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第二千三百三十話 北方戦線(十三)

 東帝国軍が指揮官命令によってニアフェロウを放棄、戦場から撤退していく光景はさながら潮が引くかのようであり、砂浜に取り残される海草の如く、ニアフェロウに残るものたちがいた。その大半は、セツナが闇人形によって昏倒させた二千人あまりの東帝国兵であり、それら放置された下士官は、セツナが開けた門より雪崩れ込んできた西帝国軍兵士らによって拘束されることとなった。一定以上の階級の士官は、気を失ったままの状態で運び出されたらしいということが、あとになってわかっている。

 セツナとしても、西帝国軍としても、ニアフェロウの奪還こそがこの戦闘の主目的であり、東帝国軍将兵をひとりでも多く掴まえることに固執していなかったため、そのことで落胆するものはひとりとしていなかった。むしろ、セツナが二千名余りをたったひとりで倒しただけでなく、その全員が打撲程度の軽傷と意識を失うくらいで済んでいるという事実にこそ、驚嘆と興奮を隠せなかった。セツナが単騎で飛び込もうとした時点で大袈裟なまでに反対するものもいたのだ。それを成し遂げれば、感激し、賞賛するものも現れるのは当然のことだった。しかも、セツナは、西帝国皇帝ニーウェハインの生き写しの如き姿ということも、西帝国軍将兵の高評価に大きく影響している。

「セツナ殿は、我らが帝国に大いなる秩序をもたらすため、天が遣わしたもうたおかたなのではありませぬか」

「うむ、きっとそうに違いない。なればこそ、陛下と鏡写しの如きお姿をされておられるのだ」

「然り然り。先帝が陛下を正当なる皇位継承者と定められたのも、きっと、天命だったに違いない」

 などと、西帝国軍将校たちがまじめくさった顔で話し合っているのを、セツナは、良すぎる耳で聞き、苦笑するしかなかったものだ。確かに、セツナとニーウェの姿形がそっくりそのままなのは天の配剤といってもいいのかもしれないが、セツナがここにいるのは、自分自身の意思であって、天の意図でもなんでもない。

 とはいえ、彼ら将校の勝手な考えが、西帝国軍全体の士気を高めるというのであれば、彼らが興奮するままに任せるのも悪くはなく、セツナは冷や水を浴びせるようなことはしなかった。

「セツナ殿が天の遣いなどと、勝手なことをいうものもいるようですが、気になさらないで頂きたい。わたしとしても、彼らの気持ちはわからなくはありませんが」

 シャルロットが困ったような穏やかな笑みを浮かべたのは、想定以上の早さでニアフェロウの奪還がなり、両軍の損害が極めて軽微に終わったからに違いない。シャルロットも、ニーウェハイン同様、東帝国軍の将兵だからといって、無闇に殺したくはないのだ。同じ帝国人同士だ。その気持ちは理解できる。

 かつて、ガンディアも内乱によって同国人同士で殺し合ったことがある。あのときの苦しさ、悲しさは、もう二度と味わいたくないものだ。

「それで、彼女が?」

「ああ。“雲の門”頭領だそうだ」

 セツナは、シャルロットの視線を追うようにして、前方に向き直った。

 ニアフェロウ市内では、西帝国軍将兵とニアフェロウ市民が入り乱れ、奪還と戦勝を大いに祝福し、お祭り騒ぎに興じている。ニーウェハイン皇帝陛下万歳。西ザイオン帝国万歳。剣武卿万歳。そんな大音声がまったく聞こえない世界で、セツナとシャルロットたちは、ニアフェロウに囮として取り残された東帝国軍兵士たちと向き合っていた。ニアフェロウ市内東部に設けられた陸軍の軍事拠点、その建物内の一室。厳重に隔離された部屋には、市内の大騒ぎは聞こえてこない。

 極めて冷ややかな静寂が、この狭い室内に横たわっている。

 室内には、セツナとシャルロット、それに軍幹部が二名がいて、向き合っているのは、女ひとりだ。武器を取られた上、厳重に椅子に縛り付けられた女は、鋭いまなざしをこちらに向けていた。気の強そうな、そして腕っ節の強そうな女だった。二十代後半から三十代前半といったところか。その憎悪さえ籠もっているような視線には、まるで西帝国を恨んでいるような節さえある。

 女は、拘束当時、“雲の門”頭領ネミア=ウィーズと名乗っている。

「彼女が本当に“雲の門”頭領なら、願ったり叶ったりですね?」

「本当ならな」

「そりゃいったいどういうことだい? あたしのことを探していたってのかい? なんでまた」

「話を聞きたいのはこっちなんだがな」

 セツナは、憎々しげな女の表情を見つめているのも嫌になり、目を逸らした。美人ではある。が、その美人も、憎悪たっぷりに歪められれば、醜悪にもなるだろう。なぜ彼女がここまで憎しみに満ちた反応を見せるのか、いまいちよくわからない。

 セツナが、ニアフェロウを撤退する東帝国軍を追わなかったのは、撤退するまでの時間稼ぎとして、百名あまりの兵士がニアフェロウに残されたからだ。そして、その囮として取り残されたのが、ネミア=ウィーズ率いる“雲の門”の構成員であり、セツナは、彼らがそう名乗ってくれたことで探し回る手間が省けて喜んだものだった。しかし、本当に彼らが“雲の門”の人間であるかどうかは、セツナには判定のしようがない。

 そのため、部下を含め全員拘束し、シャルロットら西帝国軍の人間に判断を仰ごうとしたのだが。

「彼女が本当に“雲の門”頭領かどうか、そして、同時に拘束した連中が“雲の門”の構成員なのか、知りたいんだが」

「答えたいのはやまやまですが、わたしに聞かれてもわからない、としかいえませんね」

 シャルロットは残念そうに告げてきた。それはそうだろう。彼女は、“雲の門”をおとぎ話の存在としか認識しておらず、エスクと関わりの持つ“雲の門”の連中も、おとぎ話を元にそう名乗っているだけと考えているのだ。そんな彼女が“雲の門”頭領の顔を知っているはずはない。

「なるほど。だから、彼を?」

「まあ、そういうこった」

「だからいったいなんなんだい? あたしは“雲の門”頭領ネミア=ウィーズ! ほかの連中に聞いてみなよ、皆そう答えるだろうさ」

 女は叫び、睨み付けてくるが、セツナは涼しい顔で受け止めた。その激しい怒りと憎しみに満ちたまなざしには、彼女が大切なものを奪われたからこそのものだろう。この戦いでの東帝国軍の戦死者は皆無ではない。死者を限りなく減らすのが西帝国軍の目標ではあるのだが、勝つためには、多少の犠牲はやむを得ないのだ。その犠牲の中に、女の大切なひとがいたとして、なんの不思議があるのか。

「といっていますが、彼らが口裏を合わせている可能性もあります」

「だから、彼に聞くのさ」

 軍幹部のひとりの冷徹な判断に対し、セツナはそういって部屋の扉を見遣った。ちょうど、扉が外から開けられるところだった。そして、開いた扉の外から強引に押し込まれる人影がひとつ。

「いったいなんだ? こちとら怪我人なんだぞ。もう少し丁重に扱ってくれてもいいだろ。そりゃあ確かにあんたらと敵対してはいたけどだな……って、大将」

 黒髪の美丈夫だ。多少痩せているように見えなくはないが、セツナのよく知る人物だった。エスク=ソーマ。捕縛後、全身の鎧兜を剥ぎ取られた彼は、素顔を曝していたのだ。しかし、セツナは、彼の偽名を用いた。

「やあ、ラーゼン=ウルクナクト君。調子はどうだい」

「最悪の気分だぜ、あんたがぶん殴ってくれたおかげで冥府の縁を彷徨っていたんだからな」

 そう言い返してきてから、包帯を巻き、首から吊した左腕を見せつけてくる。虚空砲を封じるために折った腕には、治癒能力を持つ召喚武装を使わせていなかった。そんなことをすれば、彼が暴れ出しかねない。ソードケインはセツナが取り上げていればいいが、原理不明の虚空砲は、腕を折ることで封印するしかないのだ。

「そうか。ついでに地獄巡りでもしてくりゃよかったんじゃないか」

「なんか、すっごく険のある言い方だ……」

「で、ラーゼン=ウルクナクト。彼女が“雲の門”頭領を自称しているんだが、君の意見を聞こうじゃないか」

 セツナは、なぜかうなだれるエスクの視線を椅子に縛り付けた女へと促した。すると、彼は一変、驚愕の顔をする。

「え? あ……」

「ラーゼン……!?」

 女も女だ。さっきまでの憎悪に満ち、歪みきった顔がまるで変わる。信じられないものでも見たかのような顔だった。

「あんた、生きていたのかい!?」

「ああ……? この通り、生きてるよ。腕を折られ、意識不明の重体に陥ってたけどさ」

 などとこちらを一瞥してきたまなざしには、多少の恨みが籠もっているように見えなくもなかった。彼がなにをいいたいのかわからないではない。問答無用で腕を折り、なおかつ昏倒させてくるような相手には、なにかいいたくもあるだろう。

「ははっ……じゃ、じゃあ、あんたが西の連中に殺されたってのは、イオン様の、いや、イオンの嘘だったってのかい……」

「あん……?」

「イオンの野郎、あんたが戦死したから、あたしたちを庇護する理由はなくなったとかいいやがったのさ。だから、あたしたちは全軍が撤退するまでの時間稼ぎの囮として、ここに残された。ま、あたしとしても、あんたの敵を討ちたかったから、ここに残って、あんたを殺した奴を探し出す算段だったんだけどね」

 彼女の説明によって、彼女がなぜセツナたちをああまで憎悪に満ちたまなざしを向けていたのか、合点がいった。彼女にとっては、西帝国軍はラーゼン=ウルクナクトの敵だったのだ。憎むべき敵と対面すれば、いまにも殺しかからんばかりの表情にもなろう。

「イオンの野郎……」

「あんたが生きてて、こうして再会できたんだ。いまは、イオンの采配に感謝しているよ。一緒に連れ帰られてたりしたら、あんたに逢えなくなったかもしれないだろ?」

 女の表情、声音は、ひどく落ち着いたものになっていた。拍子抜けするくらいの変わりっぷりだが、それが彼女とラーゼン=ウルクナクトの関係性の一端を示していて、セツナは安堵を覚えた。だからこそ、エスクは、“雲の門”の連中を見放せなかったのだ。

「それはないさ」

「なんでだい?」

「うちの大将は、義理堅いからな」

「大将?」

「それについてはおいおい話そう」

 きょとんとして、話についていけていない様子のネミアに対し、エスクは優しい微笑みを投げかけた。そして、彼がセツナに視線を向ける。

「ってえことだ、大将。彼女が俺の命の恩人である“雲の門”の頭領で間違いない。拘束を解いてやって欲しいんだが」

「彼女がこちらに危害を加えない保証は?」

「ネミアの話、聞いてたらわかると想うけどなあ」

「保証なら俺がしよう。“雲の門”の連中がなにかこちらにとって不利益を働いたなら、俺が責任を取る」

「大将……さっすがだぜ」

「セツナ殿がそこまで仰るのなら」

 シャルロットは、そこで食い下がることなくうなずくと、部下に命じてネミアを縛り付けていた椅子から解放した。椅子から解放されたネミアは、すぐさま立ち上がってエスクに抱きつくと、エスクも彼女を優しく抱擁した。ふたりの関係の深さをその一瞬で理解したセツナだったが、エスクの表情を見る限り、ネミアには感謝しかなかった。

 おそらく、ネミアがいなければ、エスクは亡者のままに野垂れ死んでいただろう。

 彼は、死に場所を求め彷徨う亡者に過ぎない。

 それが、死に場所を見失ったのは、ネミアのような彼の心に触れることのできる存在のおかげなのだ。

 エスクとこうして再会できたのも、ネミアたち“雲の門”のおかげということだ。




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