取れる。戦後、西帝国軍によるニアズーキの奪還に沸き立つ市民の声援に対しても、彼女たちは一切動じることがなかった。その点に関しては、ランスロットも同じではあるが、それにしたって、彼女たちは堂に入っている。どれほどの経験を積めば、絵になるほど堂々としていられるのだろうか。
「ひとつ、気になったことがあるのですが、聞いてもよろしいか?」
ランスロットが、尊敬の念を込めながらファリアに問いかけたのは、彼女が幾分体力を回復させ、椅子に座り直してからのことだ。真夜中。解放の祝宴も終わり、だれもが寝静まり始めた頃合い。ミリュウはファリアの膝を枕にして眠り、エリナはシーラの肩に頭を乗せて眠りこけている。シーラはシーラで椅子にもたれかかって眠っていた。ほかに起きているのは、壁にもたれかかって立っているダルクスくらいのものだ。
レムは、ニアズーキにはいなかった。方舟に呼び戻されたのだ。
「なんでしょう?」
「もし仮に東帝国軍が籠城していた場合、どうなさったおつもりで? さすがに同じようには行かなかったでしょう」
「その場合は、まずは敵の戦意を喪失させるつもりでした。ウルクナクト号でニアズーキの直上に降下、ぎりぎりまで接近し、そこから攻撃する。敵の攻撃は、方舟には届きませんからね。それでも駄目なら敵指揮官に狙いを定め、ミリュウたちを送り込むという手も考えていましたわ」
「たった数人で、何千もの敵兵の中へ送り込む……ですか」
「それくらいなら、なんとでもなりますよ。ミリュウたちなら」
「なるほど……信頼しておられるのですな」
「ええ。皆、強いんですよ。わたしくらいには」
「はは……それは心強い」
彼は、ファリアのミリュウに向ける慈母のようなまなざしに見惚れそうになりながら、彼女の発言に瞠目した。ミリュウの弟子であるエリナは置いておくとしても、ミリュウ、レム、シーラ、ダルクスのいずれもがファリアと同等の実力の持ち主だというのが本当ならば、西ザイオン帝国はとんでもない協力者を得たということになる。
「それにマユリ様の加護がありますから。どのような無茶だって可能なんです」
「なるほど……」
女神マユリの力については、方舟を自由自在に飛ばしているという時点で凄まじいものであるということがわかったものの、超高空からニアズーキ市内へとランスロットたち全員を転送して見せたことで、彼は、その力の一端を身をもって理解したといっていい。女神は、造作もなくランスロットたちを目的地へと移送して見せ、その大いなる力の一部を見せたのだ。そこに疑問を差し挟むことなど論外だ。
マユリは、まさしく神そのものであり、その事実を否定することはランスロットにはできない。
そして、女神の加護さえ受けるセツナ一行と同盟を結んだ西帝国の勝利もまた、疑いようがないという事実に彼は目を細めた。
それはなによりも喜ぶべきことだ。
世界崩壊後の帝国領土を包み込んだ大混乱の収束は、だれもが待ち望んでいたことだった。まず立ち上がったのは、ミズガリスだ。しかしミズガリスは帝都ザイアスを抑え、みずからを皇帝と僭称した。そのため、ニーウェはわざわざ皇位継承を宣言し、立ち上がらなければならなくなった。僭称帝ミズガリスハインでは、真なる秩序は生まれ得ないと断じたからだ。もし、ミズガリスが皇帝を僭称しなくとも、ニーウェが国内に秩序を打ち立てるべく立ち上がったことは間違いないだろうが、だとしても、もう少し穏やかな方法を取ることができたはずだ。
僭称帝と東帝国の存在は、帝国領土に余計な混乱の種を撒き散らすこととなったからだ。
東帝国が混乱を鎮め、秩序を形成し始めたのはまだいい。東帝国の急速な拡大と秩序の波及は、平穏を求める国民にとって救いの声となったのは間違いないのだ。その点は、ニーウェハインも認めるところであり、その一点に限っていえば、ミズガリスを評価している。だが、彼が皇帝を名乗り、帝国の支配者たらんとしたという事実が、その唯一に近い評価点を取り下げざるを得なくした。
ニーウェは、先帝シウェルハインの後継者としての自分に誇りを持っていた。
その誇りが彼をして皇位継承を宣言させ、西ザイオン帝国こそ真のザイオン帝国であると公言させたのだ。
ニーウェハインの宣言を聞いて、ミズガリスが皇帝の座より退き、東帝国そのものをニーウェハインに差し出すようなことをランスロットたちが期待したわけではないにせよ、そうなっていれば、南大陸の混乱は収まり、大いなる秩序の元、安寧と平穏に満ちた新たな帝国が築かれただろうことは疑いようもない。
無論、皇帝の座に執着してこその僭称なのはだれのめにも明らかであり、ミズガリスが、皇帝の座を巡って戦争を仕掛けてくることは一目瞭然ではあった。
どちらが正当なる帝国の継承者であるか、闘争をもって決しなければならなくなり、その戦いがすぐさま終わるものではないこともまた、火を見るより明らかだった。事実、闘争が始まってからというもの二年あまり、拮抗状態を維持することで精一杯であり、決着をつける方法を互いに持ち得なかった。
ランスロットは、ファリアたち――セツナ一行にこそ、その可能性を見出し、ひとり得心していた。
そして、いまごろニアフェロウもセツナたちによって奪還されているだろう、と想った。




