第二千三百二十四話 北方戦線(七)
『ひとつだけ、君にお願いしたいことがある』
鍔元に光が閃くと、さながら一条の光線となってセツナの眼前へと迫ったそれは、しかし、彼に触れることはできなかった。メイルオブドーターの翅が半ば自動的にセツナの前方に展開し、光の刃を弾いたのだ。だが、弾かれた光の刃は、それだけで力を失ったわけではなく、まるで意思を持つ生き物のようにうねりながら伸長し、別角度からセツナに肉薄する。
セツナは、そのラーゼン=ウルクナクトによる牽制攻撃をメイルオブドーターの翅による自動防御に任せながら、ニアフェロウの東帝国軍の陣容に意識を向けた。およそ一万程度の将兵が強固な防御陣形を築いており、その前線部隊がセツナに対応するべく動き出している。もちろん、こちらもセツナひとりではない。
セツナの後方に着陸した方舟から、剣武卿シャルロット=モルガーナ率いる戦闘部隊一万余名が出撃しつつある。セツナは、ニアフェロウの奪還にそれほどの戦力は不要だといったのだが、シャルロットは、セツナひとりに任せるわけにはいかないということから、一万余名の随行に拘った。いくら同盟者とはいえ、その同盟者だけを頼りにニアフェロウの奪還を成せば、西帝国の評判にかかわる。それだけならばまだしも、剣武卿の評判は、そのまま西帝国皇帝の評判に直結するということもある。
その戦闘部隊一万余名は、全員、方舟に収容できたのだが、それもこれも女神マユリの御業だった。ウルクナクト号は、とてつもなく巨大な飛行船であり、収容人数も膨大だ。五千人程度ならば楽々と乗せられる。しかし、一万人ともなればぎゅうぎゅうに詰め込んだとしても無理だった。そこを可能にしたのが、マユリ神の御業なのだ。女神は、方舟の内部空間を歪め、収容可能人数の増大に成功させた。そのおかげで、一万余名もの戦闘部隊を方舟で運ぶことができたのだ。
その一万余名が剣武卿に率いられて戦場に展開するのを待ちながら、セツナは、考える。どうやって、戦うか。
勝つだけならば、簡単なことだ。黒き矛と眷属の力で圧倒すればいい。大半が一般人ということを考えれば、彼らはろくに反撃もできずに命を落とすだろう。だからこそ、セツナは、ラーゼン=ウルクナクトのソードケインを捌きながら、考えなければならない。
先ほど、脳裏に過ぎったのは、西ザイオン帝国皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンが出発間際、セツナとふたりきりになったときに発した言葉だった。
『陛下が俺に?』
『君の実力に関しては、俺が疑うことはなにもない。黒き矛に選ばれ、すべての眷属を手中に収めた君のことだ。あれから、随分と鍛え上げたんだろう。俺にはわかる。この異界化した半身が疼くのさ』
彼が右腕を軽く掲げたものだ。エッジオブサーストの能力によって変容した半身には、なにか感じ取れるものがあるということだろう。そもそも、彼はエッジオブサーストを通して、黒き矛がどれほどの力を持っているのかを知っていた節がある。様々な眷属を下し、力を取り込んできた彼のことだ。エッジオブサーストの本願は、彼の本願でもあった。黒き矛を下し、その力を得ることにより、ニーウェは限りなく強くなれるものだと信じていた。
『君は、限りなく強い、とね』
『そういってもらえるのは嬉しい限りだけど……な』
『上を見ればきりがないって話なら、いまはどうでもいいことだ』
『……ああ。まったくその通りだ』
セツナは、嘆息した。実際問題、いまこの瞬間、より強大な力を持つ神々の話などしたところで意味がない。大切なのは、ニーウェの話だった。
『お願いっていうのは、その君の戦闘力に直結することなんだ』
『ん?』
『できれば、あまり殺さないで欲しい』
『そういうこと……』
『東帝国の将兵も武装召喚師たちも、君に手も足も出ない相手だ。帝国の軍人や武装召喚師が弱いわけじゃなくてね。君と比較すれば、だれだってそうならざるを得ない。だから、君が同盟者になったいま、西帝国の負けはなくなったといえる』
『まあ、そうだな』
『だからこそ、君に頼むのさ。君ほどの力の持ち主なら、何万っていう規模の敵兵がきたところで、一網打尽にできるんだろう? それをどうか思い止まって欲しい。東帝国は敵だ。けれど、東帝国の臣民は、そうではない。我が帝国によって南ザイオン大陸が統一された暁には、我が国の民となり兵となるんだ』
『……そういう話なら、わかったよ』
セツナも、頷かざるを得ない。そもそも、無駄な殺戮には嫌悪感を抱いている。セツナはこれまでの人生、普通の兵士が殺しきれないほどのひとや皇魔を殺してきたのだ。数万では足りないくらいの命を奪ってきた。いまさら、その数を積み重ねようとは想わない。
『もちろん、君に命を張って戦ってもらうんだ。絶対に殺すな、だなんていわない。君や君の仲間の無事が最優先事項だ。そのためならある程度の犠牲はやむを得ない。君を失うことのほうが、遙かに深刻だからね』
『陛下の仰せのままに……』
『だからさ、俺と君は対等な関係なんだってば』
『いやだって、こういうの、好きかなーって』
『怒るよ?』
などと冗談めかしく笑い合ったことを思い出したとき、セツナは、ラーゼン=ウルクナクトの後ろのふたりがほとんど同時に呪文を唱え終えるのを目の当たりにした。
「武装召喚!」
「武装召喚!」
異口同音に告げられた呪文の結語が、ふたりの武装召喚術の完成を告げ、発動を促す。爆発的な光が男の右腕に収束し、女の背後に集中する。光の中から召喚武装が具現化していくのを見届けることは、しない。ソードケインの光刃が稲妻の如く降り注いできたからだ。後ろに飛び退き、光刃が地面に突き刺さった瞬間、セツナは黒き矛の切っ先を左前方に向かって掲げた。力を解き放つ。“破壊光線”。カオスブリンガーの禍々しい穂先が白く染まったかと想うと、膨大な光の奔流が発射された。思わず身構えるラーゼンたちとはまったく無関係の後方、敵陣中央付近に収斂した光は、敵兵にではなく、敵兵眼前の地面に直撃し、大爆発を起こした。大地に大穴を穿つほどの爆発の余波が、その周囲の東帝国兵を尽く吹き飛ばす。
殺気。が、セツナは、みずからの意思で回避しようともしなかった。メイルオブドーターの翅が、男の武装召喚師が発射した弾丸を受け止めている。そこへ光刃が迫り来るのだが、その間も殺到してくる弾丸は、メイルオブドーターの防御を固め、光刃の付け入る隙を強引に作り出すためのものだということがわかる。弾丸から身を庇っている間、光刃には対応できないとでも考えたのだろう。
(悪くない考えだがな)
セツナは、男の武装召喚師を褒めつつも、その浅さを彼のために嘆いた。メイルオブドーターの翅は、二枚ある。男の籠手型召喚武装から発射される謎の弾丸は、片方の翅だけで受け止めきれるのだから、もう片方の翅を使えば、ソードケインにも対応可能なのだ。と、セツナは考えた直後だった。彼は、思わぬ光景を目の当たりにする。
(なっ)
メイルオブドーターの翅のうち、弾丸を受け止めていた側の翅が変色したかと思うと、鉛のように重くなり、自動的にも、任意にも動かせなくなっていたのだ。その瞬間、セツナは、武装召喚師の狙いを理解する。籠手型召喚武装の弾丸は、直撃した対象物に付着し、硬化、重量を与えるのだ。そして、弾丸の射手は、翅で受け止められることこそが狙いであり、実際、片方が重くなると、もう片方の翅で受け止めなければならなくなり、このままでは射手の狙い通りになるだろう。両方の翅が硬直し、重く、使い物にならなくなってしまうのだ。
そうなれば、ソードケインの光刃をメイルオブドーターの自動防御に任せることもできなくなる。当然、ラーゼンがその好機を逃すはずもない。見れば、彼は、その場から動くこともなく、ソードケインを地面に垂らしていた。光刃が足下の地面に突き刺さっている。なにをしているのか、瞬時に理解した。眼下、荒れ果てた地面を突き破って光の刃が伸び上がってくる。自動防御は間に合わない。が、彼の無意識は、肉体を躍動させている。黒き矛を旋回させて光の刃を叩き折ると同時に前方に飛び出し、弾丸を受けきってから翅を解除する。翅は、常に出しっぱなしにしていなければならないものではない。男が虚を突かれたような顔をしたのは、メイルオブドーターの能力を理解していなかったからだろうが、セツナは、そんな男の懐に入り込むと、黒き矛の石突を鳩尾に叩き込んで昏倒させた。光刃が迫り来る。黒き矛を回転させて受け流し、ラーゼン=ウルクナクトと対面する。全身鎧の上背の剣士は、兜の奥の眼で笑っているようだった。
「ラーゼン=ウルクナクトか」
「いい名前だろう? セツナ=カミヤ」
彼の声が低くくぐもったように聞こえるのは、きっと、兜のせいだろう。複数の害意に気づき、その場を飛び離れる。無数の光弾がセツナの立っていた場所を貫き、小爆発を起こす。ラーゼンも飛び退いている。飛び退きながら、ソードケインをこちらに向けていた。光刃はさながら光線の如き速度で飛来し、セツナを狙うが、セツナはメイルオブドーターの翅によって護られた。さらに無数の矢がセツナを狙って放たれた。いまのいままで静観していた東帝国軍の兵士たちが一斉に動き出したのだ。が、それらがセツナだけを相手にしていられないことは、当人たちが一番わかっているはずだ。
既にシャルロット=モルガーナ率いる戦闘部隊が戦場に辿り着き、部隊の展開を終えていた。
セツナは、ラーゼン=ウルクナクトと女武装召喚師の注意を引きながら、シャルロットたちを勝利に導くべく、思考を巡らせていた。