第二千三百三十一話 北方戦線(十四)
この度、北方戦線の舞台となったのは、西帝国領北東部の都市群だ。
ラーゼン=ウルクナクト擁する東帝国軍によって真っ先に制圧された、ニアフェロウにニアダール、ニアズーキ、そしてニアサイアンは、いずれもディヴニアと深く関連する都市であり、そのことは、都市の名称からも想像がつく。
最大規模の軍事拠点でもあるディヴニアより伸びた枝葉のような都市たち。
東帝国が西帝国を北部から攻略するにあたり、当面の攻略目標をディヴニアに定めたのは、ディヴニアがそれだけの価値を有する都市だからであり、ディヴニアが北部制圧の橋頭堡になると考えたからに他ならない。そのための手始めが、ニアフェロウ攻略であり、その南北に位置するニアダール、ニアズーキをつぎつぎと落とし、ディヴニアに近づくべくニアサイアンをも制圧せしめたのだから、東帝国軍の意気が上がるのも無理のない話だ。
その勢いに乗じてディヴニアを落とせば、西帝国領北部は制圧したも同然である、と考えたのだとしても、なんら不思議ではないらしい。
「まあ、その東帝国の目論見も、セツナ殿や皆様方のおかげで水の泡の如く弾けて消えるんですがね」
ランスロット=ガーランドは、空飛ぶ船こと方舟ウルクナクト号の機関室の空中に投影された都市を見つめながら、告げた。映写光幕と呼ばれるそれは、この方舟に内蔵された機能のひとつであるらしく、方舟の記録庫内にある資料や情報を映し出したり、方舟の“眼”が捉えた風景を投影することができるものであるらしい。未知の、人知を越えた技術がふんだんに使われた方舟のことだ。空を自在に飛び回ることができるという時点で常識外れなのだから、その内部に複雑怪奇な技術や機能があったとしても、驚くには値しない。
というよりも、ランスロットは、方舟に乗り込み、様々な話を聞く内に方舟のことに関しては深く考えることを放棄していた。考えれば考えるだけ、驚くしかないのだ。その技術がどのようなもので、どういった由来のものなのか、明確な答えを導き出すことは、ランスロットにはできまい。セツナたちですら、方舟の詳細を知らないらしいのだ。
そんなものをよく利用するものだと想わなくはないが、女神の加護を当てにしているのならおかしくはないだろう。
「ニアフェロウは問題ないでしょうね。セツナがいるもの。ニアダールもこちらの戦力が上回っているっていう話だったし……」
「問題はニアズーキでございますね」
「こちらの戦力は、あたしたちだけ。ニアズーキの防衛戦力は?」
「東側が北方戦線に投入した戦力の大半は、ニアダールに集中し、ニアフェロウにもある程度分散していることを考えれば、手薄になっていると見るのが打倒。まあ、だからといってこの人数で正面からぶつかるべきではないのは間違いありませんがね」
ランスロットは、美しい女性たちと作戦会議を開くという幸福感の中で、渋い顔をした。ファリア=アスラリア、ミリュウ=リヴァイア、レム、シーラ、エリナ=カローヌ、ダルクス、それに女神マユリ。大半が女性の占める空間は、とにかく華やいでいるのだ。普段、厳めしい顔の軍人ばかりと顔を突き合わせている彼にしてみれば、セツナが羨ましくなって仕方がなかった。
映写光幕に映し出されたニアズーキは、上空から見下ろしているため、五角形の城壁に囲われた特徴的な都市の形がよくわかる。その五角形の西側には無数の黒点があり、それがどうやら武装した東帝国軍兵士であるらしい。西帝国軍の動きを察知し、鉄壁の布陣を整えたのだろう。実際、正面からぶつかれば、こちらもそれなりの被害を覚悟しなければならないのは、間違いない。東側も、通常戦力だけを投入しているわけではない。多数の武装召喚師がいるはずだ。
「なにも正面からぶつかる必要はないわ」
「なにかいい策でも浮かんだのか? ファリア」
「わたしたちは空を支配しているのよ。戦いは、高所を制したものが有利に進められるもの。そうでしょ」
「まあ、その考えは否定しませんが、しかしですな」
ランスロットは、ファリアの怜悧な横顔を見つめながらいった。
「この高度では、有利不利関係ないのでは?」
確かに彼女のいうことももっともだ。武装召喚師が大量に配備されていない戦場であれば、通常、高所を制した側が戦闘を有利に運ぶことができる。高所の矢はより遠く届き、低所の矢の射程は短くなる。突撃の勢いも増し、逆落としに仕掛ければ、濁流の如く敵を飲み込み、打ち倒すこともできるかもしれない。もちろん、高低差にもよるが。
しかし、現状、ウルクナクト号は、東帝国軍の警戒範囲外であろう遙か上空を旋回している。帝国が誇る優秀な武装召喚師たちの広く繊細な感知範囲の遙か外だ。こちらの攻撃が届くような距離でもない。ましてや、奇襲を仕掛けられるような高度などではなかった。飛び降りれば、いかな武装召喚師といえど、落下の衝撃に耐えきれずその肉体は四散する。
「別にここから攻撃するつもりも、飛び降りるつもりもないわよ。ただの言葉の綾よ」
「言葉の綾ねえ……」
「なによ」
「いくらあたしがログナーで大活躍したからって、無理して頭を使おうなんてしなくていいのよ」
「だれもあなたと張り合おうだなんて想ってないわよ。だれだって思いつくような簡単な策よ」
「ふうん……まあ、いいけど」
ファリアとミリュウというふたりの美女が向かい合って口論する様は、ランスロットにとっては天国のような光景ではあったが、しかし、彼女たちがたったひとりの男の愛人だの寵姫だのとガンディア国民に受け入れられていたことを思い出して、目を細める。やはり、セツナは少しくらい痛い目に遭うべきなのではないか。
「で、そのだれでも思いつくような策ってのはなんだ?」
「わたしたちの目的はニアズーキの奪還であって、東帝国軍の殲滅なんかじゃあないわ。それは、わかるわね?」
「はーい」
声を上げたのは、栗色の髪の可愛らしい少女エリナ=カローヌだ。
「東帝国軍を撃退するにしても、敵に与える損害もできるだけ大きくしたくはない。少なくとも、死者は限りなく少なく、できればひとりとして死なせたくはない」
「そうしていただけると、我々としても非常に嬉しく思いますよ。無論、戦闘行動に移る以上、最優先するべきは皆様方の無事であり、命です。帝国人の人命を優先するあまり、皆様方が命を落とすようなことがあっては、陛下に面目が立ちませんからね」
飽くまで、人命の優先順位を高く設定して欲しいというだけであって、そのためにセツナ一行が無駄に存在を被るような事態は避けるべきだった。それは、西帝国軍そのもの考えでもある。最優先は、西帝国軍の勝利であり、東帝国についたものたちの命は、考慮こそすれ、二の次なのだ。東帝国の人間が自分たちの命を保証して欲しければ、西帝国に投降すればいい。東帝国につきながら、同じ帝国人だからと自分たちの命の保護を訴えるのは、虫が良すぎるというもので、そのことはニーウェハイン以下、西ザイオン帝国のだれもが認識していることだ。
だから、真っ先に降伏勧告を行う。しかし、これまで、一戦も交えずに降伏勧告をしたところで、聞き入れられたことはなかったし、一進一退の攻防を続けている現状、東帝国に属するものたちが西帝国に降る道理もなかった。特に北部戦線は、一時的に東帝国軍が優勢だったのだ。むしろ、西帝国の結束を危ぶむべきだった。
「最良は血を流さず奪還すること。でも、東帝国軍の連中がわたしたちとの戦力差を理解し、ニアズーキを手放すとは考えられないわ。戦って、自分たちが敵う相手ではないということを理解させるしかない」
「まあ、そうなるわよね」
「幸い、敵の大半は街の外に出払っているわ。こちらの動きを察知して、ね。そしてそれこそ、ニアズーキを制圧する好機。そうは想わない?」
「だからどうするのよ?」
中々結論に至らないファリアの説明に、ミリュウが訝しげに眉根を寄せた。すると、ファリアは、傍観者のように鎮座する女神へと視線を向ける。
「お力を貸して頂けますでしょうか、マユリ様」
「なんなりと申すが良い。わたしはおまえたちの希望だ」
美しい少女のような外見の女神は、なぜか満ち足りたような笑顔を浮かべて見せた。