第二千三百二十七話 北方戦線(十)
「武装召喚」
本来ならば武装召喚術の長大な呪文を締めくくり、術式の完成を明示する結語は、セツナにとっては武装召喚術のすべてといっていい代物だった。その四字こそが、セツナの武装召喚術なのだ。生粋の武装召喚師たちには、卑怯だのなんだのといわれるが、こればかりは致し方がない。そして、だからこそ、セツナとクオンはこの世界において特別であり、強くなりうるのだ。
たとえ、最初に召喚したのが黒き矛でなかったとしても、術式を必要としない武装召喚術が使えるという時点で、セツナが並の武装召喚師たり得なかったのは間違いあるまい。無論、黒き矛だからこそ、いまの自分があるのは紛れもない事実であり、ほかの召喚武装だったならば、まったく異なる人生を歩んでいただろう。
その場合は、ニーウェに敗れ、合一によって取り込まれるのが関の山だったのではないか。
ふと、召喚の最中にそのようなことを想ったのは、ここが帝国領土で、ニーウェの依頼によって戦場に立っているからに違いない。ニーウェがセツナを頼るのも、同一存在のよしみといってよく、故にセツナもそのことについて考えざるを得ない。
セツナがニーウェに取り込まれていれば、ニーウェは、どのような人生を送っただろうか。
黒き矛の力をも取り込んだエッジオブサーストとともに、最終戦争を勝利に導いたのではないか。
セツナはクオンに敗れたが、セツナを取り込んだニーウェならば、勝てたかもしれない。
そんな益体もないことを思い浮かべて、苦笑する。視界がたわむ。虚空砲の衝撃波が迫ってきているのだ。翅で大気を叩き、上空へ。それを待っていましたとばかりに降り注いでくる光刃をカオスブリンガーで打ち砕き、左手に召喚したロッドオブエンヴィーを掲げる。杖の先端の髑髏から溢れ出る闇の奔流が巨大な異形の手を構築した。
ロッドオブエンヴィーの能力”闇撫”だ。
再び、虚空砲。今度は左に流れるようにして回避し、立て続けの斬撃はロッドオブエンヴィーの手で受け、握りしめる。光の刃は、破壊してもすぐさま新たに伸びてくるだけだ。ならば、壊さず、受け止めてしまえばいい。ラーゼンの舌打ちが聞こえた。光の刃が消える。虚空砲。右にかわしつつ、接近する。またしても光刃による、突き。これも”闇撫”で掴み取れば、相手も瞬時に光刃を消す。接近。肉薄。虚空砲。下へ潜るように回避すれば、ラーゼンは眼前だ。ラーゼンが飛び退き様に虚空砲と斬撃を同時に繰り出してくるが、そのときには”闇撫”が彼の左側面に回り込み、人差し指と親指で左腕を掴んでいた。巨大な手による優しい掴み方。だが、実際には凄まじい圧が加わったのだろう。彼の左腕が異様な方向にねじ曲がると、苦痛に満ちた咆哮が響いた。
「ぐああああっ!」
ラーゼンが身を捩った隙を逃さず、セツナは、彼の懐に飛び込むと、右手からソードケインの柄を叩き落とした。その勢いのまま、ラーゼンを地面に押さえ込む。”闇撫”と地面でラーゼンを挟み込み、身動きひとつ取れなくする。
「俺の勝ちだな、ラーゼン=ウルクナクト」
「ぐ……やっぱり卑怯だな、あんた……」
呼吸が荒いのは、苦痛に耐えているせいだ。彼の左腕は、紛れもなく折れていた。”闇撫”で軽く掴んだだけではあるが、折ろうとしなかったわけではない。虚空砲を封じるためには、折るのが一番だと考えた末の行動だった。エスクを殺したくはなかったし、傷つけたくもなかったが、彼が話し合いに応じてくれない以上、ある程度の負傷は仕方がないと割り切った。まずは、彼が話し合いに応じてくれる状況を作らなければならない。
それにはどうすればいいか。
彼が対抗する手段を奪い尽くす以外にはない。
それがいまの状況だ。虚空砲を使用不能にし、ソードケインを手放させ、体を押さえ付けた。この状況では、さらに奥の手を用意していない限り、彼にはどうしようもあるまい。
「おまえがいえたことかよ」
セツナは、ラーゼンの苦悶に満ちた声に眉を潜めながらも、呆れる想いがした。セツナは、危うく死にかけている。虚空砲の痛みは、いまも胸に残っていた。
「虚空砲ってなんだよ。ホーリーシンボルまで使いやがって」
「はっ、あんたよりゃあましだろ。とんでもねえ召喚武装ばっか簡単に召喚しやがってさ。そんな調子だから、ファリア殿もミリュウ殿も面目が立たねえってんで怒ってんだろ」
「まあな」
セツナは否定せず苦笑した。つい最近、最高の武装召喚師といわれたことで、ふたりの武装召喚師に詰られたばかりだった。
「……ってことは、無事なのか? あのふたり」
「あのふたりだけじゃない。レムも、シーラも、エリナもいる」
「そうか……レム殿に姫さんも生きてたか……良かった」
兜から漏れ聞こえる声には、安堵が満ちていた。彼が心底皆の無事を喜んでくれていることがわかって、セツナは嬉しくてたまらなかった。
「俺はおまえが生きていてくれて、嬉しかったよ」
「そのわりには、容赦なさ過ぎっしょ。腕の骨、折れてるんですけど」
「折らなきゃ、いまここで撃たれてるだろ」
「それは否定できない……」
エスクの性懲りもない一言に、セツナは肩を竦めるほかなかった。
「否定しろよ」
「いやあ、それは無理ってもんで」
「なんだ? なにが理由だ。どんな弱みを握られてる?」
「弱みっていうかね」
彼は身じろぎしようとして、諦めた。”闇撫”に胴体を押さえ付けられた上、セツナにのしかかられてはどうしようもないと判断したのだろう。セツナとしては、一刻も早く彼を解放してやりたかったし、治療も受けさせてやりたかった。しかし、そのためには、彼がこちらに降ることを認めなければならない。
「放っておけない連中がいるんですよ。とても気のいい連中でね。俺が今日こうして大将と再会できたのは、全部あいつらのおかげなんすよ。だから、帝国を裏切るわけにはいかねえ。たとえ大将を殺すことになっても……」
「……だから、降ることもできないってことだな」
西帝国に降れば、エスクのいう気のいい連中の命の保証はないのだろう。殺されるか、殺されずとも、酷い扱いを受けるに違いない。だから、彼は東帝国に従っている。すべてが腑に落ちた。死に場所を求め続けていた彼がなぜ生を諦めずに今日まで生きてこられたのか。なぜ、東帝国の一員として戦っているのか。
死に場所を求める亡者に過ぎない彼だが、同時に情に脆く、情に厚いという側面も併せ持っている。彼がセツナに臣従したのも、そういった一面があったからにほかならない。彼がただの戦死志願者ならば、セツナに臣従することなどなかったのだ。セツナの忠誠を誓い、ともに戦い続ける道を選んだのは、情誼的な理由以外のなにものでもない。
「その連中はどんな連中で、どこにいる?」
「“雲の門”っていう義賊ですよ。いまはニアフェロウの都市内で後方支援に従事しているはずです。指揮官が俺との約束を破らなければ、ですが……まあ、その点では心配いらないでしょう」
そこまでいってから、彼は驚いたような声を上げた。
「……ってまさか、連中を東帝国軍から解放してくれるってんですか?」
「当たり前だろ」
「はい?」
「俺にはおまえが必要なんだよ、エスク」
セツナが告げると、彼は言葉を飲み込んだようだった。セツナにとって、エスクは忠誠を誓ってくれた家臣であるとともに大切な身内のひとりであり、槍術の師匠だった。長柄武器の扱いが上手くなったのは、エスクによる猛特訓のおかげだ。
最初の師匠ルクスは、体術や剣術、基礎的な戦い方を教えてくれたのであって、長柄武器の使い方を教えてはくれなかったのだ。それは当然のことで、セツナも理解した上でルクスを師事した。ルクスには、矛の使い方よりも、基本的な戦い方、召喚武装使いとしての有り様を学ぶために師事したのだから、問題はない。
師匠として、エスクからはまだまだ学ぶべきことがある気がしてならなかったし、なにより身内だった。半ば家族のようなものだ。彼がどう想っているかは知らないが、セツナはそう想っている。
戦力としても、彼が一線級なのは、この度の戦いでわかった。ソードケインと虚空砲があれば、神人をも圧倒しうるだろう。
「そのエスクに必要なのが、“雲の門”って連中なんだろ? だったら、考えるまでもないだろ」
「でも……」
「それに、西帝国皇帝ニーウェハイン閣下は、できるだけ人死にを少なくして、東帝国に勝利したいとお考えなのだよ。現在は東帝国に仕えようとも、かつては旧帝国の国民であり、西帝国が大陸を統一した暁には、その国民になるのだから、ってな」
「なるほど。雲の連中が東帝国についていたことも、罪に問われませんかな」
「“雲の門”って連中がどんな奴らかは知らないが、要するにおまえをこき使うための人質だったんだろ? なら、なにを罪に問うってんだ。ニーウェがそんなことを言い出したら、俺が文句をいってやる」
「はっ、そんなこといっていいんですかねえ……帝国皇帝でしょ? 相手は」
「対等な同盟者だよ」
「はあ?」
エスクは素っ頓狂な声を上げた。さすがに、そういった回答は想定していなかったのだろう。
「まじですか」
「まじだ」
「うへえ……」
エスクの反応は、セツナの置かれている状況を想像してのものだろう。セツナがなぜ、西帝国皇帝と対等の同盟関係を結べたのか、いくら想像しても考えられるものではあるまい。帝国における皇帝という存在の立ち位置、有り様を理解しているのであれば、なおさらだ。
「あとは、その“雲の門”の連中を解放するまでのおまえの処遇だな」
「はい?」
「投降すりゃ、“雲の門”の連中がどうなるかわかったもんじゃないもんな」
「ええ、まあ……」
「なら、仕方がないよな?」
「なにを考えてるんです?」
「ここは、しばらく気を失ってもらうしかないぜ」
「なに笑ってるんですかね、うちの大将は」
「別に虚空砲の恨みとかじゃねえから」
セツナは、にこやかに告げた。極めて晴れやかな気分なのは、なぜなのか。これはセツナにもわからなかった。
「あ、恨んでる顔だ」
「眠れ、エスク」
「悪魔だ――」
エスクの悲鳴染みた声を聞き流しながら、セツナは、彼の鳩尾に重い一撃を叩き込み、




